■2014.03

日めくり 2014年03月(平成26年)         



2014.03.01 第五福竜丸

合衆国によるビキニ環礁での水爆実験から60年。
たまたま60年という節目で話題になったのだろうが、
驚いたのは被ばくした第五福竜丸の漁師がまだ存命していたこと。
あの事件は放射能の恐怖を語ってきたが、
生き残った見崎進さんの言葉はまったく聞こえてこなかった。
「核の廃絶」を学者や市民団体が言葉を何百と費やそうとも、
この生き証人の思いこそ重く受け止めたい。


2014.03.02 いきあたりばったり

「なんて日だ!」と、両腰に握りこぶしを当てて喚きたくなるような一日。
朝、佐川急便から荷物を受け取るため待機していたところ、夜になるという。
ならばとっととアパートを出ればよかった。どのみち雨なので洗濯はできない。
寺社めぐりと映画を兼ねて東京に出たついでに職場に寄った。
やりかけの仕事があったので、ちょいと片付けようかと思ったのだ。
ところが、やりかけの仕事にとんだミスが見つかって、
これはヤバいと修正していく内にどんどんドツボにはまっていく。
こりゃ寺社めぐりどころじゃないとなり、ネットで池袋の安宿を予約。
ところが自分ひとりじゃ手に負えないとわかり、一旦仕事を放る。
ならば映画の最終回でもと思い渋谷に向かおうとするも、スマの充電が心許ない。
まだ時間もあったので、仕方なく予約した宿で充電しとこうと池袋で途中下車。
ところがその宿たるや北口のソープとラブホ街のど真ん中というロケーションで、
西成の木賃宿の方が全然マシと思えるすえた臭いの小汚いホテル。
もちろん風呂も便所もなし。ブラウン管のテレビはあるがリモコンが動かない。
目覚まし時計のアラームもつまみが取れていて、セットしようがない。
しかも、充電器を職場に置いてきてしまった(呆)。明日、どうやって起きる?
ロビー(なんてもんじゃないが)のおばさんに言っても一目瞭然で無駄なので、
しょうがないので再び要町の職場まで戻って残務整理。
このクソ冷たい雨の中を宿まで戻るかと思うと気が滅入る。いっそ帰っちまうか。
しかし支払ってしまった3、000円がなんとも惜しい。
あのホテルの臭いは、昔、横浜にあった便所の戸が壊れた名画座と同じだ。
奇しくもその宿の名は「ホテル三番館」という。


2014.03.03 くしゃみと鼻水と

案の定、「ホテル三番館」の一夜は最悪だった。
ありふれた浴衣にマジックバンド仕様の帯。ベッドの上には薄い掛け布団。
エアコンはあるにはあったが埃臭い温風が吹き出して、一瞬で部屋を乾燥させる。
たまらず窓を開けると、今度は雨まじりの冷たい風が入ってくる。
寒さにぶるっと目を覚ましたのが午前3時半。
それから埃にアレルギーが誘発されたのか、くしゃみと鼻水が出っ放し。
ティッシュの備えなどないので共同便所からトイレットペーパーを拝借したものの、
結局、朝までゴミ箱に紙屑の山を作ってしまった。
諸々の備えは自己責任ということだろう。池袋の駅近で値段を思えば仕方ないか。
さて雨も上がり、花粉もかなり飛んでいたのだろう。
一度始まってしまったアレルギー反応は職場に着いてからも止まらず、
花粉症ビギナーの身としては、これが花粉症の辛さかと痛感させられたのだが、
よくぞここまで鼻水って出てくるものだと妙に感心してしまった。


2014.03.04 さらば人間風車

その華麗なる「人間風車」は我々世代の子供たちを熱狂させた。
プロレスとの初遭遇が国際プロレスに参戦したビル・ロビンソンだった。
ダブルアーム・スープレックスの美しさもさることながら、
初めて見る外人のベビーフェイスであり、気障な佇まいにみんなが酔いしれた。
ありきたりな言葉だが、また子供の頃のヒーローが逝ってしまった。合掌。


2014.03.05 とうとう来た!!

