◎占星術殺人事件

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◎占星術殺人事件
島田荘司
光文社文庫


 東野圭吾『容疑者Xの献身』の読了後に、インターネットサイトのレヴューを眺めていたら、「本格論争」という案件にぶつかった。「本格ミステリベストテン」という年末企画で『容疑者Xの献身』が大賞となったことに対して、作家の二階堂黎人が自らのホームページで「あの作品は本格ものではない」と異議を申し立てたことに端を発して作家、評論家やマニアの間で本格ものの定義論争が巻き起こったということらしい。
 私はミステリーをミステリなどとシャレて書くのさえも気恥ずかしいほどのミステリ門外漢であるので、『容疑者Xの献身』が本格ものだろうが違かろうが大した問題ではなく、そのことで評価を決定することは読書としてはあまりにも狭量に過ぎると思うのだが、本格を錦の御旗に掲げている人たちにとってはそれこそが大問題だったらしい。
 そもそも八十年代の後半辺りから「新本格」というムーブメントがあって、これは「推理小説の本来の姿である本格の面白さ、つまり、ラストで明かされる壮大なトリック、魅力的な探偵のキャラクター造形などを追求する姿勢を鮮明にした作品を執筆し始めた一群の作家を指す」(ウィキペディア)ということで、我孫子武丸、綾辻行人、有栖川有栖、歌野晶午、北村薫、二階堂黎人、法月綸太郎、森博嗣、山口雅也らがその代表的作家ということになっている。
 九十年代はあまりにも読書とは無縁の生活を送っていたので、私にとってそのムーブメントは完全に穴の時期に符合している。 門外漢である以上は「本格論争」自体の評価も出来ないのだが、山口雅也『生ける屍の死』の項でも書いた通り、あの小説が「内容はアバンギャルドではあるが堂々たる本格ものである」ために評価されるという風潮には抵抗を感じている。あの作品はむしろ本格ものであること以前に、アバンギャルドであることが何よりも面白かったからだ。歌野晶午『葉桜の季節に君を想うこと』も然りで、単純に「やられた!」という気分が爽快だったことが私にとってはすべてであり、決して本格ものとして凄いと思ったわけではない。そもそも「本格もの」という響きに別ジャンルを亜流と見なす選民意識が見え隠れするのを、以前「所得番付上位者の大半がミステリー作家であるほどのマスな大ジャンルの核心に、日々戯言が繰り返されているミニマムなコミュニティがあるのではないかと感じることがある」と皮肉ってみたものだ。
 
 しかしそうはいってもミステリーを好む普通のファンとしては、このまま本格ものの定義を素通りして行くのもどうかと思うので、ならば「新本格」のムーブメントの幕を開けたと称される島田荘司のデビュー作を読んでみるかというのが手にとった動機だ。巻末の解説によると『占星術殺人事件』は日本の推理小説にとって“新しい古典”であるらしい。

 【密室で死体となって発見された画家が残した奇怪な小説。その内容は“肉体を支配する星座に従って、六人の若い女性から必要な各部を切り取り、不滅の肉体を合成する”というものだった。四十年の時を経て名探偵・御手洗潔が迷宮入り事件を追う。】

 結論からいえば面白かった。さすがに「新しい古典」といわれるだけの圧倒感に満ちており、ページを進めて行くほどに、独特の世界観に引き込まれていく。
 それにしても『容疑者Xの献身』でも書いたように、密室トリックや見立て殺人の謎を積極的に解明してやろうという気はさらさらなく、ホームズではなく、あくまでもワトソン志向で、受身であることを信条にしてページを進めてきたのだが、突然、物語が中断されて島田荘司が読者に挑戦するくだりが登場してきたのには驚かされた。こういう趣向はミステリーではしばしば行われていることだとは知っていたが、直面したのは初めてだった。
 「(前略)私はここらであの有名な言葉を書いておこうと思う。“私は読者に挑戦する”。今さら言うまでもないが、読者はすでに完璧以上の材料を得ている。また謎を解く鍵が、非常にあからさまな形で鼻先に突きつけられていることもお忘れなく。」
 一瞬、数学の文章問題を解かされている気分を思い出したものの、ここまで書かれると頭を空っぽにして物語に没頭するだけというわけにもいかず、結局、挿入されている見取り図、系図、地図や図形に付箋を貼っていくという読書になってしまった。
 まあワトソンもただホームズの後を着いて回るばかりではないので、本書でいえば名探偵の御手洗潔に推理競争を挑んで奔走する石岡和己の努力の1/10はしてしまったのかもしれない。
 しかし断言してもいいが、推理に参加する、しないは別としても『占星術殺人事件』は十分に面白い。トリックだけが突出してそこにドラマを見出せないミステリーなどとても好きになれないが、四十三年にも及ぶ事件というスケール感もさることながら、メタミステリー(これも最近憶えた言葉)として作中劇が短編小説、手記という形で三編も用意されており、その構造がトリックにもドラマにも生かされている。もともと戦前の日本を象徴させるモダンな猟奇性が加味された世界観は好みでもある。
 島田荘司の挑戦状にあるように、トリックのネタは奇想天外なものではなく、読後に振り返ってみれば確かに見破ることも可能だったような気にさせて、むしろ好感が持てたくらいだった。


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