■2018.03

日めくり 2018年03月(平成30年)       



2018.03.01(木) 春一番と猫柳

昔の話だが、春嵐が吹き荒れる日に外回りをしていると、
必ずカーラジオからキャンディーズの『春一番』が流れて来た。
カレンダーがめくられた日に春一番が吹くとは実にタイムリーではないか。
「♪春一番が掃除したてのサッシの窓に~」で始まるのは『微笑がえし』。
実は名曲『春一番』に「春一番」のフレーズは出て来ない。
「♪雪をはねて猫柳が 顔を出します」の歌詞に出てくる「猫柳」。
ふと猫柳ってなんだろと思い、調べてみた。
柳の木の亜種ではあるが、花穂が猫じゃらしに似た植物だと知る。
天才バカボンの「♪柳の枝に猫がいる~」はそれほどナンセンスでもないのか。
しだれ柳ばかりが柳ではなかったのか。って、今さらかと思われるか。
昨日まで寒空に震えていたのが、こうして猫柳に思いが至るのも春だから。
因みに猫柳の花言葉は「自由」。やはり名曲は奥が深い。


2018.03.02(金) 奔走

別に駆けずり回ったわけではないが、
久々に午前、午後と外回りをした。
見上げれば雲ひとつない真っ青な空。
例えばピンクの花をつけている河津桜に唐突に出くわすと、
普段は味わえない季節の移ろいに出会えた気分になる。
考えてみると50代に入ってからずっとオフィスに籠っている。
それが外に出るとなるとそれなりに喫緊の事情はあるのだが、
やっぱり歩きまわってこそ仕事なのだと思ってしまう。
花粉で目が痒くなって困ったとしても。


2018.03.03(土) 私の脳の中

「脳の中」といっても、私の思考やら志向のことではなく、
そのものズバリ、今日受けて来た脳のMRI検査の結果について。
恐ろしいことに脳梗塞の跡が見つかった。
「隠れ梗塞」などともいうらしいが、
隠れでもなんでもない、実際に脳梗塞を起こしていた。
ただ詰まったのがマヒを生じさせる場所ではないのが幸いだった。
確かにある時、突然、呂律が回らなくなったり、
足元のバランスを崩したり、それなりの自覚はあった。
さらに一緒に行った超音波検査ではいくつかの血管の狭窄も見つかる。
その狭まった血管の幅から動脈硬化の予備軍ともいわれた。
もう病院に行くたび、病症が増えていく。
医師からはHbA1cの数値を常にチェックしておきましょうといわれ、
改めて糖尿の怖さを思い知らされた次第。
ひな祭りの喜ばしい日だというのに…。でも今日は仏滅か。


2018.03.04(日) 朝の小津、イーストウッドの夜

「午前十時の映画祭8」も何とか完走した。
最後は小津安二郎『麦秋』。小津と原節子による“紀子三部作”の一篇。
『麦秋』は20代の時に2度観て、今回30年ぶりの観賞となったのだが、
これが凄ぶるつきの面白さ。そもそも『麦秋』ってこんなに面白かったっけ?
20代の私は『麦秋』の何を観ていたのだろう。
平たくいえば原節子と淡島千景のカールズトークだけでも十分に面白い。
時は昭和26年。まだ戦後間もなく、まだまだ日本も貧しかったであろうに、
ブルジョワ趣味だと批判されようが、その屈託のなさは心の底から楽しい。
もちろんハッピーなだけではない。戦争の傷跡もそこかしこに暗喩されている。
戦争に二度も招集された小津だ。大陸でそれなりの地獄も見てきたに違いない。
菅井一郎が北鎌倉のホームで通り過ぎる横須賀線を達観したように眺める姿に、
やがて離れ離れになっていく家族を予感させる。なんて名作なのだろう。
日中は例によって実家から父親が入居する施設へ。
相変わらず「俺は一体いつまでここにいるんだ」と問い詰めらてくる父。
酷く深刻な状況も毎度聞かされると「またか」となってしまう。
今はこんなことも家族の日常風景なのかもしれない。
夜にはクリント・イーストウッド最新作『15時17分、パリ行き』を観る。
中学一年からのファンなので、私のイーストウッド好きもすっかり年季が入った。
87歳の巨匠が3年前のテロ事件を描くという。
ずっと実話の映画化が続くイーストウッドだが、今回の映画化には度肝を抜かれる。
テロに遭遇した当事者たちをそのまま主役に起用するという前代未聞の発想。
まさに無双。しかし映画の可能性を追求して止まない“映画脳”の若いこと。
そして完成した映画はとんでもない傑作だった。
当事者出演は前作『ハドソン川の奇跡』のときに感ずるものがあったのだろう。
しかしあの映画は所詮トム・ハンクスによるスター映画であり、
緻密に計算されつくした作劇に正直、物足りなさも感じていたのだが、
この『15時17分、パリ行き』は完成度をまったく想定しない面白さに満ち溢れていた。
そうイーストウッドの映画は『荒野のストレンジャー』『ペイルライダー』など、
どこか奇妙な世界観を卓抜した演出リズムで見せ切るところに魅力があるのだ。
その中でも『15時17分、パリ行き』の世界観は超ド級の奇妙さだった。
やっていることは本人主演の再現VTR。
普通の若者たちの普通の旅が延々と再現される。
しかしそのヨーロッパ旅道中のなんでもない描写が不思議と面白く、飽きさせない。
なんでこんな普通の若者たちの旅日記が、面白いのだろうと思った時、
例によってイーストウッドの演出リズムと私の鼓動がシンクロしているのを感じる。
私がイーストウッド映画に魅かれるのはこのリズムの同期に他ならない。
そして運命の15時17分パリ行きの高速鉄道タリスに乗り込む三人。
仮初のヒーローを演じ続けてきた男が問う、本当のヒーローの価値とは何か。
早くも私の今年度ベストワンが確定してしまったではないか。


