■2013.01
日めくり 2013年01月(平成25年) ◄►
2013.01.01 初心?
去年の元旦の「日めくり」を読んで笑ってしまった。
いやいや笑ってしまってはダメなんだろうが、
「我慢強く生きていこう」って・・・
なかなか初心というものは憶えていないものだ。
一応、心構えはしかと胸に刻んでいこうかとは思う。
とにかく今年こそ毎日の歯磨きをかかさないことは誓った。
って、子供かっ!
失礼しました(汗)今年もよろしくお願いします。
2013.01.02 寝正月とはならず
電波が弱くてスマホが繋がらなかったのを、
何とか無線ルーターを駆使してWI-FIを飛ばすことに成功。
おお、やれば出来るじゃないか。
そうこうしているうちに大手町から駅伝がスタート。
一区の先頭グループが六郷橋に差し掛かったところで映画館へ出掛け、
帰宅したころには箱根の山登りがフィナーレを迎えていた。
その矢先に母親から「妹の見舞いに行くので車を出してくれ」と電話がくる。
墨田区の病院に入院している叔母を見舞ったついでに、
江戸紫に光る東京スカイツリーを初めて真下から堪能し、
ついでに丸の内のイルミネーションからライトアップされた東京駅の外観を見物。
最後に「東京だョお母さん」ばりに二重橋を見て回って、
母親から「一生の見納めだわ」と有難い言葉を頂戴する。
因みに叔母は旦那さんが差し出すスプーンから流動食を口にするまでに回復。
辛そうなのは見ればわかるが、ここは頑張ってほしい。
2013.01.03 寝正月やりました
起きて時計を見たら午後1時。
そういえばかつて十年間、こんな生活をやっていた。
まぁ人間、昼働いて夜寝るように出来ているのだとしても、
目覚まし時計を掛けて寝る必要もなかった生活が性に合っていた。
今思えば、人生の貴重な時間を何してたんだろ?と考えないこともないが、
休みが続くと自分の中のドラキュラがこうも簡単に覚醒してくるのか。
それにしても日の暮れるのが早いこと。
2013.01.04 ラッツォに会ってきた
日比谷でウディ・アレンの映画と44年前のアメリカン・ニューシネマをハシゴして来た。
今のアンジェリーナ・ジュリーよりも若いアンジェリーナ・ジョリーの親父も悪くないが、
いやはやダスティン・ホフマンって改めて凄い役者だったんだなと再認識した。
子供だましではなく、切実にアンチヒーローたちが牽引していた頃のハリウッドはいい。
その象徴がラッツォで、そのカテゴリーの最後がモヒカンのトラビスでしょうな。
反戦デモに集まる若者に向かって一言「仕事しろ」と言い放つラッツォ。最高だ。
さて「午前十時の映画祭」もいよいよ100本完走まであと10本。
しんどくなってきた映画感想文も「■映画観賞記録?」にまとめた。
と、新ページも紹介もさりげなく(笑)。
2013.01.05 ♪But the tigers come at night~
カレンダーを睨みながら、みるみる休みが消化されていくのを茫然と見送る。
休みに呆けていても暗くなるにつれて時間という名の虎がやってくる。
それで一日を終えるのはあまりにも何なので、
晩飯の後、『レ・ミゼラブル』の最終回に駈け込んだ。
おかげで最終電車に滑り込む羽目となったが、動いて本当に良かった。
2013.01.06 遥かノスタルジア
午前中にニューシネマの代表作、ダスティン・ホフマンの『卒業』を観る。
サイモン&ガーファンクルの歌に日本語訳字幕がなかったのが非常に残念。
初見の際のプリントには確かにあったはずなのに。
そしてその足で鎌倉まで行って、佐助稲荷で初詣。
佐助稲荷に来たのは30ン年ぶりのこと。
ここにはちょっと書けない鮮烈な思い出がある。
それはギラギラした強い太陽が照りつけた夏の日の1ページ。
