■2011.04

日めくり 2011年04月(平成23年)         


2011.04.01 新人歓迎会

職場に新人さんが入り、その歓迎会をネオンもまばらな新宿で行う。
いかにも四月の初々しい風物詩という感じではあるが、
その新人さんとの会話が「血圧の具合はどうですか?」「毎朝、薬を飲んでます」。
わが職場の職員平均年齢を限りなく還暦へと近づけてくれる新人さんだ。
宴会場曰く「未曾有のキャンセルが続いた」最中に入った予約にサービス満点。
ブリや中トロの刺身盛、キンメの煮付け、アワビ一皿からどかんとステーキまで出た。
贅沢であったが、これも経済活動だとばかりにガツガツ腹におさめた。


2011.04.02 ドンドン、ガンガン、チュイィィーン

年に数回ほどに煩わしい米軍機の騒音のための防音工事がひと月半過ぎても終らない。
なんと地震の当日でさえ夜まで上から下へと工事を続けていたのだという。
拒否した手前、ガマンしているが、あまりの騒音で土曜の朝の安眠は破られ放し。
プロ野球も『午前十時の映画祭』も延期中なので、朝から喫茶店でコーヒーだ。
さすがに震災の後だといろいろと思うこともある。
一世帯400万も使って壁や天井を引っぺがし、無駄な瓦礫を作る作業のアホらしさ。
金ももったいなければ、その作業に費やされる労力ももったいない。
まさしく上から読んでも下から読んでも「よのなかバカなのよ」だ。


2011.04.03 センバツ甲子園終る

今年のセンバツ大会はどの学校が優勝しても、開催したことに意義があった。
一応、住処から20分も歩けば到着する地元の高校が大会を制した。
因みに山下泰裕、井上康生、高山善廣、神尾米が同校の出身。
プロ野球では何といってもタイガースに入団したルーキー一二三がいる。
ぜひ先輩のドラゴンズ森野のようにチームを引っ張るリーダーになってもらいたい。
そして今回懐かしかったのが鹿児島実業と準々決勝で対戦したこと。
あの36年前の夏の甲子園。照明灯の下で鹿実のエース定岡との延長15回の死闘。
デートで『エクソシスト』を観に行ったとき、上映前のニュース映画でも熱くなった。
当時、県内の映画館では必ず五分ほどの「神奈川県ニュース」が上映されていたのだ。
私が中二の夏。今回のセンバツと同じ準々決勝だった。


2011.04.04 桜咲く頃

毎年4月4日の桜の頃になると思い出す。
1978年、後楽園球場でのキャンディーズの解散コンサート。
1998年、東京ドームでのアントニオ猪木引退試合。
一昨年のこの日は花見に行った。去年はタイガースの負けを愚痴っていた。
どんよりとした不安の中で、今年の桜の開花はやけに遅い気がする。


2011.04.05 花冷え・春眠

残業は一切しないという職場は午後6時には誰もいなくなる。
ここで働くようになった頃はびっくりしたものだが、今はすっかり慣れてしまった。
今日はちょこっと机の整理をするため、戸締り役を買って出たのだが、
あろうことか帰り際に強烈な睡魔が来て、椅子に座ったまま舟を漕いでしまう。
暖房が止まった事務所のあまりの寒さにブルっと震えて目が醒める。
時計を見たら午後8時。なんでとっとと帰らなかったのだろう。
季節感もなく、花見の話題もなく、卒業証書の筒を抱えた袴姿の女子大生もなく、
自粛ムードというよりも萎縮ムードばかりが蔓延しているような都会で、
「ひたすら眠い」ことだけが春の風物詩として健在だ。


