■2017.12
日めくり 2017年12月(平成29年) ◄►
2017.12.01(金) 大和、旅立つか
FAを宣言していた大和が選択したのはDeNAだった。
過去にFAで何人かの選手が縦じまを脱ぎ、新天地を求めて出て行ったが、
思い浮かぶのは新庄や井川、藤川に代表されるメジャーリーグ転出か、
レギュラーから外れ、半ば放出するような形でのFA移籍が殆んどだった。
大和のように残留条件を用意して転出されたケースはあまり記憶にない。
タイガースはもっぱらFA選手を受け入れ続けて来た球団だ。
だからファンも縦じま姿が馴染んでいた生抜きの転出には慣れていない。
そうか大和の縦じまはもう見られないのか・・・そう思うと寂しい。
逆をいえば、縦じま姿になることで元球団のファンを泣かせてきたことに気付く。
金本の縦じま姿をカープファンはどんな思いで見ていたのだろう。
前回も書いたように、FAは大和が勝ち獲った権利だ。
去るのもまた縁。虎の便利屋から旅立つ大和を裏切り者呼ばわりするのは止そう。
むしろ今までセンターラインを堅く守ってくれた大和に感謝しようではないか。
ありがとう大和、さらば前田。
2017.12.02(土) 同時受診
朝に実家に迎えに行っては病院へ連れて行き、一緒に医師の話を聞く。
定期的に母親の通院に付き添うようになってどれくらいが経つだろう。
それがとうとう母子一緒に診てもらうこととなった。
どうせ付き添うなら、仕事を抜け出して職場近くの病院に行くよりも合理的ではある。
その通りではあるのだが、とうとう母子ともども受診という事態になったわけか。
なんだかね。
2017.12.03(日) 元号
陛下の退位が再来年4月末、皇太子殿下の天皇即位が5月1日に決定したようだ。
これまで様々な候補が取り沙汰されたが、これでようやく落ち着くことだろう。
改元の日取りが決まったとなると、気になるのが新元号の発表時期。
今さらいうのもどうかと思うが、「平成」にはとうとう馴染めなかった。
小渕恵三さんがテレビカメラに「平成」と書かれた半紙を向けた時、
まず思ったのが「昭和」と比べ、なんて間抜けな響きなのだろうということ。
改元当初は「平成の○○」というフレーズはギャグにか聞こえなかったくらいだ。
同時にグローバルネットワークの時代、年号表記の不都合も指摘され、
仕事で過去資料を検索するにも西暦と年号が混在して面倒なことがある。
一方で私は1960年代から70年代までは元号「昭和」と西暦を一致させることが出来る。
生まれ年の1961年と昭和36年を起点として、1970年、昭和45年に万博があり、
その頃に公開されていた映画を追体験する中で自然と身についていた。
例えば『緋牡丹博徒』は1968年であり、昭和43年作品というのが即座に出てくる。
『仁義なき戦い』はいかにも1973年の映画であり、いかにも昭和48年の映画。
西暦、年号のギャップが一切ないことで、私にとっては快適な時代でもあったのだ。
ところが1985年の阪神優勝が昭和60年であることを除けば、
もうまったく意識出来ていない。実際、平成元年が西暦何年なのか把握出来たのは、
横山秀行の『64(ロクヨン)』を読んでからだった。
職場はすべて元号で運用されているが、平成26年なら2014年の方がまだピンとくる。
そう、世の中同様に私の中でもかなり西暦が圧倒しつつある。
このHPでは「日めくり」や「三行の映画評」は元号・西暦を併記しているが、
あまりにも一致しないので、年号は後になってつけ足したものだ。
運転免許を見ると書き換えが「平成33年の誕生日」と記載されている。
それは絶対にあり得ないわけで、また失効しないか少し心配ではある。
そういえば、この間までリニア新幹線開通が平成39年などともいっていた。
日本人として元号に寄り添い続けたいとは思っているのだが、
さて、どんな漢字二文字が発表されるのか、楽しみでもあり少し不安でもある。
2017.12.04(日) おーい、テレビよ
アパートのテレビがNHKしか映らなくなった。
・・・どんなテレビだよ。
まずチューナーにしているHDデッキがいうことを利かない。
モニターのリモコンのチャンネル切り替えが利かない。
チャンネルはNHKに固定されたまま。
電池切れか?しかしボリュームは自由自在に調節出来るのだ。
思えば先週末の静岡行きでアパートを空けた時に、
コンセントを抜いてから、3日後に電源を入れた時に異変が起こったのだろうか。
今、殆んどテレビは朝の時計代わりの「おはよう日本」しか見ていない状態なので、
この一週間、まったく気がつかずにいた。
いや普段は民放を殆んど見ることがないので、別にNHKだけでこと足りるのだが、
今夜は『M-1グランプリ』があり、それなりに楽しみにしていた。
結局、仕方なくNHKスペシャル「私たちと“象徴天皇”」を見ていた。
2017.12.05(月) 後輩と飲む
仕事帰りに後輩2人を連れて池袋の居酒屋に寄る。
38歳と33歳。たまには「飲みにケーション」もしなければならない。
私はハイボールを頼み、彼らは冷酒をガブガブやっている。
糖質を気にせずに“ポン酒”がイケる彼らを羨ましく思いつつ、
そこで彼らと私が生きて来た時代の話になるのだが、
オヤジ(つまり私)は「俺たちの時代の方が全然よかった」と息巻くものだから、
彼らにとって楽しい酒宴になったのかどうか定かではない。
2017.12.06(火) 「俺たちの時代の方が全然よかった」件について
昨日の後輩たちとの飲み会の話を掘り下げてみる。相手は38歳と33歳だ。
「昔はよかった」などと言い出したらキリがなくなるのはわかっている。
単純に20代をバブル期で過ごしたか、平成不況で過ごしたかの問題ではない。
まず私は、彼らが子供の頃に夢中になったマンガのヒーローたちで飯を食っていた。
要するに彼らはこちらのキャリアの内で消費者だった。それだけでもう上から目線だ。