先月の末に3度目の血尿があり、腎臓のCTで結石が見つかった。
結石が腎臓の粘膜や襞を傷つける。自覚症状はないがそれが血尿となる。
もちろん血尿の原因は結石だけではなく、もっと深刻な事態も想定されるのだが、
そこは採尿と採血などできちんと調べてもらった。
そして昨日の昼ごろに痛みが出た。職場近くの病院に駈け込みレントゲン。
こういう状況だからか、待合で血圧を測ったら上が200を超えている。
どうやら腎臓の石が器官に移動したらしい。石はおよそ7mmだそうだ
たまたま外来診療で来ていた都立病院の医師が、石を破砕しましょうという。
すぐにタクシーで都立病院に直行、改めてCT、採血、採尿。
結論として、金曜日に入院し、その日の午後に衝撃波で外側から石を破砕する。
金曜日か・・・その間まで座薬で痛みを抑えなければならない。
昨日の夜は痛みと嘔吐で朝までまんじりと出来なかった。
それは前回も経験済みながら、
自分で座薬を入れるのはなかなか慣れない。座薬は6時間の間隔を空ける。
ようやくひと眠りしたら症状はすっかり治まっていて、痛みも消えている。
だからこうしてPCに向かっていられるのだが、
前回はそれきり痛みが来なかった。きっと流れたのだろうということになった。
今度はどうなのだろう。7mmの石が排出された自覚はない。
「きっと流れたのだろう」という曖昧な結論はもう止してほしいが、
入院が回避されるのも有難いような。
どちらにしても明日の朝の具合で病院に行くか、安静するのか決めなければ。


2014.03.06 気色悪っ

二日間、仕事を休んで安静させてもらった。
日がなアパートにいるということはテレビを流し放しにしているということで、
ずっと柏の通り魔殺人事件のニュースの顛末を見ていた。
まぁ残虐な事件というのは日常的にあるわけで、今回もその内なのだが、
普段はどんな事件のニュースを見ても、手口や罪状の非道さに目が行くが、
今回の犯人くらい、ひと目見て不愉快な奴だと思えるのも珍しいのではないか。
もちろん殺人犯が愉快なわけはないが、まず生理的嫌悪感を感じる風貌。
報道陣相手に嬉々としてインタビューに応える口調の気持ち悪さ。
思考回路が場当たり的で、後先考えず「主役」気分が気持よかったのだろう。
「社会へ報復」などとふざけたことを抜かすなよ。
まったく、こんな気色悪いヤカラに命を奪われた男性が不憫でならない。


2014.03.07 人生初の入院、人生初の点滴

朝、職場に寄って上司に入院の保証人になってもらう。
親に心配はかけたくない。というより説明が面倒くさい。
病院に到着して入院手続きへ。
大部屋が満室のため、一泊1、8000円の個室へ案内される。ロハとは有り難い。
ベッドで午後からの体外衝撃波砕石術(ESWL)の治療を待つ。
手引きを見ると治療項目「手術」なっており、その二文字に緊張が走る。
いや緊張するや否や、現れた看護師に座薬をぶち込まれ、治療室へ。
ESWLのマシンの台にパンツごとズボンを下ろされて腹ばいになる。
そこで点滴の針を刺される。人生初の点滴だ。結構、痛い。。。。
医師から「パチパチしますが、痛かったら声を出してください」といわれる。
本当に腹をパチパチ叩かれる感じ。それが延々40分は続いただろうか。
痛くはないのだが、腹ばいのため肋骨に体重がかかって、そっちがきつい。
いや痛みが徐々に広がっていく。砕けた石が尿管に散っているのだろう。
そうか、そのための座薬だったか。。。この痛みにも慣れた感があるのも怖い。
別室から医師がモニターを見ながら操作しているのが見える。
うーん、そのモニターを見てみたいと思いながら、ようやくパチパチが終了。
治療室から個室に戻るときは点滴棒を持ったまま車いすで運ばれる。
ああ、いつかの母親と同じだ。ついに、この一線を踏んでしまったか。