2011.04.06 急行電車

しばらく各駅運行のみだった東急電鉄も急行が走り出し、通勤時間も通常に戻った。
もともと通勤時の混雑率で常に上位にランキングされる路線なれど、
急行運転再開によって、少しでも早く目的地に到着するのは有難いこと。
気がつけば桜も満開で、ようやく春めいてきたという実感。
しかし、春を実感するのと引き換えに確実に何かを麻痺させているのも確かだ。
まあ、せっかく桜も満開になったのだから今日は麻痺したままにしておこうか。


2011.04.07 今、書こうとした途端

携帯電話の緊急地震アラームが鳴り、それがテレビのニュースとシンクロする。
「さあ来るぞ」と思った途端、ぐらぐらぐら、ガラス戸が音を立ててガタガタガタ。
地震には慣れたとはいえ、今のはちょっと長かった。仙台で震度6強。
こちらはテロップでは震度3。同じ数字でも体感震度は様々だ。
4月に入って気分を変えようかと思った矢先の揺れ。避難所はたまらんだろな。


2011.04.08 嫌な感じ

それにしても新聞もテレビのニュースも明るい話題がほとんど皆無だ。
そんな流れの中で「あなたの今日の運勢は?」なんてアホらしくてテレビを切る。
通勤客が行き交う駅では、朝から女の子がパチンコ屋のティッシュ配り。
ひとつ貰っておこうかと手を出すと、今、配り終わったと「ごめんなさい」された。
なんだこの運のなさは!と、思わず携帯サイトで運勢を確かめる。


2011.04.09 ご忠告をいただき

予約した脳ドックのクリニックから、事前の問診表が実家に届いた。
頭痛で悩んでいることなど知らない母親を驚かせてしまったが、
「金をかけず、上手に治療として持っていけば保険が利くだろうに」
いかに安くMRI検査までごぎつけられるか、さすがに血管疾患の家系だけある。


2011.04.10 Champion

「自分はダメでしたが、被災地の方々には西岡さん、粟生がいい試合でパワーを届けてくれたと思います。被災地の皆さん、強い心で前を向いて頑張り抜いて下さい」
一夜明けて、肩書きも勲章も消えたかもしれない。
でも、君は最高のチャンピオンだ。


2011.04.11 大地震から一ヶ月

大震災から一ヶ月と書かないのは、震災は現在進行形であると思うから。
いや、思うもなにも、今日の夕方も激しく揺れて、首都圏の地下鉄はしばらく止まった。
半月前より増えている行方不明者数は1万4千人以上、避難所には15万人。
福島第一原発では放射能に汚染された水を海に捨てている事態。
思えば、原発事故を起こすまで我々はチェルノブイリなんて地名は知らなかった。
今では外電でFUKUSHIMAの文字が災禍の象徴のように飛びかっている。
ローマ字で表記されると、まるでHIROSHIMA、NAGASAKIみたいだ。


2011.04.12 上175下105

脳ドックへ行ってきた。
MRIでは頭を固定したまま、じっと40分頑張った。
しかし検査直前の地震に動揺したつもりはなかったが、
血圧が175/105という数値。これは70歳以上の平均を超える値だ。
幸い脳溢血や脳梗塞の兆しが窺えるものは見つからなかったが、
いくらなんでも血圧を下げる努力をしなければならない。
どえらい宿題を抱えてしまったというのが今の気分か。


2011.04.13 開幕連勝!

野球が始まった。
帰宅が遅れてチラッとしか観ていないが、やはり野球はいい。
「見せましょう、野球の底力を」
「見せましょう、野球選手の底力を」
「見せましょう、野球ファンの底力を」
楽天の嶋のスピーチもよかった。
創志学園の野山主将といい、小さな力でも、野球選手の言葉が少しでも届けと思う。


2011.04.14 遮断機

駅の裏口から帰ると踏み切りを渡ることになる。
線路沿いの小道を歩きながら、カンカンカンと鳴ってくれるなと思う。
昔は遮断機を平気でくぐっていたが、さすがにそれはやらなくなった。
毎日のようにダラダラと時間を無駄にしているわりに、
電車が過ぎ行くのを待つ時間が、やけに勿体なく感じるのは何故だろう。