そして彼らが伝説とする者の多くと私は同時代を共有している。
かつてスポーツ、芸能のすべてのジャンルにヒーローがいた。
野球ならONが健在。それに対抗する村山、江夏、田淵、掛布。
さすがに力道山には間に合わなかったが、プロレスには馬場と猪木がいた。
キックの沢村忠、空手の大山倍達はジャンルそのものを興隆させたヒーローだ。
歌謡曲が全盛で、巷・街角に音楽が溢れ、誰もがヒット曲を共有していたし、
どの繁華街にも名画座があって、映画好きは「ぴあ」片手に映画館をハシゴできた。
東映やくざ映画に日活ロマンポルノ。暴力とセックス、何とも大らかだった。
芝居は対岸の存在だが、寺山修司、唐十郎、つかこうへいの全盛を知っている。
今は価値多様化の世の中で、映像も音楽もゲームも個々の趣向に振り分けられ、
世間が共有することなくイヤホンやパソコンで個人様向けに直接届けられる時代で、
沢山の共有が集積されて「時代」の空気が作られるのだとしたら、
彼らが過ごした20代に「時代」などあったのだろうかと思ってしまうのだ。
彼らはコンビニ、携帯電話の利便性を若い頃から享受していたのだろうが、
それは50半ばのオヤジも十分に恩恵にあずかっているし、
逆にそういうものがなかった時代も知っている。
駅の伝言板、待ち合わせの喫茶店。それこそ思い出の宝庫だ。
もちろん彼らは私よりも20年は長く生きるだろう。
彼らの知らない20年を知っている代わりに、私が知ないその先の20年。
しかしその時代を享受するには、悲しいかな彼らも相応の齢をとっている。
そんなこんなで世代としては間違いなく我々が圧勝しているようだ。
・・・・なにが「そんなこんなで」だか、
30代を捕まえて時代論をぶち、悦に浸るお前の今はどうなのだ。という話だけか。
2017.12.07(水) 目が追いつかない
仕事帰りに公開が終わりかけた映画を目指して調布まで足を伸ばす。
この辺りは日活や大映の撮影所があった。。。。今もあるのか。
調布駅のコンコースに大魔神やガメラの壁面画があるのを懐かしく眺める。
観に行ったのは『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』というストップモーションアニメ作品。
CGが当り前のアニメ業界で、人形をひとコマひとコマ動かしながら、
驚異の映像世界が展開されているという評判だった。
舞台は中世の日本か。おとぎ話のような設定の中で大アクションが繰り広げられる。
いやはや早い早い。あまりにもめまぐるしく人、物、風景が動いていく。
これをコマを動かしながら作って行くのは気の遠くなるような作業だが、
ならばCGでいいじゃないかと思いながら、作り手たちの没入感に圧倒される。
ただ残念なことに、この画面について行く動体視力がこちらにはない。
目が追いきれていないので、残像が脳に引っ掛からない。
逆にコマ切れの印象だけが残ってしまうのだからまったく彼らの労力に報いられない。
とことん情けない思いを引き摺りながら京王線の改札に急ぐのだった。
2017.12.08(木) 岩波ホールへ
岩波ホールを訪れるのは1983年の『アギーレ、神の怒り』以来だ。
いわずと知れた単館上映の草分け的な由緒ある映画館。
ホールが上映作品を選定し、それを信頼した観客がやってくる。
ただ私はこういう「お高くとまっている」映画館にはずっと背を向けて来た。
むしろ岩波ホール的な世界と対極にある映画館と、その上映作品を愛し続けて来た。
しかし金太郎飴のようなシネコンが全盛となり、ミニシアターが駆逐されていく現在、
50代の半ばも過ぎて、少しばかり趣向を広げるのも面白いかなと思い始めている。
なにせシネコンは少女コミックとアメコミヒーローたちに席巻されていて、
ついつい新文芸坐やシネマヴェーラに逃げ隠れているような映画観賞生活だ。
そこで以前の私には考えられないことだが、エキプ・ド・シネマの会員となった。
単館上映を応援してみようかと気にもなっている。
今夜観たのは『はじまりの街』というイタリアとフランスの合作映画。
全然「お高くとまっている」映画ではなく、良質の娯楽作品だった。
しかしヨーロッパ映画というだけでシネコンから弾かれているのも現実なのだ。
所詮は好きな映画の枠の中の話ではあるのだが、私の中の小さな変革だ。
今後、こうした小さな気運は絶対に必要になってくるだろう。
2017.12.09(土) 富岡八幡宮殺傷事件
東京十社に数えられる深川の富岡八幡宮には何度か参詣に訪れた。
勧進相撲発祥の神社として名高く、力士碑の手形に手を合わせたこともある。
その有名な神社でとんでもない殺傷事件が勃発した。
その全容は凄まじいばかりで、八幡大神様も茫然ではなかろうか。
女性宮司が日本刀で斬り殺され、犯人も妻ともども自殺。
犯人は追放されていた弟で前宮司だそうだ。
この事件を聞いて思ったことがふたつ。
これほどの社格を持つ神社が同族継承であることが意外だったのと、
神社本庁が女性宮司を認めていない件で、さもありなんと思ったこと。
富岡八幡宮は9月に神社本庁から離脱していたという。
いうまでもなく神社は神聖な場所。しかし神社本庁はどうなのか。
社務所に「憲法改正推進」のリーフレットが置かれているのを目にするが、
未だに明治の廃仏毀釈を推進した国家神道主義が色濃く残っているのではないか。
民の平和を祈る今上天皇の思いと、あまりにも隔離した思惑が見え隠れする。
天皇の意志を顧みない神社本庁など不届き千万の極みだと思うのだがどうだろう。
そもそも女性宮司を認めないなら、ご祭神・アマテラスは女性ではないのか。
別に憲法改正が反平和的だとも思ってはいないが、
神職の総元が政治と関わり、神社の膨大な利権を手中にするのはあまりに気色悪い。
話を富岡八幡宮の事件に戻す。
姉を斬殺した弟の元宮司が氏子に送っていたという書簡がまた酷い。