2018.03.05(月) アカデミー賞に『シェイプ・オブ・ウォーター』

今回のアカデミー賞に関しては唯一期待していたのが長編アニメ部門。
しかし『この世界の片隅に』が候補にも上がらなかった時点で「けっ」となった。
ディズニーとピクサーでたらい回しをやっとけという感じか。
ヒロシマを描くことでハリウッドに嫌われたとの話もあるが、
あの芸術性と卓抜したテクニカルな部分まで黙殺されたのが何とも腹が立つ。
まぁアカデミー賞のクオリティなんてこの程度が限界だろうか。
それでも今年は珍しく作品賞候補に公開されている映画が多かったので、
例年よりは若干、結果を楽しみにはしていた。
昔と違い、今は作品賞候補が9本。少し多すぎる気がしないでもないが。
都合がつかないまま見逃して残念だったのが脚本賞を受賞した『ゲット・アウト』。
ストーリーの面白さは『スリー・ビルボード』と双璧だとの評判は聞いていた。
結局、作品賞は下馬評通り『シェイプ・オブ・ウォーター』が受賞したのだが、
私にいわせれば、あれは絶対に変態映画であり、それ故の面白さは認めつつ、
アカデミー会員が変態映画として評価したとは思えないので、少し解せないでいる。
レヴューを読むと「美しさ」「崇高さ」「ファンタジー」「純愛」の文字が飛び交う。
えっ?だって半魚人とセックスするんだぜ。仇役の指が腐って異臭を放つんだぜ。
オタクなのかフリークスなのか、暴力と流血とFUCKはこの監督の資質なのだろうか。
私には「異形エロ」「妄想」「暴力」「グロテクス」としか思えなかったのだが、
それを突き抜けた美しさまで到達したのかといえば、どうなのだろう。
これは昔にリンチの『エレファント・マン』で感じた世評とのギャップと似ている。
孤独な人物が異形のものに恋焦がれる話は珍しくはない。
共鳴した仲間たちが、迫害される異形を守り抜く話も『E、T.』がそうだ。
しかし孤独な女の発情まで見せる映画はそうないのではないか。
イライザは妄想好きの女として『アメリ』のヒロインに通ずるところがあるが、
『アメリ』の色彩デザインが緑と赤だったのに対し、こちらは緑と青。
同じ緑でも暖色と寒色の違いがあり、両者は好対照の映画になっている。
もし『シェイプ・オブ・ウォーター』を変態映画と認めての受賞ならば、
私は大いにアカデミー賞を再評価して止まないのだが。


