◎人狼城の恐怖 第二部

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◎人狼城の恐怖 第二部=フランス編 
二階堂黎人
講談社文庫


 長い一編のミステリーを読むことの意気込みだけで私は前項の『人狼城の恐怖 第一部ドイツ編』の感想を書いてしまった。文庫版全660ページ強のボリューム、連続殺人の最初の犠牲者が出るまで300ページが費やされていることなどを延々と書いたのだが、この『第二部フランス編』は更に文庫版730ページで、連続殺人の一人目の死体が上がるまで、実に500ページ近くを消化するという凄まじいものになった。

 【幽玄なる山岳地帯、独仏国境の深い渓谷を挟んで対峙する双子の古城・人狼城。フランス側“青の狼城”を訪れた社交サロンのメンバーは、酸鼻極まる連続殺人の犠牲となっていく。恐るべき殺戮を繰り返す神出鬼没の殺人鬼「人狼」の正体は?】

 「生命体の本質が細胞という物質にあるのではなく、<星気体>や魂にこそあるからだ。細胞はこの三次元のユークリッド空間に存在しているが、魂はそれとは別の位相−非ユークリッド空間−に存在している(中略)もっと性格に類推すると、<星気体>が位置しているのは、さらにその中間の秤動領域とも言うべき<境界面>なのだ」
 こんな訳のわからない講義が延々と70ページにも及ぶのだが、私にしては奇跡的に苦ではなかった。
 起承転結の「起」だけの展開に500ページも読めてしまったのは、二階堂黎人の筆力の賜物というよりも、やはり原稿用紙四千枚の超大作に取り掛かっているのだという意識の力によるところが大きかったのではないかと思う(もちろんこの「ドイツ編」と「フランス編」そのものが『人狼城の恐怖』という長大な物語にとっての「起」であることはいうまでもないのだが)。

 文庫本の背表紙に“「第一部」と「第二部」はどちらからでもお読みいただけます”と記載されている。そうなけば当然、舞台が独仏国境の険しい渓谷の上に屹立する双子の古城そのままに、ドイツ編での銀の狼城と同じクローズド・サークルによる連続殺人事件と同じ展開がフランス編の青の狼城でも繰り返されるのだという予測はつく。 
 しかし、どちらを先に読んでも構わないというのだから当然、この二冊には通奏低音のみがあって、相互干渉的なものは薄いのではないかと思っていたのだが、「第一部」と「第二部」とでは作品の色合いがかなり違っていたことに驚いてしまった。
 もちろん8ページに渡って挿入されている人狼城の各フロアの平面図も双子の「人狼城」は鏡合わせの配置にあり、内容もクローズド・サークルによる阿鼻叫喚の連続殺人という骨子はまったく同じではあるので、時として同じ物語を続けて読んでいる錯覚に陥ることもある。しかし「第一部」の作品世界へ入るための薀蓄や時代背景の説明、ひたすら人々が殺人鬼に狩られて血みどろの死体となって行く描写を不可解なまま投げ出すという展開と違い、「第二部」ではまず“人狼”という化け物の存在とその特性が詳細に紹介され、「人狼城」の招待客の中に積極的に「人狼ありき」で征伐を目的とした弁護士と刑事が紛れ込み、入城した後は主人公であるローラント・ゲルケン弁護士の日記による一人称形式で進められていく構成で、両作品の色合いは大きく違えるものになっている。
 私は素直に「第一部」から読み始めたわけだが、この「第二部」から読んだとしたら、おそらく「第一部」の印象はまったく違ったものとなっていたはずだ。ローラントたちと違って訳もわからずに殺戮されていくドイツ人たちの不条理さに相当悲痛な思いで読むことになるのだろうが、「第一部」のエンディングのあの突然の転調に面喰うことはなかったと思う。
 
 そうなると「第二部」の中盤以降が日記という過去完了の記述形式にしたのは重層的に物語を捉える点で成功したといえるのではないか。
 「第一部」との差別化が可能だということもあるが、まず筆者が悲劇的な状況に置かれた理由をある程度は理解していること。一人称であるゆえに恐怖がより迫真性を帯びたこと。連続殺人を時間軸で明解されること。筆者による事件の推理や心理が示されること。そして何より、日記が残ることによって「第三部」以降の登場人物たちに、現場の詳細と臨場感を引き継げること。
 実際、この日記はローラントの恋人であるローズへの思慕から書き始めるのだが、恐慌の途中からローランドは後の捜査の有力な手がかりを伝達する方向に舵を切っていく。その恋人ローズがジプシーの占い師の末裔であり、今後の物語の背景に深く関わってきそうな予感も見え隠れしているのだから、二階堂黎人は日記形式をよくぞ考えたものだと思う。

 当然のことだが、ドイツ編とフランス編でどちらが楽しめたのかという比較はあまり意味を持たない。舞台はヨーロッパ。長い歴史があり、格式と伝統もある。ある種の絢爛さ、ヒエラルキー、例えばワインへの深い造詣など、物語の背景に色をつけていく努力は相当なものだったのではないか。
 そうはいってもこの「第二部」までに示された謎はどれひとつとっても解明されていない。殺戮絵巻の地獄で生み出されたいくつかの謎、アリバイや密室殺人などの不可能犯罪は本当に“人狼”などという人智を超えた化け物の所業なのだろうか。果たして二階堂黎人は “星気体”や“憑依”などを現実のものとして本格推理ものを展開させて行くつもりなのだろうか。
 個人的には「第三部」への興味は、この『人狼城の恐怖』という“世界一長い探偵小説”が、現実的なトリック劇なのか、超現実な空想劇なのか、どちらに着地するのかという点に絞られてきたと思っている。


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