「私は死後においてもこの世に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員と
その子孫を永遠に祟り続けます」
これが一時でも神職だった人間のいう言葉だろうか。
気の毒に思うのは富岡八幡宮の公式HPの写真に掲載された参拝者たち。
とりわけ結婚式を挙げた夫婦、七五三の家族連れ、酉の市で賑わう下町の人たちだ。
2017.12.10(日) オールナイトでウディ・アレンPART2
7月の新文芸坐のウディ・アレンのオールナイトがあまりにも良かったので、
その第2弾をやると知り、迷わず前売り券を買った。。
一番最初の『カフェ・ソサエティ』。
今年の公開作だ。ならば私の2017年度ベストワン外国映画に決まりだろう。
素晴らしい語り口。一切の無駄がなく、成就しなかったほろ苦い恋を描く。
モチーフは『ラ・ラ・ランド』に似ているが、こちらの方がより濃密だと思った。
「人生は喜劇だ」「片想いは結核より多くの人を殺す」。まさにウディ節。
1930年代のハリウッド、そしてニューヨーク。めくるめく虚飾の世界にあって、
虚飾だけどもそこに生きている人間たちのリアルを描き、映画そのものの虚飾へ帰る。
しばらくは映画を観ていることすら忘れ、作品世界に没入する至福を味わった。
ウディ本人のナレーションはずるいとも思ったが、テンポとリズムは神業に近い。
今回のオールナイトは出だしの『カフェ・ソサエティ』があまりにも素晴らしすぎた。
しかし続く『誘惑のアフロディーテ』もウディらしい皮肉に満ちた恋愛劇。
お互いに子供を連れたレニーとリンダがほんの少し言葉を交わして別れるラスト。
「皮肉」というとマイナスの語感があるが、人生は型通りに済まないから面白い。
今さら言っても仕方ないが、単独で封切り時に観ておきたかった。
う~ん、1995年の公開か……。無理だったろうな。
『おいしい生活』は前半のドタバタが笑った。
そもそも私が初めてウディを知ったのは1973年の『スリーパー』から。
改めてYouTubeでトレーナーを観るとスラップスティックなウディが見られる。
インテリではなく体を張った喜劇役者もウディのルーツのひとつだろう。
ただ、中盤からインテリデェンスな展開になって、やや失速したか。
「富より貧しかろうが人間らしく」という決着は、やや置きに行った感がある。
そもそもこの邦題は何とかならないものか。
いくらウディだからといって20年も昔の百貨店のコピーを持ちださなくても、、、。
邦題でいえば『ローマでアモーレ』というのも大概ではある。
原題が“To Rome with love”なので、これでいいのかもしれないが、
『ミッド・ナイト・イン・パリ』と『ブルージャスミン』に挟まれた本作は、
割を食っているというか、誰の目にも見劣りするのは否めない。
街じゅうが恋に猛進するハッピーワールド展開としても、
『世界中がアイ・ラブ・ユー』という傑作に及ぶものではなかった。
ただこれを失敗作だと決めつけるほど、私がウディ映画を熟知しているわけではなく、
あくまでも比較すればという話に過ぎない。
「ウディ・アレン映画」というブランドで毎年映画を撮り続けた継続力はまさに驚異的。
膨大なフィルモグラティのたかだか8本ではあるが、
私の2017年の映画観賞でウディのオールナイトは貴重な体験だった。
来年、新作が公開されるときはぜひ封切りで観に行こう。
2017.12.11(月) 人的補償に尾仲祐哉
人的補償という言葉もなかなか強烈で、
かつてそのフレーズを仕事に使わせてもらったことがある。
タイガースはDeNAにFA移籍を決めた大和の人的補償として尾仲祐哉を獲得した。
何と今季デビューしたばかりの22歳の新人投手だ。これには驚いた。
プロテクトから外れていたのを球団が金本に報告し、即決だったという。
私もよくは知らないが、150キロを投げる速球右腕だそうで、何よりも若い。
そして、あのロペス、筒香、宮崎の3発サヨナラ試合の時の勝利投手だ。
そういう勝運も持っているのではないか。
出身は福岡。本人も上京して一年後に縦じまを着るとは思いも寄らなかっただろう。
DeNAの大和ともども、タイガース尾仲もぜひ頑張ってもらいたい。
2017.12.12(火) TSUTAYAでレンタルCD
音楽は車の中で聴く程度になって、私の生活の潤滑油でさえなくなっている。
おそらく音楽をまったく聴かないで過ごす日が一年の大半なのではないか。
しかし、こんな毎日を送っているのは私だけだろうか。
十年以上CDを買ってないなどとの声はざらに聞く。
駅前の路面からレコード屋は消え、巨大ショッピングモールからも消えつつある。
(レコード屋といういい方は古いのか、個人的にCDショップは馴染まない)
依然として音楽産業という巨大マーケットは存在しているはずなのに、
この現象はどうしたものか。
確かにCDショップで音楽を買うことが、産業に寄与する時代でもないのだろうが、
実店舗にて売り手と買い手で売買が成立するのが市場経済というものではないのか。
私は一応中島みゆきのニューアルバムはリリースされれば必ず買い続けている。
好きなアーチストと寄り添うのにCD買ってコンサートに行く以外、何があるのだろう。
さてSHIBUYA TSUTAYAでCDをレンタルした。
沢田研二、チェリッシュ、ピンキーとキラーズ、宇崎竜堂、エンニオ・モリコーネ。
相変わらず趣向が昭和チックであるのは横に置いといて、
CDを買うのではなく、借りることも今ではあまりイケていない行為のようだ。
現実、CDのセル市場以上に、CDレンタル市場は縮小の一途を辿っている。
今や音楽は買ったり借りたりするものではなく、ネットから拾うものになったか。
かつてCDレンタルで商売をやっていた経験を話せば、
JASRACや芸団協に相応の使用料を支払うため、それほど美味しい商売ではなかった。
それでも90年代はBeingや小室哲哉のブームがあり、ミリオンが連発していた頃で、
