◎真相

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◎真 相 
横山秀夫
双葉文庫


 一年前に読んでいたのだが、拙速感も甚だしい読書となったので改めて読み返すことにした。
 何故、拙速感甚だしくなっていたのか読み返して納得がいった。この『真相』に収録されている五編のエピソードの主人公たちそれぞれが皆、激しい焦燥感に追い詰められている。今、まさにもの凄い勢いで奈落へと急いでいる男たちばかりであり、彼らの焦燥に追い立てられるようにページをめくらされてしまっていたからだ。
 誰か第三者に時間の管理を委ねたいとすら思う。読後にこの短編集をラジオドラマで聴けたら最高なのではないかと思った所以だ。

 【犯人逮捕は事件の終わりではない。そこから始まるもうひとつのドラマがある。―息子を殺された男が、犯人の自供によって知る息子の別の顔「真相」。選挙に出馬した男の、絶対に当選しなければならない理由「18番ホール」など、事件の奥に隠された個人対個人の物語五編。】

 横山秀夫は短いセンテンスで主人公が置かれている立場をいとも簡単に説明してしまう。私が短編よりも長編を好む読者だったのは、短編の文字量では登場人物が記号化されて、その人物の生きてきた歳月から来る心情の重みを十分にかみ締める余裕がないという理由なのだが、それを完璧に覆されたのは横山秀夫を読むようになってからだった。
 
 表題作の『真相』は、父親の代から零細企業を相手に経理事務所を営む税理士が主人公。十年前に息子を何者かに殺された惨たらしい過去に縛られながらやるせない日々を過ごしている。横山秀夫が凄いのは僅かな登場人物のプロフィールを説明するだけで、早くも読者に彼らの深い苦悩と重い人生を想像させてしまう筆力にある。
 一体どうしたらこんなことが可能なのだろう。日常生活も淡々と描きながらも、事件に入っていく転調があまりに鮮やかだということもあるのかもしれないし、言葉の選び方がとてつもなく秀でているからかもしれない。
 息子を殺害した犯人が捕まった。突然訪れた転機に動転しながらも仏前に手を合わせて息子に犯人逮捕を報告する。十年間待ち侘びた。しかし心の空洞を埋める何物も得ることはできない。こういう状況に置かれた人物は非常に珍しいはずだ。しかしその心情は横山秀夫によって手に取るように伝わってくる。登場人物と経験は共有出来ないまでも強引に心情を共感させてしまう力は重松清と双璧なのかもしれない。
 そういえば、息子が殺害当事に万引きをしていたことが明かされるくだりで、一瞬、自殺した息子の同級生の遺書に息子の名前を見つけてしまった父親の衝撃を描いた重松清の小説が思い浮かんだ。
 無垢のまま無残にも短い命を強制的に奪われた息子は、実は周囲から疎ましく思われていたという事実。確かに犯人逮捕の瞬間から本当の「真相」は残酷な形で現れてくるものかもしれない。

 この短編集は警察官が出てこないという意味において“警察小説の名手”横山秀夫の中では異色作なのかもしれない。しかし、事件を別の方向で描いたというだけで、今まで読んだ『深追い』『陰の季節』『動機』といった連作短編集と同じ色合いにある。
 やや、唐突に物語が収斂していくのは多少の違和感を覚えるものの、刑事ものと違い、追い詰められていく主人公たちの心理サスペンスは痛いほど響いてくる。本作を読むと警察側から描く事件小説は所詮は、安全地帯からの視点に過ぎないのではないかとさえ思えてくる。
 『18番ホール』や『他人の家』などは過去から逃げおおせたと思った途端に主人公たちを更なる暗転が襲う。読後のカタルシスとは縁遠い世界。私が横山秀夫の小説を何冊も待機させながら、それを消化できないでいる理由はそこにあるのかもしれない。

 横山秀夫は本の帯に以下の言葉を記している。
 「事件の後に残るものとは何だろう。 そんな漠とした思いが、この連作集の出発点だった。 事件とは、死者にとってのドラマではなく、死者を取り巻く人々の哀しみや懊悩―。 そうだとするならば、事件が終わった後にこそ人の胸を焼き焦がす「真の事件」が頭を擡げる。」と。

 確かにミステリーのジャンルに死体はつきものだ。しかもおびただしいほどの死体の山を累々と築き上げてこのジャンルは歴史を積み上げてきた。しかしその死体の周囲にはどれだけの人々の人生が重なっていることだろうか。
 そのことを読者に短編小説という形式で省みさせる横山秀夫は怖い。率直にそう思った。


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