2014.03.08 人生初の入院、人生初の点滴Ⅱ

午前5時頃。ようやく点滴が外された。15時間ぶりか。
いやはやこの開放感たらなかった。ようやく患者の身分を解かれた気分だ。
チューブで繋がっていると、肌寒くても上着に袖を通せない、その逆も同じ。
ベッドの右に置くか左に置くのかで、寝返りにも気を遣う。
たかだかひと晩だ。長期入院者は点滴棒が身体の一部になっているに違いない。
そうはいっても術後は点滴棒を持って病院内を歩き回った。
あまりの食事の物足りなさに売店でおやつを買う。
多分、いけないのだろうが、個室をあてがってしまった病院が悪い(呆)。
キンビスの「アスパラガス」。昔から包装紙には “”モンドセレクション受賞 ”。
モンドセレクションって何だろう?…いや、そんなことはどうでもいい。
とにかく点滴に利尿剤が入っていたのか、とにかく尿意が頻発する。
トイレに行くたびに点滴棒を引いて用を足す。寝ていられるものではない。
便器には流さず、カップで受け止めてガーゼのついた容器に流す作業。
破砕された石が砂になって流れてくれていればいいのだが。


2014.03.09 「うぉぉ!」

金券屋で買った映画観賞券が財布にいつまでも残っているので、
今日は映画を3本ハシゴしようかと思いきや、
「安静にしましょう」という声なき声を聞いて、映画館行きは止めた。
ならば、今日こそ風呂場の電球を取り替えようかと思い立つ。
実は電球が切れたまま、プラスティックのカバーが外れなくて放置していた。
これが本当に外れない。五十肩をギシギシいわせて力の限りを尽くしても駄目。
無駄だと思いつつKURE556を吹きかけても駄目。土台が腐食しているようだ。
100円ショップでカッターを買って、溝に沿って何度も根気よく切れ込みを入れる。
ようやくカバーが外れたとき、思わず「うぉぉ!」と雄叫びを上げてしまった。
まるで無敵の王者を相手にフルラウンドを闘ったボクサーの気分だったぜ。


2014.03.10 寒冷前線

縦じまの冬型の気圧配置がテレビに映し出される。
立春を過ぎて以来、温かく過ごしたのは2日程度だったのではないか。
今年の冬は寒いと毎年のように言っているが、
三年前に、帰宅困難者の一群に紛れていた時は、コートは着ていなかった。
「今日も真冬並みの天気でしょう」と言われても、ずっと真冬が継続している。
しっかりと日没は遅くなっているのに、まだまだ寒いまま。
ニュースを見ると仮設住宅の屋根に雪が降り積もっていた。


2014.03.11 三年目の東北

このページに三年前の3.11から月末まで、すべて震災のことを書き綴っている。
駄文が羅列する「日めくり」であっても、
改めて読み直してみると、その時のどうしようもないリアルが蘇ってくる。
もちろん災害に直面したわけではないが、異常な事態に神経も高ぶっていた。
あれから三年。
ニュースは遠慮気味に震災当時の映像を流しているが、
当時はどの局もよりセンセーショナルな映像を競うように流していた。
三年かけて、ようやくある種の冷静さで地震、津波に対峙できるようになったか。
外野からのもの言いのようで後ろめたいのだが、
「あっという間の三年」 「長かった三年」。
思いは人それぞれだろう。