あの日は胸が詰まり心臓がドキドキだったが、今は坂道と石段で心臓がバクバクだ。
そのまま七ヶ浜から国道134号線を海岸線づたいに片瀬江ノ島まで歩く。
夕日に染められた水平線。砂浜では影法師になった親子が追いかけっこをしている。
ダスティン・ホフマンの映画を観るたびに思い出すのが故・大塚博堂のデビュー曲。
ああ、くそ。因みに佐助稲荷は縁結びの神様だと今日知った。ああ、くそ。
そんなこんなで明日から仕事だ、仕事。
2013.01.07 仕事始め早々に
仕事始め早々に、いきなり新人の教育をやらされる。
教育も何もこちとら去年から残っていた仕事と、
会議のための準備でそれどころではない。
結局、新人教育などそっちのけで、「仕事の一部を味わいましょう」といいながら、
思いっきり手伝わせてしまった。
いいんだ、それで。
2013.01.08 うむむむ・・・
脳梗塞で入院していた職場の先輩が退院し、奥さんと一緒に挨拶に来た。
本当は今月一杯の入院予定だったが、早々に出てきたのだという。
何でも同室の連中が生活保護者ばかりで居たたまれなかったそうだ。
そうはいっても先輩が僅か二か月の入院で出て来られたのは、
奥さんと娘さん二人が家にいて、すぐに病院に連れて行ったのが大きい。
成人病世代に足を踏み入れ、もう何年も過ぎた自分も他人ごとではない。
果たして頭が痛いからといってすぐに病院に行くだろうか。
多分、一日も二日も遅れる気がする。下手をすると倒れてから病院に運ばれる。
そうなったらおそらく致命的だろう。
あるいは巡回してきた民生委員に変死体で発見される。
うむむむ・・・ 暗い、暗すぎるぜ。
2013.01.09 アベノミクス
研修会などで使っているホテルのマネージャーが新年の挨拶に来た。
話を聞くと、経済の上昇機運ははっきり肌で感じているという。
ホテルの現場は経済の最前線であり、景気動向のひとつの指標にはなるだろう
どうやら円安、株高で安倍自民党は上々のスタートを切ったのは確かなようだ。
しかし散々だった民主党だって鳩山内閣のスタート時は随分と華々しかった。
CO2排出25%を国際公約し、事業仕分けで国民の溜飲を下げ、沖縄から基地を県外へと、
それなりに派手に立ち回って、国民に幻想を抱かせたのではなかったか。
文学部出には経済のことは覚束ないので、アベノミクスの何たるかはわからんのだが、
もう失望はさせてくれるなと切に願いたい。
2013.01.10 勘弁してくれよ・・・
まったく踊らない会議にイライラしつつ、
「我慢強く生きていこう」という初心を早くも忘れている。
もういっそ「なーんも考えないで仕事する」に宗旨替えしようかなと。
何だかハリー・キャラハンにマグナム44で脳天をぶち抜いて欲しい気分だ。
2013.01.11 またやっちまったよ
要町で飲んで池袋のカラオケで絶唱し、丸の内線経由で大手町から帰宅。
・・・する予定だったが、スマホがない。職場のデスクに充電したままだった。
もう夜の23時。平日だったらこのまま帰るが、何せ三連休。
結局、池袋方面に戻ることにしたのだが、その長げぇこと、かったれーこと。
忘れ物の話題にバックナンバーをつけると、今回でVol.いくつになるんだか。
2013.01.12 親父は留守番
実家のテレビにノートPCをつなぎ、録画した『吉田類の酒場放浪記』を両親に見せる。
叔母が元気に店を切り盛りする姿をあーでもねーこーでもねーと観賞しながら、
改めて、今、病床にいる叔母を思う。
考えてみれば父は親戚の中で最年長であり、いよいよ衰えが目立ってきた。
何だかんだ毎年続けてきた寒川神社の初詣も、今日は母と二人で出掛ける。
父の分もと引いたおみくじは「中吉」。母は「吉」で自分はパス。
このところ、実家に寄る機会が増えてきたのは、老父母への心許ない気持ちもあるが、