2018.03.06(火) 濱田祐太郎、面白かったが・・・

ピン芸人日本一を競う「R-1ぐらんぷり」は、ほぼ全盲の濱田祐太郎が優勝した。
やっていることは、目が不自由な自身の体験を元にした「あるある」ネタなのだが、
それを明るいトーンで溌剌と語られると、変な安心感が湧いて率直に笑える。
「盲学校なのに教室に黒板があるのは、学校としてのプライドでしょうか」
これには飲んでいたコーヒーを吹きそうになった。
どこが面白いのかさっぱりわからなかった昨今の裸芸より数百倍はいい。
もちろんステージと客席に見えないバリアがあることは否定できない。
どうしても障がい者と対峙すると我々健常者(一応)は身構えてしまうものだが、
バリアフリーとはあらかじめバリアがある前提を受けいれて初めて成立する。
「R-1ぐらんぷり」がテレビ芸である以上、
それが現代において「お笑い」の土壌で成立するかどうかの試金石ではないか。
濱田祐太郎にその使命を負わすのは少し酷かも知れないが、
一発屋で終わらず、ずっと芸能の世界に根を張って頑張ってほしいものだ。


2018.03.07(水) どうせ“カフェ中”なら

高血圧になった辺りから酒の量をガクッと減らして久しいが、
その分だけ、コーヒーを飲む頻度が増えた。
昔からコーヒーは好きだったが、今やカフェ中毒になったかもしれない。
おそらく一日5杯は飲んでいるのではないか。
しかも寝る前に必ずコーヒーが欲しくなる。
今やカフェ店ならず、コンビニもファーストフードもコーヒーが格段に旨くなった。
それで日課のようにコーヒーを買って帰宅していたのだが、
どうせ毎日飲むならコーヒーマシンを買ってしまえとなって、Amazonに注文。
マシンといってもごく普通のコーヒーメーカーだが、自分で淹れるのは久々のこと。
いやはや旨い。私はコーヒーの渋みや酸味を味わうより、
マグカップになみなみ注いでガブ飲みしたいので、薄めを意識するのだが、
どうしても濃くなってしまう。
ブラックなので胃に負担をかけないようにしなければ。


2018.03.08(木) 世の中の「大人の事情」

世の中のありとあらゆる場所にはびこる「大人の事情」。
大抵はとても大人のやることじゃない子供以下の事由が多いのだが、
なにか「大人の事情」といわれると免罪符が発行された気分になり、
つい「そりゃ仕方ないか」となってしまう。
むしろ「大人の事情」を呑み込めない奴は大人じゃないみたいな錯覚に陥る。
いやいや仕方ないことなと何ひとつないのだけど。


2018.03.09(金) 米朝協議の気運?

半島情勢が動き始めた。
金正恩がアメリカとの協議を呼びかけ、トランプも乗り気だという。
米韓の動きに「圧力」の二文字を繰り返し続けた日本政府の困惑が見え隠れする。
「圧力」を世界各国に拡散しつつ、水面下で対話を模索していたのならよいが、
どこかに「置いてけぼり感」が漂っているのが実際なのではないか。
もちろん北朝鮮の核の脅威が無くなるのは絶対的に喜ばしいことなのだが、
同時に日本の外交力に大いなる不安を覚えてしまう。
安倍政権が北朝鮮カードを切りまくってきたのが外交ではなく内政だったからか。


2018.03.10(土) 今日知った、東京大空襲73周年

明日の“3.11”に上書きされたわけでもなんでもなく、
今日“3.10”が「東京大空襲の日」だというのを初めて知った。
たまたま見たテレビの短いニュースが伝えていた。
もちろん空襲で被災したのは東京だけではないのはいうまでもなく、
大阪も神戸も横浜も名古屋も、北海道から沖縄まで、日本は空襲を受けた。
ただ昭和20年3月10日の一晩で10万人以上の死者が出たという。
まさに空前のジェノサイトだ。その空前であることにあまりにも無自覚だった。
東京都民ではないが、毎年行われている追悼式典すら知らなかった。
私が単に無知だっただけなのか。
こういうことにも日本の戦後構造の欠陥があるのではないか。
その欠陥の体現者が私自身だ。


2018.03.11(日) 7年目の東日本大震災

例によって各テレビ局のメインキャスターたちが東北に赴きレポートする。
おそらく次の大規模震災が起こるまで、縮小しながらも続けられるだろう。
テレビで「希望」と「絶望」が順繰りに映し出されている中で、
震災報道でよく聞く「あの時から時間は止まったまま」との常套句。
もう7年も経ったじゃないかというのが正直なところだが、
我々が当時、映像で散々見て来た津波と、
木や看板に引っ掛かっていた無数の死体を目の当たりにした人々とのギャップ。
さらに金銭的に、7年経って新たな問題が被災地を苦しめているとことも知る。
やはり当事者以外の人たちが軽々しく言ってはならないとの思いはある。
ただ、改めて2011年3月の「日めくり」やブログを振り返ってみて、
所詮は被災地から遠く離れた場所からの物言いに過ぎないのだが、
私が体験したリアルもひとつの私自身の資料的価値はあるのかなと思った。