2011.04.15 新宿与太

ひょんなことで久々に深夜の新宿をうろつく。
JRが国鉄と呼ばれていた頃の南口は甲州街道のガード下も随分と寂れていて、
バラックみたいな一杯飲み屋や大人のおもちゃ屋が建ち並んでいた。
高校生の頃、新宿昭和館での高倉健や菅原文太の余韻を噛み締めながら、
何故だか、私はこんな風景に溶け込むような大人に憧れていた。
南口はすっかり再開発され、ファッションビル前のスペースでは若者たちが歌い、踊る。
そんな風景に完全に浮いてしまったおっさんは、終電に遅れまいと改札へと急いでいる。


2011.04.16 総力戦ドロー

久々にナイター中継をプレーボールからゲームセットまで観る。
タイガースもドラゴンズも凌ぎ合ったというより、決め手を欠いてのドロー。
あれだけミスを連発して負けなかったのは奇跡に近いか。
今年の尾張名古屋は鬼門ではないのかもしれない。
こうして野球をゆっくり楽しめる日々が続けばいいとつくづく思う。


2011.04.17 一応

映画館行って、プロ野球中継観て。
ようやく当たり前のように過ごしていた日曜日が戻ってきた。
もちろん平穏な日常が帰ってきたわけでもなんでもない。
海老名の劇場では『午前十時の映画祭』が昨日から再開したものの、
昨日、出掛けていたらヘップバーンとK・グラントの追いかけっこで震度3に遭っていた。
ららぽーとの劇場に至っては安全確認が取れるまでということで未だに全館閉鎖中。
野球もタイガースの勝利を願って采配や作戦についてあれやこれやと思うより、
「今の日本でやっているプロ野球」。
あるいは「プロ野球を見ている自分」がテーマとなってしまう。
平静を取り戻す手段として、一応、映画館行って、一応、プロ野球中継観て。
一応の気分から抜けられるのはいつのことだろう。


2011.04.18 帰るのがかったるくなる病

仕事が終わって、なぜか無性に寿司が食いたくなり、
目黒の某人気回転寿司に寄って握りをむしゃむしゃと頬張る。
満腹になると突然かったるくなって帰宅する気が失せてきた。
私は昔から年に何度も「帰るのがかったるくなる病」にかかる。
喫茶店でコーヒー飲んで気分を落ち着けようとするのだが、
満員電車での帰宅と明日の通勤を考えるとどうしてもどこかで一泊したくなる。
もともと私は外泊が大好きなのだ。出来れば都内のホテルを転々としたいと思っている。
結局、財布と相談して無理やり帰宅電車に飛び乗ったのだが、
こうして実家を出ているのも「帰るのがかったるくなる病」の延長なのかもしれない。


2011.04.19 一日の終わり近くに

朝起きて、仕事行って、満員電車で帰ってくれば、それなりに些末なことは起こる。
そして、わざわざここに書くべきものなのかどうか迷う。
しかし野球中継が今季最初の甲子園での巨人戦。そして劇的なサヨナラ勝利。
五年間くすぶっていた新井弟が絶叫しながら一塁ベースを駆け抜けた瞬間、
「しゃあっ!」と西武にいた懐かしのデストラーデのポーズをやってしまった。
一日に起こったそれなりに些末なことを軽く吹っ飛ばしてくれてありがとう。


2011.04.20 会話

今どきの若い奴らより、職場の先輩たちとの会話の方が楽しくなっている。
テレビや音楽などのトレンド話より高血圧や入れ歯の話の方が理解しやすい。
そりゃ二十歳が相手では30も下だが、還暦の人たちとは10しか違わない。
若者たちが語る未来にリアリティはないが、先輩たちと語る老後には現実感がある。