防犯のため、自分が頻繁に出入りするのを回りに見せておく必要も感じているからだ。
決して新米と塩引きの鮭をいただきに行ってるわけではない。
2013.01.13 昨日までの天気予報では
今日は初冠雪かもしれないとなっていたはずが、結局、終日好天だった。
なんだよ一日ズレるんかいな。と、
あわてて洗濯機を2度回して、狭いベランダの隅々まで洗濯物を干す。
それにしても明日が晴れるのか雪なのかもわからないとなると、
気象庁も地震の予知など夢のまた夢ではないか。
ずっと東京湾、相模湾、駿河湾が沈黙しているのは、とても気持ち悪い。
2013.01.14 な~んも出来ねぇ
しかし雪が積もると周りの景色が一変して別世界に来たよう。
普段の倍かけて駅そば食べに出かけたきりで、ほうほうの体で帰宅。
何というか、問答無用で今日は外へ出るなと、風景に全力で拒まれている感じ。
それでいて「寝るなら寝てろ」といわれている感じも。
勝手にお言葉に甘えて夕方からうとうとし始めたら、夜中まで寝てしまった。
どうすんだよ、これから。。。
2013.01.15 流転
で、昨日たっぷりと寝ている間に実家から何回も着信があった。
こんな大雪の中でどこかほっつき歩いているんじゃないかと案じてくれたらしい。
今朝、電話してみると「電話くらいちゃんと出ろ」といわれてガチャン。
せめて一人息子に「誕生日おめでとう」くらいはいえんのか。
しかも朝まで寝られなかったのが祟って、ちょっと残業している間に舟を漕ぎはじめ、
ふと目が覚めたら午後九時だと。
何だか、どんどんだらしない方向に人生が転がっていく。
2013.01.16 大島渚、逝く
スポーツ紙の一面には、小山明子の引く車椅子に横たわる大島渚の姿に、
“愛のコリーダ、戦メリ、朝まで生テレビの「馬鹿野郎!」”と活字が添えられていた。
しかし、私にとっての大島渚はコリーダでも戦メリでも、まして朝生の論客でもない。
我々は映画が運動と闘争を伴走させていた頃の最後の残り香を嗅いでいた世代であり、
結局、私の感性は彼の反権力階級イデオロギーを全身で拒んでしまったが、
名画座やATGの上映館で大島渚を観ることは、映画小僧の典型的なスタイルではあった。
『絞死刑』など理解していたのか怪しいが、前のめりになって観ていたことを思い出す。
しかし昨今、日本人のナショナリズムが昂揚し、右傾化しているといわれている中で、
去年の若松孝二といい、国家権力と闘ってきた映画作家の相次ぐ死は象徴的ではある。
個人的に自分の誕生日に大島渚の訃報を聞くのも、青春完全終了の象徴かもしれない。
52にもなって青春の終了もないのだろうが、というツッコミは抜きにして。
2013.01.17 すでに18年か
あの年の春、福岡に向かう新幹線の車からブルーシートに覆われた家々を見た。
つくづく歳月の流れる早さに愕然としてしまう。
今の歳に18年を足したらいくつになることやら。
人生など長いようでいてそうでもないのか。
兵庫県内でも震災を知らない人たちが40%いて、
神戸市の人口も震災前よりも増えているのだという。
しかし、そう遠くない将来に高確率で来るといわれる首都直下型地震。
我々が学ぶべきは津波被害が甚大だった3.11よりも1.17だ。
真剣に学ぶ気があるのかといわれたら「ごめんなさい」としかいえないのだが。
2013.01.18 アルジェの戦い
昔、そんなタイトルの映画があった。ヴェネチアで金獅子賞を獲ったのだったか。
あれはフランスからの独立を描いた戦争映画だが、未だに戦火の消えぬ国なのか。
アルジェリアという国名の響きに何故か異国への不思議な郷愁を感じてしまうのだが、
拘束された邦人の安否を気遣う家族や会社にとっては、当然、郷愁もへったくれもない。
