◎大阪ばかぼんど

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◎大阪ばかぼんど
  -ハードボイルド作家のぐうたら日記-
黒川博行   
幻冬舎


 【連戦連敗の博打、空恐ろしい妻、軋むカラダ、愛らしいペット、トラブル続きのマイカー…。】

 副題に『ハードボイルド作家のぐうたら日記』とある通り、黒川博行のエッセイ本ということになる。黒川博行の世界観が果てしてハードボイルドなのかといえば「?」マークがついてしまうが、私は基本的に物語文学一辺倒の読者であるので、日記、エッセイ、評論の類は雑誌やネットで事足りると勝手に思っていて、『大阪ばかぼんど』という本の存在は知っていてもなかなか手に取るまでは至らなかった。
 結局、黒川博行を読み漁る中で、既刊本も残り少なくなり、たまたま豊島区立図書館で検索してみると蔵書されていたので借りてみたという、我ながらかなりお気楽に始めた読書になった。
 ところがこれがめっぽう面白い。文庫本を買ってしまうかもしれない。とにかく “関西アンダーグランドの旗手”という小説のイメージのままこのエッセイを読むと面白さは倍増する。
 よく文庫本巻末の解説で黒川博行の人となりが語られることがあるが、そこでの黒川博行は「一見その筋の人かと見間違うようなアロハシャツに色つき眼鏡、物静かなたたずまいで・・・」というキャラクターで登場する。実際『疫病神』を一読した後に黒川博行の画像を見ればいかにもさもありなんだとなる。
 ところがエッセイを読むと「行き当たりばったり」「出たとこ勝負」「棚からぼた餅」「果報は寝て待て」が処世訓だという自称するダメおやじの顔が随所に溢れ出す。
 このエッセイの気質には「自虐」がある。これは「笑ってもらえばそれでええ」というのは一部の大阪人に独特のものなのかもしれないが、どうも博打に負け、株で大損し、嫁はんの尻に敷かれて縮こまる自分を徹底的に卑下することでエンターティメンを目指しているとしか思えないフシがある。これは黒川が「他人の不幸は蜜の味」だということを知り尽くしているからではないか。
 ツッコミどころも満載で、例えばエピソードタイトルに『美術館で出会った一級品 麻雀頭脳を刺激!?』というのがあるが、これなど「麻雀頭脳?作家頭脳を刺激させんかい!」と思わず笑ってしまう。
 もともと捜査にあたる刑事同士や一攫千金の野望に狂騒するワル同士の会話で漫才が書ける作家だ。小説でなくてもおもろいことを書くことはわかってはいる。麻雀牌の並べ方も覚束ない私ですら、麻雀の場面で笑えるのはひとえに黒川博行の上手さに他ならない。
「博打で負けて株で大損して思わずウンコもらしそうになる」などの表現を目にすると「しょーもないな」と思いながらも微笑ましくなるではないか。

 そして白眉がエッセイの第二章にあたる『恐妻に慄く』だろう。
「わたしと同じ齢だが、そのことを小指の先の爪の垢ほども意識していない」というよめはん。このよめはんとの掛け合いがまさに「おかしうてやがていとしき夫婦善哉」の域に昇華していく。
 この夫婦はことあるごとに口喧嘩が絶えない。よめはんは昔、山中でガス欠したとき、夫の帰りを猿に睨まれながら車の中でじっと待っていたにもかかわらず、夫が腹減っていたからと、うどんを食っていたことを未だに根に持っている。
 「よめはんはすぐ怒り、わたしはすぐ謝る。これ四半世紀にわたる夫婦の習い」だそうだが、その黒川博行のよめはんは日本画家の黒川雅子。このエッセイのよめはんのイメージで黒川雅子の画像を検索すると見事なまでに美しい作品が出てきて思わず息を飲む。
 夫婦とも小動物が大好きで、夫婦揃って庭に迷い込んだ狸に餌をやる場面。「かわいいな、え」と妻に語りかける黒川。このエッセイでの名場面だと思う。

 このエッセイが「夕刊フジ」に連載されていたことは抑えなければならない。仕事帰りのサラリーマンが電車の中で読む99%オッサン新聞で、当然、読者も疲れ気味で、活字が追える程度に一杯引っ掛けてきたオッサンばかり。そんな読者を麻雀話や株の話しで笑わせるながら、嫁はんの悪口で共感させる。この手の夕刊紙はまず自宅に持ち帰られることはなく電車の網棚か帰宅駅のゴミ箱に捨てられるのだから潔くもそこで完結する。
 「自分から場をリードすることない無口な人見知り」という自己分析ではあっても無類の博打好きであるゆえに黒川博行は豊富な交友録を持っている。その顔ぶれも楽しい。


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