2018.03.12(火) あの頃の天気予報

花粉が飛散する季節だ。
私の症状はくしゃみ、鼻水ではなく目に来る。
もう目が痛くてたまらなくなる。
エビやカニでも激しいアレルギーが起こるが、目の痒みから始まる。
去年、ゴーグル型の花粉防御用の眼鏡を買ったので、今日はそれをして出勤。
職場で軽く笑いをとったものの、この時期の天気予報は見るだけ憂鬱だ。
しかし7年前の3月の天気予報はどこも花粉情報どころではなかった。
気象予報士が「ベクレル」「シーベルト」など聞き慣れない単位をいい、
「神奈川西部の放射能は平常値ですが、念のため帽子を着用してお出掛けください」
今思えば、あれは遅れて来た世紀末だったのかもしれない。


2018.03.13(火) 車両故障で帰路3時間

今夜こそ小田急線ではなく東急田園都市線で帰ろうかと思った。
毎日、ロマンスカーで帰宅とはどこのお大尽だ。
それが裏目に出た。渋谷駅の案内表示板に「車両故障で運転見合せ」の文字。
せっかく定時で帰れたのに、車両故障って何だよ・・・
今さら新宿に戻るのも何だし、途中駅で乗り継いで帰ろうかと決めた。
ところが幸か不幸か、たまたま座れてしまい、即、爆睡。
幸か不幸かではない。不幸なことに何の連絡もない駅で降ろされる羽目に。
南武線も大井町線も市営地下鉄も使えない。しかも駅はごった返している。
しかも今日は4月中旬の陽気とのことなので薄着で出掛けてしまい、
一気に冷えた夜にぶるっと震えがくる。
しかも行き場を失くした乗客で駅はごった返し、改札口で入場制限が始まる。
まったくトホホもいいところだ。


2018.03.14(水) 財務省、決裁文書14文書300箇所書き換え

だって「決裁」された文書でしょ?しかも公文書だろ?
書き換えというよりも「削除」されたわけで、もはや焚書ではないか。
財務省役人って官僚の最上位ではなかったのか。
その行政のエリート中のエリートが寄ってたかって何をしたのか。
どこかの悪ガキが親の目をちょろまかす悪知恵レベルの話ではないか。
ある評論家は「民主主義への重大な挑戦」などとコメントしていたが、
関わったエリートたちに「挑戦」なんて大それた思いはあったのか。
あったのは政治家のセンセイにおもねたいの一心と、
偏狭なセクショナリズムだったのではなかったか。
削除の目的が流行語になった「忖度」だったのか、政治家からの指示だったのか。
自殺した近畿財務局の男性職員こそセクショナリズムの犠牲者だ。
そもそも先日、国税庁長官を辞任した佐川氏。
この人が長官に任命されたのも、それを受けたのもさっぱり理解できなかった。
エリートな悪ガキの思考など、劣等生のただのガキには計りしれないということか。


2018.03.15(木) 「煉瓦亭」のカキフライ

銀座の洋食屋の老舗「煉瓦亭」。
銀座の会社に勤めていた頃、三丁目の煉瓦亭の古びた建物をチラ見しながら、
ここでカキフライを食べることは20代の頃からの“野望”になっていた。
別に高級なフランス料理のレストランではなく、普通の洋食店なのだが、
煉瓦亭には20代の若造にとって何故だか敷居の高さがあったのだ。
明治の創業。カツレツ発祥の店。ハヤシライス、オムライス、エビフライを生み出し、
フライものにキャベツのせん切りを添えたのも、ご飯を平皿に盛ったのも煉瓦亭。
そんな伝統も敷居を高くしていたのかもしれない。
私はスーパーの総菜でも必ず物色するほどのカキフライ好き。
はじめて煉瓦亭に行ったのは40代に入ってからだったが、
その時は牡蠣の旬ではなく、噂のカキフライは食べられなかった。
もちろん最初に牡蠣をフライにしたのも煉瓦亭。
だからここのカキフライは特別だとの思いがあった。
今日、ようやく煉瓦亭のカキフライを食べる機会を得た。
どっしりとした肉厚、サクサクのコロモをガブリとやるとじゅあ~と香りが広がる。
「旨い!」…でも、いわゆる普通に美味しいカキフライではあった。
そりゃ王道のカキフライなのだから、特別な味がするわけはないか。
とにかく人生の課題をひとつクリアしたことだけは確かだ。