十二分に集客を稼げた。CDでお客を集めてVHSで儲ける構図が成り立っていたのだ。
何だかんだいっても映像より音楽の方が市場規模は大きかったのだと思う。
巷から音楽が消えていく。「日本有線大賞」も終焉を迎えた。
実は23日の天皇誕生日の祝日に沢田研二のコンサートに行ってくる。
歌謡曲華やかりし頃のスーパースターの熱唱に私は何を思うのか。
そんなことを考えながらi-phoneにジュリーの歌を同期させるのだった。
2017.12.13(水) 渋谷でパンクな夜
「渋谷でパンクな夜」といっても、私が渋谷でパンクな体験をしたわけではない。
パンクと聞くと頭脳警察が頭に浮かぶアナクロオヤジが、
渋谷のヒューマントラストシネマでパンクの映画を観たに過ぎない。
渋谷の街も、パンクもあまり馴染みがなく、むしろ苦手だ。
『パーティで女の子に話しかけるには』がどんな映画なのかは知らなかった。
今、映画の内容を知らないで観る面白さにハマりつつあるが、
観る前はタイトルで高校のマセ餓鬼どもの恋愛映画くらいに想像していたと思う。
だからこの映画の背景にパンクミュージックがあることすら知らなかった。
知っていたら観に行ったかどうかわからない。なにせ頭脳警察止まりなのだ。
パンクのライブシーンで『ヘドヴィク・アンド・アングリーインチ』を思い出す。
映画を観終わってから同じ監督だったと知って驚く。15年目の既視感だ。
ところが主人公がひと目惚れしたカノジョが異星人だったという展開に更に驚く。
こういう驚きは映画を観ながら絶対に必要なこと。予告編など観ないに限る。
そのカノジョは48時間以内に異星に戻らなければならない
ここからパンクが一転してラブ&ピース展開となっていく。
パンクは衝動、破壊、反社会のイメージ。こんな展開でいいのかと思いながら、
カノジョにとって、異星の規律から逃れることがパンクなのだと納得した。
原作者のコメントがいい。「異性が“異星人”に思えたあの頃の甘酸っぱい恋の物語」
私の場合は“異星人”を“大人”に変えると実にしっくりくるのだが。
2017.12.14(木) 一服吸い終わって
灰皿がもくもく煙を吐いていた。
小田急線で帰るときには必ず立ち寄る新宿西口の喫煙エリア。
気の利く喫煙所なら水の容器が備えてあるのだが、見当たらない。
かったるそうにしているカップルが煙が立ち上る灰皿を見ながら。。。
「なんか煙すごくね?こっちにきてんよ」
「お前が場所移ればいいじゃんよ」
「え?、それめんどさくね、消しなよ」
彼氏は健気にもカバンからペットボトルのお茶を灰皿に撒く。
「ダメじゃん、全然消えてなくね」
その彼女の口調を聞いているとだんだん腹が立ってきた。
一服吸い終わって去り際、思わずつぶやいてしまった。
「まったく、、、ちゃんとした日本語で話せまいや」
・・・・・話せまいや、ってなんだよ。
2017.12.15(金) 忘年会の夜
仲間同士でワイワイやる忘年会は楽しいが、
これが行事で得意先を集めての職場主催の忘年会だと楽しいばかりではない。
接待も趣向も考えなくてはならないし、何より段取りが面倒くさい。
この年の瀬の大忙しの時に、わざわざ集まって年を忘れる酒宴などどうかしている。
そもそも「週末は忘年会なので、今週は残業お願いします」は変すぎないか。
それでも人が集まり、酒が入ると気分はアガる。
毎年、ビンゴゲームの司会をやらされるが、今回は時間短縮のためくじ引きとなり、
そこで一万円のギフト券をゲット。
アガった気分に一万円。それだけで今年はいい忘年会だったなどと思っている。
2017.12.16(土) 糖尿病と診断されました
母親と一緒に病院へ行き、一緒に血液検査をし、一緒に診察室に入る。
「あそこが痛い、ここが痛い、体調が思わしくない」と訴える母に主治医がいう。
「お母さん、まったく問題もないですよ、それより心配なのは息子さんの方だ」と。
血糖値152、HbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)7.0%
もう予備軍ではない。立派に一軍昇格だ。いよいよ投薬治療に入る。
職場で4人ほどインシュリンを打っているが、それだけは避けたい。
毎日、指から血を出して血糖値を計る日々など真っ平だ。
どうせ人間は死ぬのだから美味しいものを食って死のう!などといってられない。
糖尿病では死ねないのだ。恐ろしいのは合併症。
もしHbA1cが8.0%を超えると合併症のリスクが一気に高まる。
例えば8.4%を超えたまま5年放置していると、
両足の痺れが始まり、感覚が麻痺し、痛みに変わる。
7~10年程度で、視力が低下し、最悪の場合は失明(年間3500名以上)。
さらに心筋梗塞、脳梗塞、足が腐って切断が年間3500名以上。
10~13年程度で腎不全となり人工透析が年間14000名!以上。
人工透析を怠ると約2週間で死亡。透析患者の半数は5年で死亡。十年でほぼ全滅。
……何とも凄まじいばかりの数字が並ぶ。
糖尿病で悩む人たちが多いことは知っていたが、自分は無縁と思っていたし、
糖尿病は尿検査で判定されるものだと思っていた。つまりはあまりにも無知だった。
主たるは血液の病気ならば、病名に「尿」の文字は外してもらいたい。
ヘモグロビン・エーワンシーか・・・・・。よくおぼえとこう。
2017.12.17(日) ポップコーンをほおばって
甲斐バンドにそんなタイトルの歌がありました。
今日は午前十時の映画祭で高倉健サンの『夜叉』を観て、
実家で用足し、親父と会った後、夜にまた同じ映画館に行って2本観て来た。
『オリエント急行殺人事件』と大林宣彦最新作『花筐 HANAGATAMI』。
朝と夜にポップコーンを食べる。ポップコーンは映画を観る時は必須になった。
私は塩のみのシンプルなポップコーンが好きだ。バターもいらない。
バターは高脂血症に良くないだろうし、キャラメルは血糖値に障りそうだ。
