◎三体

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◎三 体
劉 慈欣(三体)
大森望、光吉さくら、ワン・チャイ・訳
早川書房


【物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔はある日、謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森を科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?】

 「中国人の書いたSF小説が超ド級の凄さらしい」・・・噂は去年から聞こえていた。
 それでAmazonでポチったのが今年に入ってから。2月までには読み終えるだろうと高を括っていたら、これが遅々として進まない。進むはずがない。非理数系、SF苦手、中国小説は魯迅すら読んでいない。そう私は『三体』を読破するリテラシーが決定的に欠如していたのだ。
 そもそも物語世界に入りながら、そこで描かれる情景を頭に浮かべるのが読書というものならば、果たして脳に浮かんだ情景が果たして正確なのか、いや、相当の乖離があるはずだと確信する。
 ここに至り自分の想像力の脆弱さまで指摘されているような屈辱も味わうはめとなる。
 物語中に語られる膨大な物理・科学のロジックはほぼ飛ばし読み。理解できないどころか理解する努力も放棄したような読書。
 にもかかわらずズッシリと重い手応えに得体の知れないカタルシスも感じている。『三体』は私の手には負えない代物だったはずが、一体、その感覚は何なのだろう。

 まず文化大革命による無慈悲な殺戮が描かれる。この導入に面食らう。
 そもそも中国共産党に統制された国家にあって、堂々たる文革批判などあり得ないと思っていた。確か、毛沢東の再評価が始まっていると何かで読んだ記憶もあるが、この劉慈欣という作家、中国系アメリカ人などではなく、巻末の解説によると中国国家の重要な要職を与えられているという。
 どうも中国という国に対して、多くの日本人同様、私もステレオタイプのイメージしか持っていなかったようだ。
 本作は西洋の資本主義を排除しようと中華革命を叫ぶ若者たちの理不尽を嗤っている風でもある。紅衛兵など中国近代史からすると負の遺産となっているということか。あるいはそれだけ現代の中国こそ突出した資本主義国家だという証左なのか。
 その文革の嵐が去ったあと、物語は現代に飛ぶ。ナノテクロジーの第一人者、汪森(“森”ではなく水がみっつ)が関わることになる極秘国家プロジェクトの会議を経ると、突然、眼前に現れる“ゴーストカウントダウン”。・・・・・なんだそれは。
 「いよいよ本格的なSFが始まるのぞ」と身を乗り出したのも束の間、展開はバーチャルリアリティ・ゲームの世界に入っていく。
 虚構の中の虚構。バーチャル内バーチャル、その虚構の二重構造の境目で混乱し、自分が何を読まされているのかさえわからなくなる。
 ここで読書を放棄したい欲求から踏みとどまったのは、ひとえに新刊本に2000円払ったのだからというセコさもあったのかもしれない。
 そもそも乏しい想像力をフル回転して活字に綴られた情景を脳内に構築しようとしても、これは劉慈欣というSF作家から溢れ出るイメージの洪水であるのだから追いつけるはずもなく、散々振り回された挙句に、秦の始皇帝、ダ・ヴィンチ、ニュートン、アリストテレスらが右往左往する世界で、アインシュタインに特殊相対性理論と一般相対性理論を比較されても何のことやらで、これはクスリやりながら読めってか!と何度思ったことか。
 “迷宮” とは不条理で理解しがたい事象を一言でまとめられる便利な言葉だが、『三体』が厄介なのは、そこに物理的、数学的、科学的なロジックが組み込まれていることで、“迷宮” の言葉自体を陳腐化させる魔力を持っている気さえしてしまうことだ。
 始皇帝によって集められた三千万の兵士が隊列を組んでの壮大な旗振りゲーム。これがコンピューターの演算たらしめているのかどうかさっぱりわからないが、そもそもそれを発想すること自体に眩暈が起きそうになる。
 しかし『三体』を読み終わった今だからいえるのだが、このバーチャルゲームの世界で朧気ながら三つの太陽の大枠がわかる仕掛けになっている。もっとも三体世界にある三つの太陽の意味も、彼らが一体、それで何を計算しているのかさえさっぱりわからなかったが。
 考えてみれば私がずっと長い間SF小説を避け続けていたのは、こういった理数系ロジックへのあからさまな懼れゆえのことだった。今、長年の逃亡のツケを『三体』一冊でまるまる払わされていたのかもしれない。
 
 ならば、そんなロジックは一切無視して、激動の時代に翻弄されながら、文革の嵐の中で父を惨殺され、思想犯として紅岸の基地に軟禁されながら、異星人とのファーストコンタクトを成し遂げ、ついには地球三体運動の総司令官となるヒロイン、葉文潔の一代記として読んでみたらどうだろう。
 ただ、彼女の一代記としては、存在のあまりの飛躍と、恩ある二人の軍人を殺してまで異世界に地球を委ねた心情動機が最小限に抑えられているので、葉文潔は安易に感情移入出来るキャラクターではなかった。
 ならばナノテクノロジーの第一人者でありながら、“三体問題”の渦中に巻き込まれる汪森はどうだろう。巻き込まれ役なので、作家と読者を繋ぐブリッジであり、ある種の狂言回しとなっているので、自分が汪森になったつもりでゴーストカウントダウンに慄き、VRゲームに驚愕しながら『三体』と対峙していくのも『三体』の楽しみ方の核であるには違いない。
 しかし何故、一介の研究者である汪森が地球の命運を左右するプロジェクトに招かれたのかさっぱりわからない。彼のナノテクノロジーが重要な役割を果たすのは、突然出てきた発想で、予め想定されていたことではなかったはずだ。
 そう『三体』には明らかな綻びがある。ヒューゴ賞を受賞したとしても突っ込みどころは満載ではあるのだ。おそらく物理ロジックの多くははったりなのかもしれない。
 私は物理ロジックから逃げながらそんなご都合主義的なところを見出して最後のページまで辿り着けただけの話なのだろうか。あゝ情けなや。

 今、ざっとAmazonの『三体』レビューに目を通してみた。絶賛、面白かったが8割。中には「大変読みやすかった」と、正反対のレビューを見つけ愕然とするだが、絶賛の多くにはSFへのリテラシー豊富そうな読者からの投稿が目につく。
 批判評の中には「科学的根拠がない」から「中国人登場人物たちの名前が覚えられない」(葉文潔、楊衛寧、申玉韮、常偉思・・・・私はそれらどれか漢字一文字を覚えるだけで問題なしと吉川英治『三国志』や司馬遼太郎『項羽と劉邦』で学習した)まで様々だが、総じて物語の難解さに嘆く者が多く、私も当然、その口ではあるのだ。
 そもそも智子って何?陽子を十一次元に戻すって何だよ・・・・!

 この『三体』。三部作として続きがあり、この後で続々と刊行されるらしい。実際、SF小説の業界ではチャイナがムーブメントになっており、劉慈欣はそのトップランナーだということだ。
 今の気分のまま私がこのまま『三体』の続きを読むとは思えないが、SF小説最高峰ヒューゴ賞をアジアで初めて受賞と聞くだけで、米アカデミー賞4冠に輝いたポン・ジュノ『パラサイト』と併せ、日本の芸術、エンタメ界は大丈夫かと心配したくもなる。
 まったくの余談ではあるが。

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