2011.04.21 スーちゃんが・・・

嘘だろ・・・明日仕事行くの止めようかな。
そうもいかないか。
・・・・・・・
合掌。


2011.04.22 馬鹿な話

この機に復活し、言いたい放題の反原発の学者、文化人は何とかならないものか。
今「それ見ろ、だから言わんこっちゃない」としたり顔することが何を生み出すのか。
広瀬某やら小出某の発言がチェーンメールに乗って全国に拡散する。
不安を煽るだけ煽った挙句、風評被害を増幅させ、結果、国家隠ぺい説が蔓延する。
そんな中で避難エリアの住民に対し、受け入れ先が放射能測定を実施したという。
あるいは原発避難者の子供がいじめられているとも聞く。
煽られた風評被害は農作物だけではなく人にも及ぶということか。あまりにも情けない。
まして東電エリアの地域が福島の人々を差別するなど最低の話だ。
放射能は怖い、今後の原発行政の見直しは必至である。こんなもの当たり前の話。
しかし今はこの現実にどう向き合うのか。その一点のみを考えるべきではないのか。


2011.04.23 くるくる危ない土曜日

今村昌平に鍛えられ、女優・田中好子は眩しいスポットの跡を見事なまでに消していた。
もうキャンディーズの再結成や復活など望んではならなかったのだ。
解散して何年か後に再結成するそこらのユニットと、
彼女たちとは「解散」の重みが違う。
キャンディーズはみんなが好きだったが、誰が好きかで何度喧嘩になったことか。
スーちゃんの突然の訃報に際して渾身の(?)ブログをアップしようと思ったが、
何を書いていいのかわからない。いや書きたいことは山ほどあるのだけど、
どれだけ文字数を費やしても、スーちゃんもキャンディーズも語りつくせない。
キッチリとハモれる彼女たちのコーラスにクオリティの高さを再認識し、
YouTubeにアップされていた彼女たちのコントに涙が出るほど笑って一日を過ごす。
「C!A!N!D!I!E!S!スーパー!スーパー!スーパー!キャンティーズ!!」
青春時代の記念碑がまたひとつ神棚に祀られた。


2011.04.24 お試しあれ

職場の先輩から風評被害で出荷されない茨城産の野菜をもらうことがある。
今回は間引きされた葉大根。小さな大根よりも葉っぱをどう食うかが問題となる。
大根の葉を湯通しして冷やし、細かく刻んでバラ肉と豆腐で炒め、塩コショウを振る。
かつおと和風だし、酒、醤油、みりんで味付けをして最後に卵を投下。
これ実はネットのレシピに従って作ってみたのだが、いやはやご飯が進む、進む。
こんなに旨いと、むしろ、簡単にスーパーで大根葉が手に入らない方が残念。
米も実家に行けば新潟米が余っているのだが、少しでも援助になればと宮城米を購入。
もし大根葉が手に入ったらお試しあれ。


2011.04.25 ダメじゃん

近頃、舗道などで歩き煙草をするオッサンや女の子を見かけると無性に腹が立つ。
「お前らみたいなのがいるから、愛煙家の肩身が狭くなっているんじゃ!」と。
ところが昨夜のレイトショーの帰り道で映画館から歩いて帰る途中、
映画の余韻と、誰もいない深夜の遊歩道を歩くのがあまりにも気持ち良くて、
ついつい煙草をくわえて火をつけてしまった。
中島みゆきさんの名曲『ファイト!』にこんなフレーズがある。
~ わたしの敵はわたしです ♪


2011.04.26 もともと東京は明るすぎたのだ

ニューヨークに行ったウン十年前。
想像していた眩いばかりの摩天楼とは違い、随分と暗いなと思った。
タイムズスクエア、ブロードウェイも一歩通りを隔てればかなり暗い。
マディソン街の夜など闇に近いのではないかと思ったほど。
ロスも然りだし、映画で見るロンドンもパリもローマも夜はかなり暗く感じる、
もともと東京は必要以上に明るかったのではないか。
終夜ネオンが輝き、自動販売機が点在する。首都を挙げてオール電化だった。
確かに新宿の靖国通や、渋谷のスクランブル交差点は暗くなった。
しかし、これが人々を憂鬱にさせる暗さかと思えば決してそうでもない。
クリスマスの表参道や新宿南口のサザンテラスなどがむしろ異常だったのだ。
少なくとも「一度享受してしまった豊かさからは後戻りは出来ない」は嘘だと思う。