2014.03.12 何故、スポーツ紙は快挙を一面で報じない

パラリンピックは障害者競技かも知れないが、間違いなく超人たちの鬩ぎ合いだ。
アルペン男子座位滑降で狩野が金、鈴木が銅を獲得。
続く大回転では狩野が連続金で森井が銀。1、2フィニッシュの快挙だ。
ところが関東圏のスポーツ紙は巨人、マー君のオンパレードで、
日本快挙のパラリンピックをまともに報じていない。
片隅のタイガースの記事などが、連敗を重ねるたびに少しずつ大きくなっていく。
いやタイガースなんて今はどうでもいい。問題はパラリンピックだ。
彼らは日の丸を背負って奮闘している。現在世界第3位。
そもそも障害を抱えながらも自分を追い込んで闘うアスリートのタフネスを、
スポーツ紙がきちんと伝えなくてどうする。


2014.03.13 春嵐-SHUNRAN 2014

この「春嵐」のタイトルは4回目。東北大震災の年は書かなかった。
どうせならば季節の恒例として春の嵐の日に書き続けていこうかと思っている。
今日がその春の嵐。予想通り高架を走る電車が運転見合わせの事態となっている。
で、今年の春嵐の夜は何をしていたのかといえば、行きつけの焼肉屋に行った。
「おひとり様焼肉」って奴。最近は専門店まで出来てそこそこブームになっている。
この町田の店はカウンターの椅子ごとに七輪が並んでいる。
最初にDRINKのオーダーを取りに来たが、そこはウーロン茶。
あとはカルビ2人前にホルモン、そしてサラダにご飯。
焼肉屋は飲むところではく、あくまでも食うところだと開き直る。
うーん、春嵐とは全然関係のない話になってしまったが、
ニュース映像では折れた傘をかぶるように歩く人たちと、なぎ倒された自転車の姿。
「立春」 「雨水」 「啓蟄」といわれても寒さから解放される実感はわからないが、
日常のちょっとした変化を明らかに体感できるのが、春嵐なのかもしれない。


2014.03.14 石は消えた?

ESWLの処置治療、入院から一週間。昼休みに外来で病院へ行く。
未だに賢者の石ならぬ腎臓の石が外に流れたという自覚がない。
レントゲンの結果、腎臓にも尿管にも膀胱にも石は確認できなかった。
おそらく破砕して砂になったので自覚がないのでしょうと医者はいう。
なんだか「結果オーライ」みたいな顛末で何とも心許ないが、
先ずは石が消えたことを素直に喜ぶとしようか。
再発率が高いので、生活習慣と食生活に気をつけ、適度な運動を心掛けましょうと。
結局、あらゆる検査の最後はそこに行き着く。


2014.03.15 小保方さん、無事に着地してくれ

STAP細胞が何たるかは「新たな万能細胞」という程度しか知らない。
ただ小保方晴子さんのシンデレラストーリーとその社会現象には思うことはあった。
まだ30歳になったばかりの割烹着姿の娘さんがどえらい快挙を成し遂げた。
それから数日間、世間もマスコミの反響は小保方さんのエピソードに沸騰した。
ダメを出されて夜通しで泣き明かし、デートの時も実験で頭が一杯だった話等々。
実験成果よりも彼女のキャラクターがどんどん先行していく中で、
自分も何となく小保方さんにかなりの好感を抱いていたように思う。
途方もなく難解な学問が、割烹着姿でにこやかに近づいてくれたような気もした。
同時に、マスコミからきちんと彼女を守り、研究に集中できる環境作りを願った。
ところが小保方さん自身が自分を守らなければならない事態になってしまった。
さっそく夕刊紙などは「小保方陥落」などの見出しをつけ、掌を返してきた。
そもそも世間の目もSTAP細胞の存在自体を疑う方向に流れているようだ。
科学誌に発表した論文どころか博士号論文まで取り下げるという話まで出ている。
いやいや、あんな笑顔の似合う娘さんが不正の汚名を着るのは絶対に見たくない。
性善説論者として、あれは捏造何かではなく単なるミスであることを祈りたい。


2014.03.16 バカは死んでも直らない?