2018.03.16(金) 週末は「ららヨコハマ映画祭」

今年のヨコハマ映画祭には行かなかったが、
毎年ららぽーと横浜のシネコンで「ららヨコハマ映画祭」で番外篇が開催されている。
今までは都合がつかなかったが、今年は行くことにする。
17日は大根仁監督の特集で、未見の4本を観て、
日曜は『あゝ、荒野』の前後篇が上映されるということで楽しみだ。
実家には21日の春分の日に行くと断って、週末は映画三昧だ。


2018.03.17(土) アイ子叔母の訃報

突然、舞い込んだ叔母の訃報。
映画どころではなく、急いで実家で母を拾い駈けつける。
小さい頃から「アイ子ちゃん」と慕っていたが、
深刻な病状だと聞いていたにしても、まさかの訃報だった。
母は十人兄妹で、アイ子ちゃんは母よりひと回り下の未年。
全身にガンが広がっていて、手の施しようがなかったという。
従妹が斎場を段取り、すでにアイ子ちゃんは病院から移されていた。
冷蔵庫のような箱に納められていたアイ子ちゃん。
納棺は21日なので仕方ないのだろうが、暗く寒い箱の中はあまりに可哀相だった。
叔父叔母の世代も高齢化し、これから何度か葬式が出されるのだろうが、
いつかこの叔母の葬儀に参列する日が来ることは想像していたが、
まさかこんな早く訪れることになろうとは。。。。


2018.03.18(日) 『あゝ、荒野』を観る

自分の居場所探しという極めて60~70年代的な寺山修司の原作に、
東京オリンピック後の不穏な社会と震災の後遺症をぶち込んだ青春劇。
行き場を失くした新宿新次とバリカン健二の二人がボクシングと出会い、
殴り合うことで生を見つけていく物語は嫌いではないし、
何より本気で映画を作っている熱はヒシヒシと伝わってくる。
しかし正直、菅田将暉とヤン・イクチュンを始めとする演技者たちの力に、
あまりにも依存し過ぎたようにも感じている。
実際、菅田将暉を観ているだけて楽しい気分にさせられたし、
ユースケはベストアクトだったし、女たちの脱ぎっぷりもよかった。
しかし寺山が原作を書いた60年代の新宿は、雑多な思想・文化の吹き溜まりで、
寺山の『田園に死す』の有名なラストシーンなどを見ても、
若者にとって新宿はそれこそ「荒野」の位置付けにあったのだと思う。
今も人種の坩堝でもあるし、様々な暗部を新宿は抱えているにしても、
街はすっかり整頓され、端正なビルが並ぶ洗練された副都心となった。
そこに「荒野」を見出すことに無理があるのも確かだろう。
何より前後篇合わせて5時間!かくも長尺の時間が必要だったのだろうか。
とくに健二の父と自殺再生プログラムの件は蛇足だったのではないか。
さらに健二を死なせた新次のこれからに本当の荒野が待っているとすれば、
それは途方もなく救われない後味を残してしまったと思うのだ。
もちろん今の日本映画には絶対に必要な映画であるのは間違いないのだが。


2018.03.19(月) 「古いお寺にただひとり」 Byチェリッシュ

過日、レンタルCDで取り込んだチェリッシュのベストを聴いた。
70年代の前半から中盤の3年間くらいが全盛期か。
『なのにあなたは京都へゆくの』『だからわたしは北国へ』は間違いない名曲。
子供心にもタイトルの「なのに~」「だから~」のフレーズは面白かった。
悦っちゃんのどこまでも伸びて行く高音が聴かせて、今聴いてもなかなか良い。
そして『ひまわりの小径』から、後に夫婦になる松井、松崎ペアのデュオとなる。
『ひまわりの小径』も名曲。作曲は筒見京平。いわずと知れた歌謡界の怪物だ。
ところが『ひまわりの小径』の大ヒットの後に出した『古いお寺にただひとり』。
これはタイトルも知らなければ、どんなメロディかも知らなかった。
何だかチェリッシュの全盛時代にぽっかり穴があいたようにも思える。
失恋ソングだ。デビューからチェリッシュはずっと失恋ソングを歌っていた。
5人組から男女デュオになって失恋ソングというのが良くなかったのだろう。
ここでチェリッシュは一転して恋愛、幸せソングに舵を切る。
『若草の髪かざり』『避暑地の恋』『てんとう虫のサンバ』『白いギター』。
以後はいわずと知れたヒット曲のオンパレードとなる。
当時、マーケッティングという言葉があったのかどうかは知らないが、
チェリッシュの曲を順番に聴きながら、その戦略までも見えて来たのが面白い。
そこで“全盛時代にぽっかりあいた穴”である『古いお寺にただひとり』という曲。
改めてもう一度聴いてみた。作曲・鈴木邦彦、作詞・山上路夫。
悪い曲ではないし、70年代抒情フォークの香りを感じさせ嫌いではないのだが、
やはり失恋ソングの傑作が3つ続いた後では少々しんどい気がした。
なんの脈絡もなくチェリッシュを語っているが、
『若草の髪かざり』の幸せそうな悦っちゃんの歌声に、
マーケッティングの勝利が見えて文字通り“悦”に入ってしまった。