ならば塩味も高血圧によくないのか。結局ポップコーンを朝昼で喰うなということか。
もう真っ暗闇じゃござんせんか。
・・・・映画館だけにね。
2017.12.18(月) 高倉健主演『夜叉』と1985年
実は80年以降の健サンの映画はあまり好きではない。
任侠ヒーローの繰り返しで同じようなキャラクターばかりやらされて、
それが嫌で東映を飛び出しにも関わらず、ほぼ同じような役柄で生涯を終えてしまった。
よってたかって健サンは寡黙でストイックな男のイメージを求められ、
役柄がやくざでないだけで、刑事をやっても居酒屋の主人をやっても全部同じ。
殆んどの観客はそんな寡黙な男を愛し続け、健サンも誠実に応えていったのだろう。
結果的にどんな内容でも高倉健というジャンル映画になってしまうのだが、
私にいわせれば、やくざ役者時代の健サンの方がずっと自由で開放的だった。
そこで60年代の『男の掟に明日はない』『新・網走番外地』から健サンと組み続け、
『冬の華』で頂点に達した降旗康男が、再び健サンをやくざに仕立てたのが『夜叉』。
寡黙な男の心に暴力に抗いきれない狂気を見出すテーマは悪くない。
また、それを一定のスケール以上にこなせられるのも健サンしかいない。
しかし本作の脚本はかなり異様だった。
漁師として暮らす男が、浮気した女に頼まれて殺人マシーンに変身する。
そこには男の美学も義理も人情もない。背中に掘った夜叉がそうさせるのか。
刺青を背負ったやくざな健サンがスクリーンに帰って来たのに、何だかおかしい。
まるで主人公に感情移入できないのだ。
主人公を翻弄する田中裕子、翻弄されるいしだあゆみ、ふたりとも素晴らしい。
とくに当時の田中裕子の存在感は絶品。本当の「夜叉」はこの女だと思わせる。
正直言うと『夜叉』については殆んど記憶になかった。
記録によると初見は1985年9月7日、新宿コマ東宝とある。
そうかこの翌週には東京体育館で猪木と藤浪の師弟対決の大一番があり、
翌月には21年ぶりの阪神優勝を神宮球場で観ているのだった。
『夜叉』の記憶が消えてしまったのは致し方なかったかもしれない。
32年前ともなるとそういうことなのだろう。
2017.12.19(火) Murder on the Orient Express
アガサ・クリスティ原作のミステリー中の名作ミステリーにして、
シドニー・ルメット版から43年ぶりのリメイク。
ルメット版は初見がテレビで、去年ようやく劇場で観たばかりだった。
今回は内容を細かく理解したいため、日本語吹替え版を探した。が、見つからず、
字幕版での観賞となったのだが、今は日本語でなくて良かったと思っている。
ケネス・ブラナーは『ワイルド・ワイルド・ウエスト』のマッドな博士の印象だったが、
大変なシェイクスピア役者であり、実績十分の映画監督でもあると知る。
まったくこんなレヴューを書きながら私の無知も甚だしい。
そのブラナーが監督兼任で名探偵エルキュール・ポワロを演ずる。
原作を読んでいない身でルメット版と比較するのもどうかと思いつつも、
ことポワロに関してはケレン味たっぷりのアルバート・フィニーがあまりに強烈だった。
一方のブラナーはシェイクスピア役者らしい重厚さでポワロを演じている。
そもそも、このリメイク版の色合いではフィニーのポワロでは成立しない。
何せこの新作ではポワロが列車の屋根を走り、銃撃戦まで展開してしまうのだから。
そして最後にポワロはある決断を迫られ、自己矛盾に苦悶することになる。
トリックの謎解きを映画のクライマックスにせず、
何を以て善とするか悪とするかの決断を最大の見せ場に持ってきた。
「生きるべきか死ぬべきか」的な葛藤はまさしくシェイクスピアそのもので、
なるほどこういう結末だからこそのブラナーなのだとも思った。
エンドクレジットでブラナーは製作にも名を連ねていたのは案の定だったか。
おっ、リドリー・スコットの名も。さて次は本当にエジプトに行くのか?
2017.12.21(木) 大林宣彦、渾身の新作~『花筐/HANAGATAMI』
昔、上役から「話が抽象的でわからん、もっと具体的に」と注意されたことがあった。
枝葉を述べてもわからんだろうから、抽象化して理解しやすくしたつもりだったが。
『花筐/HANAGATAMI』は随所に抽象的なイメージが出てくる。いや氾濫している。
しかしそこに浮かびあがって来る大林宣彦のメッセージは何より明解だと思った。
今、調べたのだが「筐」とは目を細かく編んだ竹かごのこと。
勝手に「形見」のことだと思っていた。
肺がんで余命僅かを宣告された大林宣彦80歳の形見のような映画。
まこと勝手な解釈だが、戦火の時代に生きた若者たちの「形見」の映画には違いない。
『この空の花~長岡花火物語』『野のなななのか』に次ぐ、「戦争三部作」と聞く。
大林本人は「周りが勝手に括っているだけ」とラジオで否定していたが、
それだけ作品の分類がなされるほどの映画作家であるのだろう。
『花筐/HANAGATAMI』は渾身の映画だったと思う。
“プロのアマチュア”の真骨頂だったとも思う。
初期作品のように人工的な映像処理で、ファンタジックな色合いとなっているが、
前二作もそうだが、ありし日の青春を描くことそのものが既にファンタジーであり、
昔はややもするとファンタジーが物語の本質から浮いて邪魔に思えたものだが、
今はむしろファンタジーに描かれれば描かれるほど、テーマの本質に迫って来る。
ありし日の青春と書いたが、3人の男子学生の演者はみんな薹が立っている。
アナーキーな衝動を抑え虚無に耽る吉良を演じた長塚圭史など42歳だ。
42歳が17歳を演じたって映画だからそれでいいのだが、
これが一種不気味なグロテスクなアクセントを映画にもたらしている。
これは確信犯のようでもあるが、すべて大林の感覚なのだろう。
そう思うと『花筐/HANAGATAMI』そのものが感覚のまま撮られているように思える。