土曜にレイトで観た『ネブラスカ』という映画で、
ブルース・ダーンの老父に息子が運転をやらせてあげる場面がある。
そして翌朝、母親から電話。
父親が今朝のゴミ出しに車を使ったという。
親父には絶対にハンドルを握るなと厳しく申し渡していた。
しかし集積所まで数十メートルの距離。古新聞や段ボールの束は重い。
「まぁ、その程度ならたまにはいいんじゃないの」と答えてしまった。
イカン、イカン。すぐに映画に影響される悪癖は死んでも直らないのか。


2014.03.17 アレッポの石鹸

オリーブオイルとローレルオイルで作られた石鹸で、シリアの特産品だ。
松重豊お父ちゃんがブログで紹介したを見て購入した。
最初のうちは独特の匂いが気になるが、慣れてくれば癖になる。
もう体洗いも洗顔も洗髪もこれひとつでOK。
使い手も十分で500円なのだからコスパ的にも最高だ。
泥沼の内戦の国が石鹸を特産としているとはシャレにもならんが、
今、世界の注目がクリミア半島に注がれている中で、
形は武骨だが無添加で何の飾り気のない石鹸を眺めながら、
依然と続く流血の応酬をつらつら思う時間もあってもいいのではないかと思う。


2014.03.18 価値観

思えば我々は20代にバブルを経験した。
もっと子供のころは高度経済成長のど真ん中にあった。
それと比べれば今の20代から30代は生まれてから一度も好景気を知らない。
単一の価値観で「覇気が足りない」などと、簡単にぶった斬っていいものなのか。
そもそも「今の若いやつらは」と言われ続けていたのは団塊のかつての若者たちだ。
我々世代も含めて、どうもテキトーに下の世代をこき下ろしているのではないか。
意見をいうのはいいのだが、そのテキトーさが彼らにはバレている気がする。
春一番の風がぴゅーぴゅー吹く中で、ふと薄ら寒くなった。


2014.03.19 送別の夜

定年というか満期ということで職場から二人が去った。
どうもお世話になりました。
いつまでもお元気で。
以上。


2014.03.20 あゝ なんたることか・・・

友達の命日を失念して、気が付いたら4日が過ぎていた。
2年目の祥月命日なので今回が3回忌になるのかな。
でも命日なんてこんなものかもしれない。
それを思う本人が誕生の時点より確実に命日のほうが近いのだから。
『ちりとてちん』の再放送も24週の「蛇の道はヘビー」まで消化して、
いよいよ残すところあと2週です。


2014.03.21 Iconography Of Yasujiro Ozu

フィルムセンターに「小津安二郎の図像学」と題する展示会を見てきた。
小津映画を視覚的な要素、美的嗜好の切り口から見せるという趣向で、
とにかく絵画、図案、色彩、文字から小道具、調度品に至るまで、
小津のアートに対する細部のこだわりには目から鱗だった。
恥ずかしながら今まで小津映画をアートの視点から観たことがなく、
ビジュアル面では黒澤と小津は対照的だと思っていたが、とんでもない。
『東京物語』 『麦秋』 『秋日和』 『彼岸花』・・・。存在が唯一無二の巨匠は、
粋で洒脱な、まさに“永遠のウルトラモダン”の巨匠でもあったわけだ。


2014.03.22 通り

昨日の彼岸は靖国神社、千鳥が淵の戦没者慰霊墓苑に参拝した後、
中央通りを三越前から日本橋、京橋を経て銀座5丁目まで歩いた。
今日は横浜の中華街、日本大通り、元町などをぶらついたのだが、
気になったのは昔からの由緒ある通りに散在するチェーン店やコンビニなど。
元町などStarbucksの看板が見えた途端に歩く気が失せた。
ツレ曰く、これではどこの通りでも同じだという。まったく同感だ。
立地も良く、そこの生活者には便利なのだろうが、著しく興を削ぐ。


