◎空の中

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◎空の中
有川 浩
角川文庫


 有川浩のデビュー第二作ということだが、その精神性は別としても構成力と文章力は前作の『塩の街』を軽く凌駕していたと思う。少なくとも作者自身がデビュー作の文庫で自己指摘した「拙さ」は『空の中』では感じられなかった。情緒を抑えながらある種のカタルシスにまで持っていく手腕にはまったく恐れ入る。

 【高度2万メートルで起こった二度の航空機事故。事故原因の調査を命じられた春名高巳は、パイロットの武田光稀ともに空の中で、ある「物体」と遭遇する。一方、高知の片田舎で父親を航空機事故で失った少年・斉木瞬は浜辺である物体を拾うのだが…。】

 作品のフォーマットとしては「未確認生物と人間たちとの確執とふれあい」という類型からそれほど離れたものではない。子供(たち)が突然現れた謎の生物と交流を持ち、それが大人社会に受け入れられず・・・というのも怪獣映画では王道のような展開ではある。
 個人的にこういうSF・ファンタジーは映画で観ていても、小説で読むのはほぼ初めてのことなので、かなり新鮮な気分で読んだのだが、これがラノベであるという意識は最初から捨てていた。
 この小説の怪獣は空に浮かぶ楕円の白い巨大物体。【白鯨】と名付けられ、高度2万メートルの上空に突然と登場する。その【白鯨】に衝突してしまった民間機と自衛隊機、その衝撃で【白鯨】の一部が崩落して「フェイク」が生まれ、そのフェイクを拾って自部屋で育てようとする自衛隊機飛行士の息子・瞬と幼な馴染の佳枝。本体の【白鯨】を「ディック」と呼んで、様々な通信を試みる事故調査員の春名高巳と、衝突事故の現場に居た武田光稀飛行士。概ね「ディック」と「フェイク」にそれぞれ関わる人物たちのエピソードで『空の中』は構成されている。

 まず驚かされたのが小説の主要人物である斉木瞬、天野佳枝、春名高巳、武田光稀、白川真帆という物語の主要人物にディックとフェイク。これらのキャラクターが見事に描き分けられていていたこと。それぞれがエキセントリックな強い個性の持ち主なのだが、まったく喧嘩せずに『空の中』で見事に調和していたのには単純に凄いと思った。宮じいは名バイプレーヤーという感じか。
 しかし、どのキャラクターが一番秀でていて、傑出しているかという話には持っていきたくない。瞬は佳枝と、春名は光稀とのペアを組むことで、相乗効果を醸していると思うからだ。もちろんそれぞれに課せられた物語の好き嫌いというものはある。
 瞬が、父親の死から次第に自分を見失っていき、フェイクとのコミュニケートにのめり込んでいく姿と、それを見守るしかない佳枝の葛藤。そこを真帆に取り込まれてフェイクが【白鯨】殲滅の切り札として使われる件はなかなかつらい。フェイクへの贖罪の念が自らを追い込んでいくのは、独りよがりには違いないのだが思春期の少年独特の焦燥感を感じさせて胸がしめつけられる思いだ。
 この小説では大人たちよりも瞬、佳枝、真帆と高校生たちがやたらに傷ついていく。
 それを救ったのが宮じいの「瞬よ、お前は一体何様になったがな」という土佐弁での一言。そして自暴自棄になりかけた真帆にも救いの言葉を投げかけるのだが、この仁淀川の漁師は間違いなく『空の中』という小説の精神的支柱となっている。
 SFでもありファンタジーの色合いが強い小説だが、宮じいと佳枝の土佐弁による土着性が、文字通り、仁淀川の清流が物語に潤いを与えたのではないか。
 この宮じい、瞬、佳枝の後日談として文庫版に収録された『仁淀の神様』はノルタルジックに溢れた号泣ものの小編で、ある意味で本書の読後感を決定づけたのではないか。
 因みに仁淀川は一級河川だが、高知の外に出したら特級は間違いないらしい。このあたりは高知出身の有川浩の思いもあるのかもしれない。
 
 そして『空の中』のもうひとつの魅力は、この小説が優れた“ディスカッションドラマ”としての側面を持っている点だ。「交渉」と「説得」の場面だけでここまで読ませる小説には初めてお目にかかったのではないか。
 高巳とディックの交渉はそのまま不干渉型や防衛型の【白鯨】への説得となり、なかなか息をつかせない。それにしても一度バラバラになった【白鯨】を言葉によって再び融合させるなどという着想はどこで思いついたのだろう。
 その高巳は言葉巧みに真帆も追い詰めていく。そのセーブ・ザ・セーフ本部での対決はその駆け引きの面白さという点において良質な法廷ドラマの興奮に匹敵する。

 さて、キャラクターに優劣はないと書いてはみたものの、私は今風にいえば(?)ツンデレの権化である光稀には強く惹かれた。白状すれば春名が最初は軽薄な雰囲気で登場し、次第に度量の大きさで男勝りの女性自衛官を籠絡していくあたりのラブコメ的な展開は実は私のツボだったりもするのだ。
 もちろん膨大な数の被害者を出した国家的な危機に際し、いちいちお互いのちょっとした仕草に恋心をくすぐられているなど不謹慎にもほどがあるのだろうが、これはこの小説の世界観が色恋沙汰に帰着するというお約束の内だと思えばいい。いや思うしかない(笑)。
 しかし、しつこいようだが所詮ラノベなのだからこういうものだとは一切思わなかった。一級のエンターティメイント小説だ。
 

 


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