「軍事作戦によって人質の数名を保護したが、数名の犠牲者が出た模様」
地の果てからこんな錯綜した情報が飛び交うことが、どれだけの責め苦になることか。
日本人が関わっているからこそ大きなニュースになるのだろうが、
人の命がひどく軽く扱われていることに、異様な不快感を禁じ得ない。
2013.01.19 赤坂界隈を歩く
かつて地下鉄永田町の出口から最初に目に留まるのが赤坂プリンスホテルの威容だった。
しかし写真では見ていたものの、縮まった赤プリの姿を直に見るとまさに異形の一言。
何といっても御所があり、官邸も政府関係の公邸も各国の大使館も集まる場所柄だ。
かなりの騒音が伴う解体工事を延々とやるわけにはいかないだろうし、
海外でやっている爆薬を仕掛けて一気に解体する工法は日本では無理なのだろう。
そこで技術大国の粋を結集し、静かに縮ませていく工法が採られたわけだ。
思えば、昔勤めていた会社では、ここに映画スターを集めてパーティをやった。
赤プリの堂々たる威容は、ひとつの象徴としてバブル絶頂期によく映えていたが、
外観を変えぬまま時間をかけて縮んでいく姿を周囲に晒していくのも・・・。
技術大国の粋は日本経済の安楽死へと向けらるようで、これも象徴ではないのか。
2013.01.20 未だ安否確認とれず
アルジェリアのテロ事件は軍による制圧が完了したことはわかった。
テロリストたちが全員死亡したこともわかった。
それなのに人質の安否がまだ公式に発表されないのはどういうわけか。
どうも人命軽視との国際批判を政府当局がまるで想定していなかったのではないか。
そこで人質が軍の制圧作戦に巻き込まれて犠牲になったのではなく、
あくまでテロリストに殺害されたのだという決着を画策しているのではないか。
しかし時間が経てば経つほど、そんな憶測と疑惑が拡がっていくのだとしても、
当然、家族にとってはそんなことはどうでもいい、とにかく命の問題なのだ。
ありのままの真実を早く国際社会に報せることを第一義的に考えてもらいたい。
2013.01.21 なんという無念
邦人数名の死亡が確認され、そして家族は遺族となった。
彼らは凶弾に倒れたばかりか、錯綜した情報にまた殺されたのではないか。
彼らに「日本のために乗り込んだ」という意識があったのかどうかは知らない。
しかし、日本は地の果てまで人を送り込まなければ立ち行かない国なのだ。
それで残された教訓が「自分の身は自分で守れ」では悲しすぎるではないか。
2013.01.22 風呂
先日、気合を入れて風呂掃除をやった。
それが気合を入れすぎたか警告ランプが点滅し、ガスがつかなくなった。
このクソ寒い真冬に風呂が壊れるとは何たることか。
仕方なく平日の、客もまばらな銭湯に通う羽目になるのだが、
そこには日常最低限の必要のため、淡々と身体を洗っている入浴客がいて、
どうにも生活感が湯気と一緒に漂っているような切なさというか侘しさというか、
明らかに余暇に風呂を楽しむ休日のスパとはまるで違う世界が展開されていた。
こりゃたまらん。業者の修理が来る週末までとても待ってられんわとなって、
平日で留守だろうがなんだろうが、大家さん立ち会いのもと業者に来てもらった。
帰宅したら無事にガスもスムーズに点火していてひと安心といったところだが、
足が伸ばせない狭いバスタブでも、風呂があることの有難味を噛みしめた一幕だった。
2013.01.23 ハムは糸井出しますか
そういえばFAが常態化して、すっかり大型トレードという言葉は聞かなくなっていた。
だから日ハムとオリックスの間で成立した2対3のトレードには久々に驚いた。
それにしても2対3とはいえ、糸井と八木を出すとは日ハムも思い切ったものだ。
とくに糸井。彼は間違いなく日ハムにリーグ制覇をもたらせた功労者ではないか。