2014.03.23 鶴竜、横綱へ

それにしても八年前の栃東を最後に日本人力士の優勝がない。
いやここ十数年、殆どがモンゴル勢の後塵を拝している。
大相撲は本当に国技と呼べるものなのかどうか。
と、まぁ誰もが思うことをここで書いても仕方ないが、
綱とりがかかった場所でプレッシャーをものともせずに優勝した鶴竜。
肉体の強さ以上にそのメンタリーティは率直にすごい。
これもありきたりにハングリー精神の違いで片付けるべきなのか。
稀勢の里と琴奨菊にはいつまで期待していればいいのだろう。


2014.03.24 ぼた餅とおはぎ

先日、職場の先輩からぼた餅とおはぎの違いを聞いた。
春は牡丹の季節だからぼた餅で、秋は萩だからおはぎというらしい。
ところがそれ以降、不思議とその話をあちらこちらで聞く。
「天声人語」に至っては、話はよく聞くが一説に過ぎない旨の記事を載せた。
不思議なのは昔からぼた餅とおはぎはお彼岸の風物詩であるのだが、
季節によって呼び方が違う話など今まで一切聞いたことなどなかった。
まるで穴を開けた途端にぼた餅とおはぎの話が自分の周りに蔓延したようだ。
そうなると桜餅は葉っぱも食うのか、餅だけなのか?
どちらが常識なのかがとても気になってくる。


2014.03.25 スマホ代用機

スマホのキーが勝手に暴走してしまう故障が生じ、
auに修理に出したのだが、その後の連絡が来ない。
最初は一週間ほどかかるといわれていたのが、すでに一か月になる。
いつまでも代用機のままなのは心許ないので、仕事帰りにauショップに寄った。
なんでも基板を交換しなければならず、その入荷が遅れているのだという。
そもそも故障の場合は無償交換のオプションに入っていたはずだったが、
風呂の中で使用した場合は無償の対象から外れるといわれ、さすがにカチンと来た。
「防水・防塵につきお風呂でも楽しめます」を売り文句にしていたのはどこのどいつだ。
ああクソ、馬鹿正直に風呂場に持ち込んだなんていわなければよかった。
今月中には何とかしてくれと店員にいったのだが、何ともいえないらしい。
こういう先端商品は新規や機種変の客は歓迎されるが、
修理となるとまったく暖かみのない対応をされるのは困ったものだ。
そもそもスマホのシステムそのものが永久に借りものみたいなものなのだが。


2014.03.26 仕事帰りに実家へ

増税前に車のガソリンでも入れておこうかと仕事帰りに実家に向かった。
ところが最寄駅から実家に電話を入れてみたものの、誰も出ない。かけ直してもダメ。
夜の七時半だ。揃ってリハビリ中の老夫婦がこんな夕食の時間に出掛けるものか。
およそ、年寄りが電話に出ないことでロクなことはないが、
どうも嫌な予感が走る。もしや親父が母親を乗せて車を出したのではないか。
親父にはリハビリが始まって以来、運転は固く禁じていた。
もうてっきり車で出掛けたと思い込み、頭に血を昇らせてバスに飛び乗る。
バス停から歩きながら、どうやってとっちめようかとそればかり考えていた。
すると台所の窓に灯りがついている。そっと車庫を開けてみると車はあった。
ボンネットに手を添えてみる。冷たい。少なくとも今は車は使っていないようだ。
ホッと息を撫で下ろし、家の中へ入ると老夫婦は夕食の仕度をしていた。
「電話したけど出なかったぞ」というと、「ああ、やっぱり電話したか」だと。
なんでも長電話中にキャッチホンらしき呼び出し音が聞こえた気がしていたそうだ。
「年寄りが心配かけるから、キャッチにするのはやめろよ」という。
まだ話し中のコールのほうがこちらは安心できるというものだろう。
「じゃ、やめようかね。でもどうやって止めるのか知らんけど、わかるか?」
「知らん。ところで晩飯だけど俺の分あるか?」


