◎能面殺人事件

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◎能面殺人事件
高木彬光
双葉文庫


 十年ひと昔の例えをいうなら、高木彬光は三~四時代も前の流行作家になるのだろうか。中学の頃はそれこそ高木彬光のカッパブックスが本屋にズラリと並んでいた。
 新書版のノベルスは今ではすっかり廃れてしまったようで、小さな本屋だと陳列すらしていないという有様なのだが、あれは角川春樹が物量で「横溝正史フェア」を文庫本で展開してから衰退が始まったのだと思う。
 個人的には児童書から文庫本に移行する読書体験の狭間でカッパブックスなどの新書版をよく手にしていたが、エンターティメイントのジャンルでかつての『日本沈没』や『ノストラダムの大予言』のような大ベストセラーは本当に聞かなくなった。中途半端なサイズに二段組という構成が時代から敬遠されたの知れない。
 かつてあれだけ高木彬光のカッパブックスが書店を賑わしていたのだから、この『能面殺人事件』にしても『刺青殺人事件』『成吉思汗の秘密』にしても簡単にブックオフで手に入るだろうと思っていたら、ほとんどの店で在庫されていないばかりか、ネットの検索で引っ掛けるのも容易ではなかった。デビュー作の『刺青殺人事件』など文庫本でも未だに探しきれていない。中古市場にそれだけ流れていないということは、いわば残念ながら高木彬光そのものが過去の時代の産物として流通されていないということなのだろう。

 では何故、ここに至って高木彬光を読もうとしたのか。それはこの[読書道]で何回か触れている中学のバスケット部の同僚だったI君のことが影響している。
 I君は家が近所だということもあって、部活の帰り道によく小説の話をした。I君は趣味がとかく移り気な私と違って、この高木彬光はもちろん、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティから夏目漱石、シェイクスピアまで部活の対外試合の先まで常に文庫本を携行している無類の読書家で、何度か古本屋めぐりにも付き合ったことがあるのだが、さすがにその旺盛な読書量にはついていけず、(そればかりが理由ではないのだろうが)付き合いは次第に疎遠となって、最後の方は道で会っても口を聞かなくなってしまっていた。
 今となっては思春期の付き合いにありがちな儚さだと笑えるのだが、中学生のI君が読んでいた本の数々は何となくわだかまりとなってずっと記憶に刻まれていた。
 50も過ぎて遅ればせながら、そのI君の愛読書を少しずつでも読んでいこうかと思っている。それこそ40年近いスパンがあるとはいえ、相手は中学生なのだから、50を超えた自分が楽しめないわけはないだろうと、未だに小説を読みきる力の脆弱さを自覚している私は思うわけだ。
 だから夏目漱石を読み、このたび高木彬光を手にしたのは疎遠にしてしまったI君への贖罪と同時に挑戦でもある。今年は折を見てI君が読んでいたエラリー・クイーンにもW・コリンズの『月長石』も読んでいこうかと思っている。
 そこで今後はこれらの一連の読書を「I君挑戦シリーズ」と勝手に位置づけることにしたいが、どこかでI君に会ったとき、その挨拶の初端で「今、君が中学のときに読んでいた本を読んでるよ」ということが出来たらそれは面白いことになるのではないだろうか。

 って、まったく『能面殺人事件』の感想が始まらない(笑)。

 【次々と一族が死んでいく呪われた千鶴井家の当主泰次郎は密室で殺されてしまう。香水の微香漂う現場に不気味な男女の能面…。そしてさらに第二、第三の惨劇が続く…。】

 冒頭に高木彬光を三~四時代も前の流行作家と書いたが、この作品自体が発表されたのが、昭和二十三年のこと。そう思うと高木彬光は現代作家というよりも戦後作家というカテゴリーが正しいのかもしれない。推理小説というより探偵小説と呼ばれた時代の作品で、この頃の小説は作者自身が戦争から復員している実体験も反映されて、語られる事件はおどおどろしく、戦後の民主主義との狭間で価値観が揺れる場合が多く、この『能面殺人事件』もその線に沿った作風だった。
 旧名門家の因習が色濃く物語に反映され、全体的な文章も登場人物の言動も良くいえば文学的で、悪くいえばかなり大時代的で少し笑ってしまうのだが、目指すところは間違いなく本格推理小説だ。
 笑ってしまうといえば、綾辻行人、有栖川有栖、二階堂黎人たちの初期作品もそうなのだが、作家になる以前の探偵小説ファンだった頃に培った薀蓄をやたら披露したがる傾向があり、そりは高木彬光のような大家であっても若い頃は例外ではなく、ヴァン・ダイン、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーンについて“高木彬光”を名乗る素人探偵が現れて海外の探偵小説を語るのだが、正直、これは読んでいてかなり恥ずかしかった。
 しかも『能面殺人事件』に登場する高木彬光探偵が堂々とそれらの作品のネタ晴らしまでやってしまうのは少なからぬ暴挙ではなかったか。ネタ晴らしどころかトリックのモチーフにまで引用し、その作品名を挙げてしまっているのは若気の至りとしてもルール違反も甚だしい。多分、私はクリスティの『アクロイド殺し』を読むことはないだろう。
 密室殺人は物理的トリックはもともと映像で見ないとよくわらかないので、読み飛ばすのだが(ひでぇ読者だ)、空気注射による殺人が完全犯罪であるという認識も甘いのではないだろうか。
 とても一気読みは出来なかったが、読後感としては最後の最後に二重のドンデン返しがあって、これを20代の新人作家が書き上げたことは好感を抱かせるのに十分だった。
 高木彬光はこの後、名作とされる『人形はなぜ殺される』『成吉思汗の秘密』が控えている。この先洗練してくるはずなので楽しみではある。
 因みに光文社のカッパノベルズは今も刊行されてはいる。


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