なるほどFA取得一年前くらいの選手はターゲットになりやすいのかもしれない。
しかし北海道のファンはどう思うのだろう。
おそらく我々がずっと昔に、田淵で味わったくらいの衝撃なのではないか。
2013.01.24 そういえばあの数学教師・・・
大阪での痛ましい自殺事件はその後思わぬ方向に行ってしまったようだが、
部室の裏でタバコ吸って教師に頬っぺた引っぱたかれるのならまだしも、
報道でいわれる「また殴られてもええんやな」という教師の言葉はあまりにも薄ら寒い。
殴り殴られるのが常態化して、主将を続ける前提にあらかじめ体罰があるのだろう。
思い出すのが、高校時代に何かといえば生徒にビンタを食らわせる数学教師がいた。
今でも忘れない大友という馬鹿野郎だが、あいつは本当に気色悪かった。
別に大友のせいで数学が嫌いになったわけではないが(そういうことにしているが)、
その後たっぷりお礼参りされたという噂を聞かないのが誠に残念ではある。
あれはもともとがサディストで生徒を叩くのが性分だったのではないか。
あのビンタのときの薄ら笑いをミキサーにかけ、粉にして顕微鏡で覗いても、
ひとかけらの「愛のムチ」という言葉は見つからないだろう。
「思い出し笑い」はあるが「思い出し怒り」もあるものだ。
2013.01.25 ♪ジン、ジン、ジンギスカーン
羊肉はクセがあって苦手なのだが、会議の後にジンギスカン屋に行った。
御徒町にある元・大関の霧島が経営する店で、質の良いラムが美味いらしい。
確かに炙りの半生は絶品。最後はラム肉丼のお茶漬けと、いやはや羊を食いまくった。
牛肉だったらここまで食えなかっただろう。体中が羊臭くなって参った。
ところで、あの歌は有名だが、誰が歌っているのかは知らない。
2013.01.26 日本橋七福神めぐり
いつの間にやら寺社めぐりがすっかり趣味になってしまったが、
日比谷でフェリーニの映画が始まる前に、水天宮へ足を延ばしてみた。
そこで手に取った「日本橋七福神めぐり」のパンフレットを見て、
水天宮を起点にそれほど離れていないので巡れるだけ巡ることにした。
松島神社-末広神社-笠間稲荷神社-琩森神社を参拝したところで時間切れ。
結局、日本橋の「麒麟」の像まで東野圭吾の『新参者』コースを歩いて日比谷へ。
思えば浜町や人形町は東京の中でもそれほど馴染みのある街ではなく、
来週末は残りの三社を巡りながらその界隈を散策してみようかと思っている。
それにしてもフェリーニの前に七福神めぐりというミスマッチも甚だしいが、
来週はヴィスコンティの前に七福神めぐりとなる。
2013.01.27 我が町
早いものでこの町に暮らし始めて8年が過ぎた。
すっかり駅近生活に馴染んでしまうと、おいそれと去ることができなくなる。
駅近ということは、5分も歩けば気軽に繁華街に行ける至便が捨て難いのだ。
それにしても我が町には不動産屋と美容院と学習塾が異常に多い。これには本当に驚く。
物件を探していたとき不動産屋は重宝したが、基本的に美容院も塾も用はない。
他にはセブンイレブンが3軒、ファミマが2軒、ローソンが1軒。これは有難い。
しかし声を大にしていいたい。何故か牛丼屋の類が1軒もないのだ。
マクドナルドもケンタッキーもモスバーガーもある。
昨年オープンしたサンマルクカフェは今どき喫煙室がたっぷり設けてあるから許す。
そういえばベーカリーも知る限り6軒もある。
私鉄2線が通っているので駅そばも2軒あるが、駅そばは1軒あればいい。
そう欲しいのは牛丼屋なのだ。吉野家でも松屋でもすき家でもなか卯でもいい。
何故、我が町には気軽に立ち寄れる牛丼屋が1軒もないのだろう。
先日、駅中のテナントが空いて、いよいよ来るか!と期待したのだが、