そして、その感覚を次々と絵にしていくことに大林は一切の躊躇をしない。
躊躇がないので、ときには思いのたけが暴力的に縦横無尽に連鎖していく。
花束から落ちた赤い花びらが喀血のイメージとなり、赤ワインの染みとなり、
少女の白い足をつたう月経の血となり、血液を吸う吸血鬼のイメージに結びついていく。
全裸で砂浜を馬で駈けるシーン、崖から大きな月が少女を覆ってしまうイメージ。
もちろん取捨選択はしたのだろうが、合成を合成とわかるような画面作りに、
どうせ俺の個人映画だ、俺が好きに撮らなくてどうする?との昂揚感が伝わってくる。
私なりの結論としては「余命宣告された大林の死生観の大噴出」につきるのだが、
死生観といっても、もともと生者と死者に境界を引かない監督なのでユーモアもある。
だから、お馬鹿男子学生にありがちな「しょーもなさ」で笑わせる映画でもあった。
ただ「しょーもなさ」を無残に奪い取る戦争憎しの映画と纏めてしまってはつまらない。
それはあくまでも言葉での解釈でしかない。大林宣彦は稀代の映像作家だ。
私がレヴューに「 “映画ざま”を拝むように呑み込むしかない」と書いたのは、
『花筐/HANAGATAMI』が言葉での解釈を無意味にした映画だと思ったからだ。
今年は30年ぶりの邂逅だった『転校生』をはじめ、未見の何本かを観る機会を得た。
そして年の瀬に『花筐/HANAGATAMI』を観たことは幸福であったに違いない。
2017.12.21(木) 女性監督が充実している
このところの日本映画は、女性監督が躍動しているように思う。
すぐに思いつくのが河瀬直美、西川美和、安藤桃子、蜷川実花だが、
『彼らが本気で編むときは、』の荻上直子と、
この『幼な子われらに生まれ』の三島有紀子。
私の今年度の日本映画ベスト5に間違いなく入るに違いない秀作だった。
すでに“女性作家”は小説、脚本、コミックでは男を超えているのかもしれないが、
長い間の撮影所システムは女性監督の輩出する余地を与えなかった。
なにせ戦前、戦後の撮影所はやくざ者が普通に出入りする寄場そのままだった。
時代は変わり、今、ようやく女性監督が輩出される環境が整ったのかもしれない。
『幼な子われらに生まれ』は重松清の原作に脚色が荒井晴彦。
おそらく普通に撮ればそこそこ面白い映画にはなるのだろうが、
男が書いた筋書きを一旦、女の視点で咀嚼することで、更に厚みが増したのではないか。
三島有紀子のインタビュー記事を読む。
興味深かったのは「台詞は一度すべて忘れてください」と指示したこと。
寺島しのぶから「あなたは理由は聞くけど、気持ちは聞こうとしない」といわれときの、
浅野忠信の呆気にとられた表情も脚本を振り切った結果の効果だったのだという。
男を描く時も、共感や慣れ合いがない分、容赦しないことの説得力というか、
私から見れば浅野忠信も宮藤官九郎のダメっぷりが実にリアルで面白かった。
三島有紀子はNHKのドキュメンタリー出身とのことだが、
ドキュメンタリーの手法で現場で芝居を付けて行くやり方は実に頼もしい。
とにかく次回作が楽しみな監督を見出せたことは大いなる収穫だった。
2017.12.22(金) 40分並んで年末ジャンボ
年末ジャンボ宝くじ最終日。「残りものには福がある」とばかりの行列。
冬至の凍てつく新宿西口。宝くじ小田急前売場に40分も並んでしまった。
売場にはド派手な看板が運気を煽るように立て掛けられている。
「億万長者31人誕生」「大当たりの名所」「開業65年一等当籤新宿一番」
別に縁起を担ごうとこの売場に並んだわけではない。
母親から1万円預かっていたので買わないわけにはいかず、
グダグダと最終日になってしまい、迫る締め切り時間に思い出したのがここだった。
そもそもこの人だかりを見ていると億万長者31人が多い数だとも思えず、
しかも開業65年といわれると、果たして確率はどんなものなのだろうとも思う。
そもそも今回の年末ジャンボは一等前後賞合わせて10億円というのがウリだが、
ではこの齢になっていきなり10億を手にしてどうするのだろう。
これが30代なら「よっしゃ一丁会社を起こすか」となるのかもしれないが、
老親を抱えた独身中高年となると、さてどうしたものか。
夢を買うつもりで、現実を見つめてしまうとは何とも情けない年の瀬ではないか。
2017.12.23(土) 沢田研二 50周年記念LIVE ~パシフィコ横浜国立大ホール
3階席から双眼鏡のピントをステージに合わせる。
昔、聴いたヒット曲を熱唱するヒゲ面で小太りなジイさんを見ながら、
改めてこれが本当にあの沢田研二なのか、あのジュリーなのかと何度も疑ってしまう。
しかし耳に馴染んだヒット曲を以前と変わらぬ艶のある声量で聴いているうちに、
69歳になってルックスよりレコードと同じ歌声を維持するシンガーの凄味を思う。
むしろ声質は加齢ともに艶を帯びて、色気さえ増しているではないか。
もしかすると沢田研二は歌謡界のプラシド・ドミンゴになったのかと思う。
しかしドミンゴは飛んだり跳ねたり、舞台を右から左へ駆け抜けたりはしない。
もちろん小太りジイさんは高くは飛べないし、駆け抜ける格好も無様に近く、
♪君だけに~ と指さすポーズがOB戦で投げる江夏豊を思い出させもした。
ただ間違いなく70年代から80年代と、沢田研二ほど美しい歌手はいなかった。
ルックス、表情、指の先までジュリーのファンタジーとして完成していた。
YouTubeで「サムライ」を見ると「アホか」というくらいイケイケに美しい。
そこでまた三行目のフレーズに立ち帰ってしまう。
「これが本当にあの沢田研二なのか、あのジュリーなのか」と。
デビュー50年。沢田研二69歳。ここまで来てしまった歳月の流れ。
シンガーの凄味に触れ、歳月の流れを思い、そんなことが頭の中で混ざり合い、
それをすべて呑み込んで今の沢田研二の「歌いざま」なのだと確信した時に、
もう涙が溢れて出て来て止められなかった。最高だぜジュリー!