2011.04.27 雑誌「ぴあ」廃刊

「ぴあ」の廃刊が決定したという。
そういえば最後に買ってから二十年くらい経っていたかもしれない。
月刊で100円。読者ベストテンでは東映やくざ映画と日活ロマンポルノが並んでいた。
高校から大学生の頃、私のバッグから「ぴあ」が消えることは殆どなかった。
あの頃は首都圏に点在していた名画座にマーカーを引くのが何よりも楽しかったし、
窓口で見せれば割引も利いたので、購入代金などあっさりと元が取れた。
映画だけではなく、寺山修司、唐十郎、つかこうへいから野田秀樹まで、
小さな劇場のムーブメントを東京の若者文化にまで広げたのも「ぴあ」だった。
「ぴあ」を廃刊に追い込んだのも、オンラインに特化したぴあ自身なのだろうが、
利便性と機能性の陰で、巷に息づいていた熱気は消えてしまった気がする。
「ぴあ」廃刊を時代の象徴と片づけるのは簡単なことだろうが、
退屈な大学の講義中、欄外の投稿欄に笑っていた日々も忘れてしまうのだろうか。


2011.04.28 四十九日

未だに行方不明者が一万人を超えている中で、
被災した東北各地の学校や避難所で四十九日の法要が行われたようだ。
この機に合わせたように海上保安庁の未公開ビデオも公開される。
私もようやく去年の夏に訪れた塩竈の被災状況をネットで確認してみた。
やはり記憶に新しい街並みが一変している様には思わず息をのんでしまうが、
復興した暁にはもう一度訪れて旨い寿司を頬張ってみたいとも思った。
ニュースでは、行方不明になっていた娘の遺体が見つかったという母親の安堵の涙。
悲しいことだけど、それだけではないというのが四十九日という時間なのかもしれない。


2011.04.29 GWしつつ

仕事はカレンダーどおりなので、飛び石で三連休が二度続く。
別に十連休が欲しいわけではないが、GWの東京ドームに行かないと決めた時点で、
連休中の予定はすべて白紙になった。
GW初日は国会の予算委員会の中継を流しつつブログの映画レビューを書き始め、
デーゲームで楽天の仙台開幕を気にしつつ、浜スタの巨人の負けっぷりに拍手し、
夜はロイヤル・ウェディングを気にしつつ、連敗を止めた甲子園の中継を楽しんだ。
HPでやりたい大ネタがふたつほどあるが、休みをそれに費やすのもどうしたものか。
所詮、ダラダラしつつ三連休などあっという間に過ぎてしまうのだろうけど。


2011.04.30 ふざけた話

内紛や独裁の圧政下での難民の救済に対し、誰もが一度は思っただろうこと。
「・・・きちんと金や物資が人民の元に届いているのか?」。
ところが驚いたことに、このたびの震災で日本赤十字社に送られた義援金のうち、
被災者の元に届けられたのは一割にも満たないという。
確かに未曽有の災害に対し、すべてを現政権に押し付ける風潮には違和感があった。
なによりもALL JAPAN、「日本はひとつ」という精神を優先すべきだとも思っていた。
しかし3.11から50日が経過し、なぜ被災地が瓦礫で埋まったままなのか。
避難所で人が亡くなるなどという事態はどう考えても政権の責任であり恥だ。
今度の震災での不幸のひとつに、菅直人が国家元首だったことという声も聞く。
非常に残念なことではあるのだけど。

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