◎南海ホークスがあったころ

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◎南海ホークスがあったころ
   ---野球ファンとパ・リーグの文化史---
永井良和/橋爪紳也
河出書房新社



 【南海ホークスの足跡をたどりながら、単なる球団史ではなく、人々が娯楽を求めて集まるスタジアムという場の有り方や、ファンの応援スタイルの変遷といった大衆文化論的な視点から戦後日本社会を活写する。】

 文庫本裏表紙の紹介文には、「球団創設、大阪球場誕生、打倒・読売の日々、歓喜の御堂筋パレード、苦悩と低迷、そして福岡へ…」とある。1988年を最後に消滅した南海ホークスについて熱く語られた本だ。しかし決して回顧一辺倒で綴られたファンブックでも、球団の通史概論的なものではない。副題に「野球ファンとパ・リーグの文化史」とあるように、本書は地域論でもあり、野球という競技とプロ野球球団の変遷に仮託された昭和史にもなっている。
 関西では電鉄会社が乗客を確保するため沿線地域を開発し、地域振興の一環として野球倶楽部を発足させて、プロ仕様の球場を作ったのに対して、東京では新聞や流通、映画会社など全国展開する企業が親会社であるため、必ずしも自前の球場を持つ必要がなかったことなど、野球を通じた東西比較論も面白い。
 もちろん野球を観る、あるいはスタンドに足を運ぶという行為が蓄積されれば、それで立派な個人の回顧録となり、そこに懐古というファクターがオブラートされることによって永久の宝物になりえるというのが私の持論なので、永井良和と橋爪紳也の二人の著作者がいくばくかの懐古趣味を南海ホークスに投影したことで、この本にコクが生まれたことは否定しない。
 だだ、読書感想文を基調とするページにあって、この類の本は読書好きとしてではなく野球好きとして読んでしまうので【読書道】に相応しいことが書けるかどうかは定かではなく、本への共感の大部分は著者と同世代の野球好きということに占有されていることをあらかじめ断っておきたい。
 そう二人の著者は1960年生まれということなので、おそらく私とは同学年であり、贔屓球団こそ違えど、野球を観るという行為に要した時間に大差はないだろうと思う。ただ観てきた風景はまるで違うものだっただろう。
 考えてみればとうとう南海ホークスの試合は一度も球場で観ることはなかった。旧いパ・リーグ球団の試合ならば、東映フライヤーズも阪急ブレーブスも近鉄バファローズも観たのだが、とうとう西鉄ライオンズと南海ホークスの試合は行く機会を逸したまま、球団が消滅してしまったことになる。
 とにもかくにも私に野球物心がついたとき、パ・リーグは阪急の黄金時代であり、南海と西鉄は常に最下位を争っていた。この両者がリーグの覇権を争って黄金カードと呼ばれていたのは1950年代のことで、だからこの二人の著者も当然、低迷期の南海ファンとして、閑古鳥の鳴く大阪球場にあって、遠くを見つめるような目をした大人たちから「百万ドル内野手」「四百フィート打線」の栄光を聞かされ、頭の中で杉浦忠の日本シリーズ4連投、32イニング436球という伝説を想像しながら少年時代を過ごしたに違いなく、いつか御堂筋パレードの再現を夢見ながら大人になり、やがて球団身売り、ダイエーホークス誕生、福岡転進という悲しい道筋に愕然とした経過を辿っていった筈だ。
 この本を読んでつくづく思ったのが、阪神タイガースのファンであることの贅沢さとその気質の傲慢さなのだが、それは横に置こうかと思う。

 ということで私は南海ホークスには殆ど縁がなく、大阪球場へもプロレスの興行で一度行ったきりなので、本書で語られる南海ホークスにまつわる数々のエピソードは初めて知ることばかりで、そのひとつひとつが非常に興味深かった。
 まず南海ホークスが緑を基調としたユニフォームを使用して「グリーン軍団」と呼ばれていたことは知っていたが、昭和22年からすでにチームカラーが緑であったことは知らなかったし、大阪球場の建設計画がGHQのお墨付きで進められ、大阪府に協賛を仰ぐのに鶴岡一人も交渉に尽力していたなども初めて知った。まして大阪球場の改修に物資の不足から南海電車のレールを代用していたなどはただ驚くことばかり。

 もちろん本書は球団史ではないので、スタンドのファン気質についても研究している。応援風景として今では当たり前となった鳴り物も、大阪球場完成当時は工場労働者たちがその辺に転がっている鉄パイプを加工して、木槌でぶっ叩くことから始まり、軍隊ラッパ、チャルメラ、豆腐屋ラッパが鳴り響いていたことなどを資料や文献から紹介している。今は女性ファンがピンクのユニフォームを着て声援を飛ばすのが当たり前になっているが、当時はスタンドを埋めていた大半が労働者だったことがわかる。
 ファン気質も大きく変わった。今のファンは試合中や試合後にインターネットのコミュニケーションで語り合うのだが、昔の少年たちは試合中継のラジオを聞いて、翌日に原っぱや放課後のグランドで試合を再現する。草野球もろくに出来なくなって、大半の公園ではキャッチボールも禁止されてしまったが、こういうことが都会でも自由にやれたのは私の世代までなのかもしれない。

 御堂筋パレードの当日に鶴岡の妻が先妻の位牌を持ってきて「どうかパレードを見せてあげてください」と語るエピソード。大阪球場最後の試合の後に杉浦が満員の観客に向かって「行ってまいります」と挨拶したことなど、舞台は大阪、消滅した球団だからこそ琴線に触れる浪花節の数々も紹介される。

 長年、愛し続けた球団と球場を失った大阪のファンのアイデンティティ喪失は、想像はつくものの、阪神ファンである間はおそらく実感することはないだろう。
 “不惑の大打者”門田博光はダイエー転入を拒否して関西に残りオリックスに入団。敵チームの一員として福岡入りしたときは裏切り者扱いされて「帰れコール」を浴びる。この仕打ちには福岡に着いて行けなかった大阪の南海ファンには身を切られる思いだったという。やがて門田はホークスに再移籍し、ファンに温かく迎えられたということだが、一度離れたチームに遅れて着いていく門田の行動が、大阪ファンの感情の軌跡でもあるという表現は、そんじょそこらのルポライターでは絶対に出でこないのだろうと思う。

 とにかく本書を読んで、たかが一試合の勝ち負けでガタガタいうのは止めようとつくづく思ったのだが、それはそれで難しいから困るのだ(苦笑)。


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