2014.03.27 結局、墜落なのか

マレーシア航空が消息を絶ってからすでに20日が経過していたが、
どうやらインド洋沖に墜落したということが確定しつつあるようだ。
それにしても20日間もかかるとは驚きではないか。
今は衛星からどんなものでも覗ける世の中になったと思っていたし、
最新鋭の哨戒機はすぐさま現場の海に到着できるものだと思っていた。
ここまでの日数がかかってしまうと、家族が遺族になったことの悼みより、
一体、MH370便がどういう経緯でどのような顛末を辿ったのかが知りたい。
こうなった以上は徹底的にミステリーを解明してもらいたいものだが、
どうも物事のすべては時間が経てば経つほどくだらない方向に行くようで、
そこに各国の衛星技術の能力競争や軍のメンツやらが取り沙汰され、
マレーシア政府では手に負えないレベルまで迷走してまった感がある。
何れにせよ事故であれ事件であれ、239人の犠牲を教訓とすべきだろう。
もちろん、未だにどこかの島に不時着していることを願っているのだが。


2014.03.28 袴田事件

ずっと以前、格闘技会場でプロボクシング協会が配布したビラで事件を知った。
その時点でてっきり再審が始まったのだと思っていた。
それが昨日、ようやく再審が決定したのだという。
事件発生から47年。袴田さんの死刑確定から34年。
長い、あまりにも長すぎる。
もし本当に味噌漬けになっていた血染めの衣類が警察の捏造ならば、
捏造に加担した捜査員を徹底的に洗い出してほしい。
こっちの方はやる気さえあれば1年とかかるまい。


2014.03.29 大和路へ

朝5時に玄関を出て、9時に奈良駅に着いた。
西大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺の順でまわる。
やはり平城京のスケールは遙かなりで、
最後は斑鳩の里でクタクタに疲れ、足がつりそうになっていた。
それにしても教科書や歴史番組で見慣れた仏像を目のあたりにすると、
スクリーンの大スターに生で出会った感激に近いものがある。
とくに興福寺の阿修羅像にもの凄いオーラを感じ、ずっと眺めていたかった。
三面の表情はすべて凛々しくもあるのだが、どこか悲しみを秘めている。
一説では阿修羅は正義を司る善神から、戦闘の末に修羅に堕ち邪神と化したという。
千三百年という途方もない歳月を、内なる修羅と向き合っているのだろうか。
西大寺の四王堂には堂々たる十一面観音像の隣に天照大神が祀ってあった。
不思議な感じがしたが、神仏習合の象徴なのだと親切に説明してくれた。
上野の美術館で「和上鑑真展」を見て以来、唐招提寺の参拝は積年の課題だった。
法隆寺は中学の修学旅行以来か。朱印帳に「以和為貴」の墨書を戴く。
ああ素晴らしい、とことんいいぞ奈良。


2014.03.30 鹿のフンをよけながら

苔むした常夜燈が並ぶ石段が雨に煙って、深遠な雰囲気を醸し出す。
春日大社の拝殿へと向かいながら、あまりに幽玄な佇まいに息をのんだ。
その僅か先には東大寺大仏殿の大伽藍。この対照があまりにも見事。
一見相容れないふたつの風景を自然に融合させていたのが鹿たちの群れだったか。
彼らは春日大社の幽玄も大仏殿の絢爛もそこが奈良であることを証明していた。
境内に散在するフンをよけながら鹿煎餅を齧ってみたら、案外と旨かった。


2014.03.31 スマホ生還

ようやく修理に出していたスマホが返ってきた。
すっかりデータが消えてしまっていたのは困りものだったが、
基板とディプレイが交換され、まるで新品のよう。
有償だとどうしようかと思ったが、無償で助かった。
その場合、今日受け取りに行かなかったら明日は増税で割増になっていたのか。

                           

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