オープンしたのはミスタードーナッツだった。。。なんだい畜生。
・・・以上、我が町に牛丼屋を誘致したいというお話でした。
2013.01.28 所信表明演説
安倍晋三の強みはとりあえず過去に総理として挫折した経験則があることか。
しかし政局のない凪の状態だと大概ニュースも盛りあがりに欠ける。
結局「この国難に政治家は何をやっているんだ!」と皆なそういいたいのだ。
所信表明演説を聞きながら冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
かァ~、ビールが旨え~。
汗で抜ける真夏より、乾燥している冬の方がビールは旨いもんだ。
2013.01.29 中途半端なデブ哀歌
自分のような中途半端なデブは電車の中ではとにかく嫌われる。
満員電車で立っているとあからさまに嫌な顔をされるのは日常茶飯時で、
座れば座ったで、もともと窮屈な7人掛けは一層窮屈になり、
隣が空いても、しばらく誰も座ろうとしないのに軽く傷ついたりもする。
もしこれが超巨漢の百貫デブなら、周囲も運が悪かったのだと諦めてくれるだろう。
それが中途半端なデブだと常に無言の舌打ちの中にさらされている気分になるのだ。
そして一番頭にくるのが、隣り合ってしまった自分以外の中途半端なデブ。
もう敵意むき出しで肩を入れてくる、腹まで突き出してくる。
普段、迷惑をかけまいと身を縮ませている分だけ、同類には遠慮も容赦もない。
一体何の主導権を取ろうとしているのか、中途半端なデブをさらに強調してせめぎ合う。
そしてお互いが心の中で悪態をついているのだろう。「そばに寄るなデブ!痩せろ!」
・・・今日も明日もいつだって、満員電車で中途半端なデブの暗闘が繰り広げられている。
2013.01.30 扱き
「しごき」を漢字で書くと表題の字になる。
桜宮高校のケースやこのたびの女子柔道での告発問題は「体罰」といわれているが、
どうも体育会系の価値観に「体罰」という言葉はそぐわない気がする。
「体罰」は程度の差こそあれ悪事の代償として肉体的に苦痛を与え、与えられることだ。
蹴られ、叩かれた選手たちは、他人の財布から札を抜き取ったわけではないだろう。
やはりイメージとしては「しごき」というのが正確なのではないか。
ときとして「しごき」は、精神を注入するなどの理由で理不尽に行われる。
自分が通った大学など校内のあちこちで先輩が後輩をビンタする風景が見られた。
ビンタされる側も「押忍!ありがとうございました!」などと叫ぶ。
アホ大学のそんな校風だったので仕方ないが、学外でやられると実に恥ずかしかった。
中にはOBのオッサンがやってきて学生をしごく。これは日頃のうさ晴らしだろう。
桜宮高校や女子柔道がこれらに当てはまるのかどうかはわからない。
しかし新聞やテレビの運動部には大学の体育会出身者が多く在籍しているはずだ。
そういう体育会系の精神風土を熟知しているにもかかわらず、
マスコミが「驚くべき実態」「氷山の一角か?」と書くのは偽善がすぎやしないか。
しごく側にもそれを伝える側にも、何とも知れない薄ら寒さを感じるのは自分だけか?
2013.01.31 何なんでしょうか、自分のセコさ
タバコは基本的にカートンで買う。
よってオマケのライターが無尽蔵に増える。
たまにライターではなくBOXティッシュをつけてくれたりすると有難いが、
今もライターが机の上に3個あるのが目に入る。
コート、ジャケット、ズボンのポケットにも1個ずつ入っていたりもする。
ところが今、コンビニでカートンを買ったらライターがついていなかった。
もう二度とこの店では買わねえぞと思ってしまった。
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