オープニング、スクリーンが降りて来て2歳の頃の写真が映し出され、
それからザ・タイガース時代、一世を風靡して時代の寵児に駆けあがった全盛時代。
そして現在の白いヒゲを蓄えた沢田研二が映されて、会場から大拍手が起こる。
私の周りにいる還暦過ぎのオバサマたちは、とっくに今のジュリーを受け入れている。
この50周年コンサートツアーは全国60か所。そして50曲を歌い上げる。
思えばドーナッツ盤からCDに替わったあたりでジュリーは一線から消えた。
だからテレビ放映された還暦ドーム公演までのジュリーの遍歴を知らなかった。
その時もぶくぶくに太ったジュリーにたまげたものだったが、さらにそれから十年。
一曲歌い終わるたび「ありがとう、サンキュー、ありがとうね」と頭を下げるジュリー。
しかし往年のヒット曲をオールドファンと分ち合う懐メロ歌手ではなかった。
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あなたに今夜はワインをふりかけ/君だけに愛を/自由に歩いて愛して/僕のマリー/青い鳥/green boy/あなたへの愛/許されない愛/追憶/サムライ/君を真実(マジ)に愛せなくては他の何も続けられない/ス・ト・リ・ッ・パ・ー/ヤマトより愛をこめて/MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE/明日は晴れる/コバルトの季節の中で/君をのせて/憎みきれないろくでなし/時の過ぎゆくままに/勝手にしやがれ/愛の逃亡者 THE FUGITIVE/アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千一夜物語~/STEPPIN' STONES/CHANCE/ラヴ・ラヴ・ラヴ/灰とダイヤモンド/LOVE(抱きしめたい)/TOKIO/ウィンクでさよなら/危険なふたり/ダーリング/麗人/SPLEEN ~六月の風にゆれて~/きわどい季節/鼓動/忘却の天才/ポラロイドGIRL/Pray~神の与え賜いし/un democratic love/こっちの水苦いぞ/ISONOMIA/シーサイド・バウンド/おまえにチェックイン/サーモスタットな夏/晴れのちBLUE BOY/6番目のユ・ウ・ウ・ツ/愛まで待てない/ROCK'N ROLL MARCH/そのキスが欲しい/永遠に/いくつかの場面/
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セットリストをネットから引用したが、50曲中、私の知らない曲が半分あった。
新曲もある。その新曲でワンフレーズ飛ばしてしまい、歌い直すハプニングがあった。
「もうジジイなんで勘弁してください」と笑いを誘う。
願わくは「カサブランカ・ダンディ」「魅せられた夜」「酒場でDA・BA・DA」
このあたりも聴きたかった。
コンサート会場でテレビで聴いた曲をライヴで直に聴くのは嬉しいものだが、
沢田研二の楽曲はその思いの究極ではないかと思うのだ。
それでも残り半分の知らない曲はどれも良かった。
そう、かつて「夜のヒットスタジオ」で新曲を披露していったように。
半分はジュリーの新曲だと思えばいい。なにより歌唱の素晴らしさが圧倒的だ。
来年はいよいよ古稀。また70歳の全国ツアーをやるのだという。
「今回が冥土の土産の見納めだと思って来た人も大勢いらっしゃると思いますが、
来年はいよいよ古稀ですから、いまよりもっと大きな所でやりますよ~!」と、
5000人満員の大ホールを大いに湧かせてステージを後にする。
確かに日本の歌謡史を代表するスーパースターだったには違いないが、
歌謡曲という、いちジャンルを離れて頭の先からつま先までシンガーそのものだった。
同じパシフィコ横浜の展示場では福山雅治のコンサートもやっていた。
みなとみらいが凄いことになってるな。と、熱気の余韻を冬の夜風で冷ましていた。
2017.12.24(日) そういえば今日はクリスマスイブ
きらびやかなイルミネーションに、もう驚くこともなくなった。
むしろハロウィンの方が派手になったような気もする。
もともとクリスマス的なものに浮足立つことも、溶け込むこともなく、
決定的な出来事が過去にあったわけでもないのだが、
今、沢田研二の歌をBluetoothスピーカーで飛ばして、
コンサートの余韻に浸りながら年賀状を作っていると、
なんだか気分がメリークリスマスな気分になってくる。
・・・地味だけどね。
2017.12.25(月) 新幹線のぞみ重大インシデント
ま、私の箍が緩んだところで、ちょっとばかり仕事で迷惑かける程度だが、
新幹線の鋼鉄製の台車に亀裂が生じるとなると、迷惑では済まない。
あわや脱線寸前の事態となっていたらしい。
今、様々な事案で日本の技術の信頼がゆらいでいるが、
頼むから新幹線だけは安全を保って欲しい。
昭和39年の開通から死亡事故ゼロを継続しているのは凄いと思うが、
二本のレールの上を鋼鉄の箱が時速300キロの猛スピードで走っているのだ。
一度、事故が発生したらもう取り返しのつかない悲劇となる。
技術的なこともさることながら、指示が錯綜し、当事者同士で責任を譲り合う。
結局「人」の問題なのだ。
幸いにして重大事故に至らなかったことを幸運として、
乗客を避難させる事態が起こり、それが空振りに終わったとしても咎めることなく、
乗客もそれを鷹揚と受け止める風土を熟成してもらいたい。
2017.12.26(火) 胸が痛くて
一週間前くらいだろうか。入浴中にろっ骨を痛めた。
何故、入浴中に肋骨を?と思われるだろうが、つまらないことなのでそれは割愛。
その右胸の痛みが最初は鈍痛だったのが、ピンポイントで鋭い痛みなってきて、
咳やくしゃみなどしようものなら飛びあがるほどズキンとくる。
もしかしたら折れてないまでもヒビでも入っているんじゃないかと、
同僚たちに勧められるまま病院に寄ってレントゲンを撮ってもらった。
結果はあばらの骨折はなかった。ヒビまではレントゲンではわからないらしい。
ヒビが入っていたら3週間は我慢しなければならない。
この年の瀬にトホホな話ではある。
肋骨の痛みが厄介なのは咳やくしゃみもさることながら、なにより就寝中だ。
寝返りを打つたびに痛みが走って目が覚めてしまう。
それでただでさえ睡眠障害気味なのに、ますます寝不足に拍車がかかっている。
帰りはロマンカーで帰宅したのだが、寝過ごしてしまう。
町田で降りるはずが起きたら秦野。ほぼ倍はロマンカーに乗っていたか。
車掌によるチェックがなく、追加運賃を無駄に取られる憂き目は逃れられたが、
階段を上がって向かいのホームに行く時の情けなさったらない。
大体寝過ごしたおかげで、やろうとしていたことが吹っ飛んでしまったではないか。
頭に来たのでHungry Tigerでハンバーグをダブルで食ってしまう。
いやはや食った食った。思わずゲップが出る。
「痛っ!」・・・・畜生、ゲップでも胸がズキンとくるのか。
2017.12.27(水) 箍が緩む
「箍が緩む」と書いて「タガが緩む」と読む。
使用しておいてなんだが、初めて見る字。
書けはしない。コピペなんてそんなもの。
昨日は新宿からロマンスカーに乗って、秦野まで寝過ごす。
3駅も通過してしまった。これで計画していたことがおじゃん。
朝はスマホを部屋に忘れて出勤。不携帯だと途端に不安になる。
何だかパッとしないまま年を越しそうな予感だ。
どうも我ながらタガがゆるんで困る。
・・・・ん?タガはゆるむのではなく、外れるものだっけか。
2017.12.28(木) 仕事納め
年に一度の仕事納め。
今年の仕事も終わりか、、、という高揚感はあるのだが、
締めの飲み会の準備が毎度アホらしく思えてならない。
せっかく大掃除を済ませたというのに、まだぞろデスクを移動し、
ビール、焼酎、日本酒に紙皿を並べ、寿司にオードブルに乾き物をセットする。
大掃除の後で生ゴミの大量生産だ。
さらに中締めを頼むと指名され、
「我々の発展と皆様のご健康を祈念しまして、“三三七拍子”で締めたいと思います」
とやってしまう。
応援団じゃないんだからとツッこまれ、“三本締め”と訂正して笑いをとる。
まぁ、最後に笑って終われたのだから良しとしましょう。
いよ~シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン
お疲れさまでした。
2017.12.29(金) メリークリスマス、ミスター、ローレンス!
