◎グラスホッパー

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◎グラスホッパー
伊坂幸太郎
角川文庫


 雑誌の特集に興味を惹かれたので伊坂幸太郎を読むことにする。すでに『陽気なギャングが地球を回す』『陽気なギャングの日常と襲撃』の二作を読んだ限りで、いかにも80年代サブカル世代のポップな文体を信条とする作家のように彼を捉えているのだが、あのノリだけでベストセラーの常連に名を連ねるほどの支持を受けているとも思えず、売れているなりの意味を知りたくなり、“なかなか書ける奴”という信頼のもと、別の作家を挟みながら交互に読もうかと思っている。(ひとりの作家のものばかり続ける読書はとかく惰性になりがちということもわかってきたので)

 【「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとに、「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯する。】

 『グラスホッパー』を選んだのは、たまたまブックオフで目に止まったのを無造作にレジに持って行ったに過ぎない、まったくの予備知識ゼロで最初のページを開いたので、内容が殺し屋たちの戦いと知ったときは少々面食らってしまった。
 どうやらエンターティメントのジャンルとして『陽気なギャング~』シリーズと同じ脈絡らしい。凄惨な殺しの場面は出てくるが、陰鬱さはなく全体的にカラっとして、文体は軽快。要するに登場人物が殺し屋で、しかも内容が軽快である以上、この小説はリアリズムとは別次元で成り立っているということ。リアリズムという言葉も使い方が難しいのだけど、少なくとも現実の日常生活に根ざした物語ではない。
 私は物語に一定のリアリズムを要求していしまう読者だ。これはある種、読書を不自由なものにしてしまう枷となっている。しかし荒唐無稽一辺倒で、ホップな文体なのだから多少のご都合主義はかえって作品の味だとはなかなか割り切れるものではない。
 別に会話をしただけで相手を自殺に追い込む殺し屋が出てくるのは構わないし、一介の気弱な教師が妻の復讐のために非合法組織に潜入したって構わない。作家が構築する世界観の中で遊べるくらいの度量はあるつもりだ。しかし殺し屋が追跡しようとしたときにたまたまエンジンのかかったままの車が放置してあるというご都合主義みたいなものは勘弁してもらいたい。最低でもガラスを叩き割ってメインシリンダーをショートさせてエンジンをかけるという手間くらいはやってほしいと願う。
 おバカ小説と割り切った作品ならともかく、大きな嘘をつくときほど、小さな真実の積み重ねが必要であるというのは小説でも映画でも、私のエンターティメントに対する要求でもある。
 
 しかし考えてみれば『陽気なギャング~』のときも、私は感想に「作者の意図として“語り口で軽く読ませる”ということがあったのだとすれば、主人公たちの個性豊かで(あくまでも表層として)、それなりにヤマ場を設けたストーリーの構成、どんでん返しに至るまでの伏線の張り方の効果など、痛快クライムノベルとしては十分に成功したのではないかと思う。」などと書いていて、実はその感想は『グラスホッパー』でもまるまる引用可能ではあるのだ。
 それほど夢中にさせられるストーリーではなく、むしろこの内容なら山田風太郎が『忍法帖』で伊賀と甲賀あたりの忍者たちの暗闘みたいな筋立てで描けば最高なのではないかと思ってしまった。
 それでいて“語り口で軽く読ませる”という部分で伊坂幸太郎の術中にはめられ、ページを次々とめくらされたという自覚もあった。そもそも私が『陽気なギャング~』を2冊読んだのは、響野というギャングの薀蓄話を聞きたいがためだったのだから。

 物語は「鈴木」「鯨」「蝉」の三人がエピソードごとの主人公を務める。キャラクターは寡黙であったり饒舌であったりと様々なのだが、それぞれにこだわりがあり、ある意味でそれぞれが響野氏の情緒を持っている。「殺し屋にはこだわりがある」というのはハードボイルドの常套ではあるのだが、「鯨」はドストエフスキーの『罪と罰』を愛読し、「蝉」は深夜テレビで見たガブリエル・カッツ監督のフランス映画に影響され、彼の上司はジャック・クリスピンという音楽家に傾倒する。ガブリエル・カッツもジャック・クリスピンも実在しない。村上春樹のデレク・ハートフィールドと同じで、伊坂幸太郎の中ではわりとリアルな仮想人物なのだろう。
 こういう遊びはスタイリッシュな文体を加速させる効果があるのかもしれない。いかにも実在しそうな名前なのが笑える。
 ただ残念ながら、そういうスタイリッシュな文体の中に伊坂幸太郎なりのクールを読みきることが出来たのかといえば、少々難しかった。

 つくづく私は泥臭いものが好きなのだろう。今後、読み込んでいくうちに伊坂幸太郎に泥を洗浄してもらうことが出来ればありがたいのだが。


a:2007 t:1 y:0

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