2018.03.20(火) 後輩と連れだって

池袋西口の「清龍」で後輩を連れて飲む。
お通し、冷ます酒、さくら酒、男梅サワー、檸檬サワー、黒ハイボール
サバへしこ、肉じゃが春巻、ししゃも、串焼き盛合せ、マルゲリータピザ
餃子、ほたてサクサク揚、味噌漬けチーズ、焼きそば、カプレーゼ
なんこつ唐揚げ、もつ煮込み、お新香盛合せ・・・・・・
上役の「お説、ごもっとも」な話を延々と聞かされるより、
後輩に「昔は良かったぜ」と延々と聞かせる方が楽しいに決まっている。
少なくとも私は。


2018.03.21(水) 雪の通夜

お彼岸の雪に迎えられた叔母アイ子ちゃんの通夜。
雪が積ってきて、実家前の坂道を車が走るのか不安になり、
母、叔母、従姉を乗せて早目に実家を出た。
母には兄ひとり弟ひとり、姉ひとりに妹が6人いる。
アイ子ちゃんの3つ上の姉も同じ家に嫁いでいるので、
祭壇を挟んで右左の親族席も従姉妹たちの懐かしい顔で溢れる通夜となった。
納棺氏が仏様となったアイ子ちゃんの産毛を剃り、髪を洗い、化粧をし、
我々で送り水で唇を濡らし、足袋、草鞋を履かせ、胸に六文銭を描く紙を差し入れた。
親族で上京組では初めての葬儀。私もこれらの儀式に初めて参加する。
セレモニーはおごそかに進められるが、正直、つくづく段取りの世界だと思った。
私は残念ながら明日の告別式には出られないので、アイ子ちゃんとは最後になるが、
こうして親族を集めたのも最後のアイ子ちゃんの仕事だったのだと思う。
今まで色々と有難うございました。あなたは私のもっとも身近な叔母でした。


2018.03.22(木) 「大丈夫です」

「大丈夫です」という言葉をやたらと聞く。
「この書類、まとめられるか?」「はい、大丈夫です」といった具合に、
この言葉の本来意味するのは「強めの肯定」だった筈。
ところが近頃は「弱めの拒否」の意味合いになってきたようだ。
「どうメシでも食うか?」と聞くと、断りの手振りで「大丈夫です」と来る。
一体何が「大丈夫」なのだろう。
弱めの拒否どころか、「構わないでください」「無視してください」ともとれる。
この傾向は「ヤバい」が否定から肯定に変わった時期と重なる気がする。
「この映画、ヤバい」といったら、今は「酷い」のではなく「凄い」となる。
こちらはサブカル的な土壌から変質したものと理解しているのだが、
「大丈夫」の変質はどこから生まれたのだろう。
例えばランナーを背負ったピッチャーの元にコーチが駆け寄って来て、
「どうだ、まだ投げたいか?」「大丈夫です」なんて会話があった場合、
20代のピッチャーと50代のコーチとの間で齟齬が生じやしないだろうか。
一方、ものを曖昧にする言葉ならもうすっかり定着した。
この「日めくり」でも○○的、○○感など無意識に使っている。
「ある種の~」「ある意味で~」の使用などもはや汎用状態で、
自分でもその「ある」って何?と思いながら使っている(笑)。
ついさっきも「サブカル的」などと書いているが、
「大丈夫です」のように肯定と否定がひっくり返っているわけではない。
「どうメシでも食うか?」と聞いて「大丈夫です」と答えられたら、
「今日は予定もなく、時間の都合がつきます」と解釈するのが普通ではないのか。
そう思うと「大丈夫です」という答え方に無性に腹が立ってくる。
聞く度にいちいちイラっとくるのは精神衛生上、大丈夫だろうか。


