◎シャーロック・ホームズの冒険

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◎シャーロック・ホームズの冒険
アーサー・コナン・ドイル(THE ADVENTURES SHERLOCK HOLMES)
深町眞理子・訳
創元推理文庫


 小説を読み切ったときのカタルシスを最初に教えてくれたのはシャーロック・ホームズだった。私の記憶が正しければ、初めて完読した本は『バスカヴィル家の犬』。
 これは物心ついた時にはどの書店にも並んでいた山中峯太郎・翻訳のポプラ社「名探偵ホームズ全集」とは別の単行本だったが、大袈裟ではなく、ポプラ社や偕成社の児童本で初めて小説を読んだ我々世代の小学生は相当いたはずだ。
 昭和40年代。あのちょっとおどろおどろしげな表紙がどれだけ子供たちの胸をときめかせていたことか。

 【 「赤毛組合」「まだらの紐」など、ロンドンで起る奇怪な12件の事件を追って神出鬼没する名探偵シャーロック・ホームズの怜悧な推理と魅力的な個性を盟友ワトソン博士が後述する事件の数々。】

 残念ながら私は『バスカヴィル家の犬』以降も熱心なコナン・ドイルの読者とはならず、南田洋一郎・翻訳の「怪盗ルパン全集」の方に行ってしまい、ホームズ好きとなるべき(“シャーロキアン”と書こうと思ったが、その定義を調べてみたらあまりにも凄かった)萌芽を摘んでしまったが、あの頃の少年たちにとって「ホームズ」「ルパン」「少年探偵団」の児童本は小説に触れるきっかけを生む三種の神器だったのではないだろうか。

 確か中学の時にホームズは創元推理文庫で読もうと思った記憶がある。
 こうして実現したのが40年後になるとは我ながら情けないが、私が何故、ホームズよりもルパンの方にシフトしてしまったかというとホームズは短編が多く、ルパンは長編が殆どだったという理由があるのかもしれない。そう、あの頃から短編は苦手だったのだ。
 ホームズに何故短編が多いのかといえば、「ストランドマガジン」誌に読み切りで連載されていたからで、最初の『ボヘミアの醜聞』が1891年7月号の掲載というから、産業革命の末期にあたる。作品中のワトスン博士の記述では「1882年から90年にかけて、シャーロック・ホームズの扱った事件についての私の記録やノートを見ると・・・」とある。
 そう思うと、連続殺人事件といったロンドン中を震撼させるような大事件は何ひとつとして扱っていないのだから、ちょっとした冒険譚として短編の方がホームズには相応しいのかもしれない。
 それにしても古い。おそらくこの[読書道]中では、『海底二万里』に次ぐ古典ではないのか。夏目漱石がロンドンに留学していたのも丁度その辺りだったか。

 そう『シャーロック・ホームズの冒険』は古典だ。そして収録作品の殆どは事件そのものよりも、盟友のワトスン博士が観察したホームズの驚異的な頭脳と観察力の記録であり、物語のすべてがワトスンの記述として語られている。
 簡単にいってしまえば、我々はワトスン博士の立場でホームズの明晰さに感嘆し、呆れ返ればいいのだろう。名探偵が名探偵らしく読者に印象付けるのにこれほど効果的な手法があり得るだろうか。
 ワトスンがホームズの人物を紹介する件が収録作品『五つのオレンジの種』にあって、それによると「哲学、天文学、政治は0点。植物学の知識は一定しない。地質学は、ロンドンの周囲五十マイル以内の土壌に関する限り深遠。化学は知識に偏りがあり、解剖学の知識は体系的でなく、通俗文学や犯罪記録に通づるは他の追随を許さず、バイオリンを奏で、ボクサーで剣術の達人。法律に明るいがコカインと煙草の中毒者」とある。さらに付け加えるとすれば変装の名人といったところか。
 なるほど探偵はエキセントリックな個性がなければならず、その個性を探偵自ら語るのではなく語り部に語らせることで名探偵のキャラクターは立ってくる。
 詳しいことはわからないが、このパターンを編み出したからこそ世界に名だたるシャーロック・ホームズが生まれたわけで、以後、何百年と経ち、今を以てもこの手法は継承され、無数の名探偵ホームズもどきが輩出され、同時にその数だけワトスン博士もどきも登場してきたのだろう。
 ただ単に古いだけでは「ミステリーの古典」とはならないのだ。

 児童本のタイトルとは微妙に違うが、この短編集に収録された作品でいくつか覚えのあるタイトルが散見される。『くちびるのねじれた男』や『まだらの紐』などがそうだが、思い出深いのが『赤毛組合』。確か児童本では『赤毛連盟の謎』とつけられていた記憶がある。小学生の時の「読書の時間」でこの作品を途中まで読んでいた。
 赤毛の持ち主が集められた会社で働くことになった男が、その会社で決まった時間にひたすら辞典の書き写しだけをさせられるという話。おそらく途中で「読書の時間」は終了してしまって、その後に続きを読むことはなかったのだが、あろうことか40年以上もの間、何故、赤毛の男はそんな不思議な仕事をやらされているのかずっと謎のまま放置していた。
 途中までのストーリーをそこまで鮮明に憶えているのなら、とっとと読んでしまえと我ながら思うのだが、ようやくなるほどなと納得。今に至って謎が解明されたのだから笑ってしまう。私のホームズものへのスタンスはこの程度のものだったのだ。

 正直、この世界に名だたる短編集は拍子抜けするような事件の連続で、中には事件とも呼べないものすらあるのには驚いた。さらにホームズが変装の名人であるというのも随分と便利な飛び道具だなと思えたし、「ちょっと出掛けてくるよ」とベイカー街の事務所を飛び出したホームズが、記述人のワトスンが知り得ないのをよいことに事件のあらましを解決してしまうあたり、それってどうなんだ?と思える箇所も少なくなかった。
 しかしホームズとワトスンが議論をしている最中に「おや、そうこうするうちに噂の本人が階段を駆け上がってきたようだ」と、依頼人が飛び込んでくるコナン・ドイルの文章の小気味良さ。そして依頼人の人となりを即時に言い当ててしまうホームズの十八番の見せ場など少しも飽きさせることがなかったのはさすがだった。

 語りつくされた有名なセリフらしいが、『緑柱石の宝冠』でホームの至言。「ありうべかざることをすべて除去してしまえば、後に残ったものが、いかにもありそうもないと思っても、すなわち真実である」
 うーん、少しだけ目から鱗が飛び出した気分になった。

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