かつて『戦場のメリー・クリスマス』は都内有数の大劇場、新宿ミラノ座で観た。
こんな大きな映画館で大島渚がかかったのは前代未聞であったろう。
映画は大ヒット。しかし正直、封切りの時は面白いとは思えなかった。
それでもデヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしのキャスティングには驚いた。
初めにラジオでキャストを聴いたときはそれこそぶったまげたことを思い出す。
最初の候補だったロバート・レッドフォード、三浦友和、緒形拳とは大違いで、
全員が本職の俳優でないことで、「戦メリ」が変な映画になったのは確かだろうし、
「戦メリ」を「戦メリ」たらしめた衝撃性を獲得したのも確かだったに違いない。
改めて見直すともう最高のキャスティングだった。
ヨノイ大尉、ハラ軍曹を演じるために彼らは存在していたのだとさえ思えるほど、
坂本もたけしもセリフは下手だったが、表情がとにかくいい。
ボウイ扮するセリアズ少佐の回想シーンなんてまったく忘れていたが、
寄宿舎で弟への過ちが、ヨノイを惑わす暗い影となっていたのだと今はわかる。
しかし忘れてはならないのがロレンス中佐を演じたトム・コンティ。
彼の堅実な演技が、危うい方へ流れそうな映画にどれだけ歯止めをかけていたことか。
ラストのたけしの名ゼリフもトム・コンティの受けの賜物だったろうと思う。
冒頭から坂本龍一の名曲を聴きながら、大島渚の語り口を大いに堪能した。
2017.12.30(土) 今年一年も何だかんだと遊んだよ
今年一年のあれやこれやを振り返る時期にさしかかったか。
週末に親父に会いに行くという基本ローテーションがある中でも、
そこは花の?独身貴族。隙を見て何とか遊びの時間は確保できた気もする。
週末の朝と平日の夜の時間に映画を112本観た。80年代後半の水準か。
スタートは『この世界の片隅に』。
好きが高じて呉まで出掛けて観るというやんちゃをやった。
久々にオールナイトで朝までウディ・アレンを計8本堪能し、
懐かしの藤田敏八と今もなお現役の大林宣彦も楽しんだ。
寺社めぐりの旅も年の初めの岡山から尾道~広島。5月の新潟、佐渡。
10月の関西、11月の静岡と一昨年ほどではなかったが、161箇所をめぐった。
球場へも14回。最後は泥塗れの甲子園に遭遇して、また語り草が増えたか。
大相撲を春と秋に見物。春の茂山家の狂言会に先日のジュリーのコンサート。
さて晦日の夜は実家でなんとはなしに「輝く!日本レコード大賞」などを見て、
知らない歌手の知らない歌で思いっきり盛り下がりつつ、
親父のいない実家で母と田舎から送られた塩引きの鮭でご飯をかっこむ。
仕事は相変わらず不穏な空気で、雲行きは常に危うく、視界不良なれど、
今年もそんなこんなで何とか年を越せるだろう。
そして来年も絶対に隙を見て遊んでやる。と思うのであった。
以上が今年の楽しかった思い出か。
そうだ、今年の初めに松方弘樹が、渡瀬恒彦が逝ったな・・・・。
2017.12.31(日) 自分自身より家族がいろいろあった一年
こういうことを書くと非常に白状なのだが、
親父を病院から施設の入居させたのは千載一遇の機会をとらえたのだと思う。
それだけ親父の存在は母と私のストレスだった。
親父は相変わらず「いつまでここに居るんだ?」とぼやくこともあり、
まだ俺は一人で何でも出来ると過信しているが、確実にボケは進んでいる。
車椅子で食堂に行く以外、日がな一日をテレビを見ながら寝て過ごせばそうなる。
最近ではその食事した記憶も覚束なくなったようで、
誰もいない食堂の前でドアが開くのを待っているのだという。
想像すると何ともいたたまれなくもなってくるが、
それを含め、施設でヘルパーさんが親父の世話をしているのを見るにつけ、
母や私に同じことをやれというのは絶対に無理なこと。
母が何とかホッとした一年を過ごせたのは、親父を実家から出せたことに尽る。
こんな具合にこの一年最大の“出来事”は親父の施設入居だった。
それに感謝しなければならない。
週末に母を車に乗せて親父に会いに行くくらいは当り前のことか。
その当り前がストレスになりつつあるのだから、まったく親不幸な話で情けない。
「情けない」で締める一年もどうかと思うが。
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