2018.03.23(金) 李明博の逮捕

これもあの国の政治風土なのか。
李明博元韓国大統領が逮捕された。
果たして韓国の歴代大統領で退任後に平穏な余生を送る人はいるのだろうか。
暗殺に自殺。そして本人や身内の逮捕が繰り返されていく。
日本人からしてみればもの凄く奇異にみえる。
政治レベルが低いという人もいる。
実際、ここまで逮捕者が相次ぐのだから高いわけはないのだが、
別のいい方をすれば、司法当局が妥協もしないし容赦もしないということなのだろう。
よく韓国の司法は世論の動向に左右されやすいともいわれているが、
今、半島行政が転換を迎えようかという時期に李明博でもないと思うのだ。
「忖度」の2文字が飛び交う今の日本ではまったく考えにくい話だが、
だからといって日本の政治倫理もそれほど威張れたものでないのは周知の通り。
問題は服役中の朴槿恵もそうだが、李明博本人に罪の意識があったのかどうか。
逮捕されるとなれば、当然、本人たちに悪事に手を染めた自覚があってもいい筈で、
普通。これだけ元大統領の逮捕が続けば、任期中は慎重に慎重を重ねると思うのだ。
朴槿恵には最大で懲役45年の求刑が言い渡される可能性もあるらしい。
もし本人に犯罪の自覚がないまま、拘留されるのだとすればこれこそが恐ろしい。


2018.03.24(土) 鶴竜、8場所ぶり賜杯

鶴竜が大阪場所を制した。
鶴竜が優勝する場所は何とも盛り上がらないイメージがある。
引退した日馬富士、絶好調時の白鵬を蹴散らしての優勝の印象がないからか。
去年、稀勢の里の奇跡の逆転優勝に涙した府立体育会館とは隔世の感だった。
鶴竜が優勝するときは何か消去法で優勝したとの色合いが強い。
それでも先場所は消去法すらままならず、まさかの栃ノ心の平幕優勝。
現実的に鶴竜の状態は稀勢の里、白鵬よりも悪いのではないかとも伝えられていた。
休場したかったのだが、先に二横綱に休まれて遅れをとったという。
優勝を決めた今日の一番も、とても褒められたものではなかったが、
とりあえず横綱の責務を全うした今場所はよくやったのかもしれない。
こんな調子では連日札止めが続く方が不思議な気もするのも正直なところ。
貴乃花親方をめぐる新たなドタバタ劇はこの際、横に置いておいて。


2018.03.25(日) 刑事訴追のおそれがあるので・・・

警視庁出身のウチの上司の見解では、
佐川宣寿前国税庁長官の答弁はほぼ満点だったらしい。
偽証罪が適応されることで、効力を誇示する証人喚問も、
その効力ゆえに拒否権を使われては、途端に意義が消滅するということか。
まず刑事訴追の可能性があることを予測しながら自爆はしないだろう。
「これではまったく意味がない」と野党の質問者は憤慨するが、
弁護士もいない“裁きの場”で一方的な前提で追及される事態の当然の帰結だ。
さらに国会議員や安倍夫人の関与はきっぱりと否定。その言質はしっかり残す。
佐川答弁が満点だったかは知らないが、上級官僚のしたたかさを見せつけたのは確かで、
要は野党側の質問が、新聞報道の域から出ないことを見透かしていたのだろう。
その点、中学生の時に中継で観たロッキード喚問のときは面白かった。
証人・小佐野賢二、質問者・大出俊、議長・荒船清十郎。役者が良かった。
内容まで理解していたとはいえないが。


2018.03.26(月) 桜満開

桜三月。いつの間にか通りの桜並木が満開になっている。
いつか御朱印帳を持って寺院をめぐっていたとき、
伊勢原のお寺で「桜葬」のパンフレットを手にとったことがある。
その時、桜の木の下に埋葬されるのもいいかなと思った。
石のお墓の下に瞑ることなど出来ないだろうし、
あと50年もすれば誰の記憶からも消えてしまうだろう身。
せめて春爛漫の折、桜見物の人たちの下に居るのも悪くない気がする。
どうせ暗い土の底なら、桜の木とともに朽ちるのもいいだろう。


2018.03.27(火) 若者の死

雪上歩行訓練をしていた高校生7人が死亡した「那須雪崩事故」。
あれから一年が過ぎた。
あれは酷い事故だった。県警が業務上過失致死容疑で捜査しているとのことだが、
過去の雪崩事故への無反省や、県教育委のおざなりな対応なども明らかになって、
あまりに杜撰で無責任な大人たちが大事な若者の命を奪ったのは事実。
その内実を知れば知るほど義憤に駆られてしまう。
2年前の軽井沢のスキーバス転落事故では15人の大学生が死亡した。
若者の死亡ニュースを聞くと、日本の将来へのダメージを思ってしまう。
少子高齢化にまったく寄与していないどころか、
むしろ背信しているとしか思えない私がいうのも何だが、
大人の不始末で若者を死なすことは絶対に許されるべきではない。


2018.03.28(水) サッカー日本代表

ウクライナ相手に力負けしたサッカー日本代表。
ハリルホジッチ解任せよとの声が一段とトーンを増してきたようだが、
ロシアW杯まで僅か3ヶ月。現実、解任のメリットなどあるのだろうか。
サッカー門外漢に今の日本代表の姿がまったく見えて来ないのは確かだが、
本番前の親善試合に負けたに過ぎないではないかとの思いもある。
オープン戦ビリでも開幕3タテを狙うプロ野球球団だってあるのだ。


2018.03.29(木) さて、いよいよ明日

2018年度のプロ野球が開幕する。
せっかくの東京ドームの開幕戦だ。当然、ドームに乗り込む。
もう圧勝して欲しい。菅野をとことんぶち壊してしてもらいたい。
職場では3タテするぞと意気込んではみたものの、
オープン戦は巨人が11勝5敗で首位。
こちらは2勝12敗。もちろんビリ。
たかだかオープン戦のこと。ぜんぜん関係ないね。
「期待」か「不安」かといわれたら、、、、
う~ん、「恐怖」かな。


2018.03.30(金) 開幕、菅野粉砕福留だ大山だ ~東京ドーム

明日の関西スポーツ紙の見出しはこんな感じか。
不調が懸念されていたが、レフトポールに当った福留の一撃がチームに勇気を与えたか。
ボテボテの内野安打をヘッスラでタイムリーにした高山。
今年のスローガンである勝利への「執念」は十分に伝わった。
続く大山の一発。去年の土砂降りのクラシリでの好調ぶりはダテではなかった。
あれで菅野の不快な薄ら笑いもさぞ引きつったことだろう。
なんたって相手は巨人。しかも開幕戦。たかが1/143としても勝つしかない。
キャンプ初日に開幕投手に指名されたメッセンジャー。好投サンクスでした。
とにかく勝ってよかった。東京ドームレフトスタンドのテンションも最高潮。
おかげで後楽園駅までの人ゴミ渋滞もテンで苦にならなかった。


2018.03.31(土) やっぱ高校野球はおもしれぇ

藤浪晋太郎という“腫れものの”の扱いをベンチが見誤った結果が、
4点差逆転負けというしょうもない結果となってしまった。
・・・・昨日、ドームに行っておいてよかった。
チャンネルをセンバツに切り替える。星陵が近江との大接戦を制す。
センバツは夏ほど気にして見ることはないが、
今春は凌ぎ合う試合が多く、ダイジェストだけでも楽しめる。
先週の日曜日に劇的なサヨナラ本塁打で勝った明徳義塾。
「甲子園は怖い、忘れられない試合になるでしょう」とコメントした馬渕監督。
こりゃ明徳ノッて来るかなと思っていたら、次はサヨナラ本塁打で甲子園を去る。
甲子園に魔物がいるのかは知らないが、少なくとも色々なドラマは潜んでいる。
昨日、惚れ惚れしたのが彦根東の増居投手の投げっぷりだった。
花巻東打線を九回までノーヒットノーランに抑える完璧なピッチング。
しかし両者0-0。結局、延長、犠牲フライで敗れてしまうのだが、
「あ、この子、タイガースに来ないかな」と思える快投だった。
この春、3校が出場した滋賀県勢。当然、夏の予選は熾烈なことになる。
運が良ければ、増居君は過酷な夏の甲子園で酷使されずに済むかもしれない(笑)
阪神球団は少なくともリストに入れとけ、絶対にチェックを怠るべきではない。
しかしこの増居くん。かなりの秀才で京大工学部を志望しているのだという。
こりゃタイガースには来てくれないか。



                           

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