◎人狼城の恐怖 第三部

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◎人狼城の恐怖 第三部=探偵編 
二階堂黎人
講談社文庫


 もの凄く大袈裟な言い方をすれば、私は二階堂黎人『人狼城の恐怖』のそれぞれ四部のぶ厚い文庫本を前にしたときに、プルースト『失われた時を求めて』や、ジョイス『ユリシーズ』の読書に臨む気構えを想像しながら「第一部」の最初のページを開いていた。
 何度も書いてきたが、大長編に取り組んでいるのだという昂揚とした気分に相当支配された読書を進行しており、その気分を『ドイツ編』と『フランス編』は大変に満足させてくれたと思っている。
 そしていよいよ起承転結の「承転」となるだろう『第三部−探偵編』をそれなりのテンションで読み始め、今、かなり混沌とした気分にいることを正直に告白しなければならない。

 【合計20人もの死者を数える人狼城殺人事件解決のため、名探偵・二階堂蘭子は欧州へ飛んだ。だが、人狼城からの唯一の生還者は人格を破壊され、有力な証人は何者かによって命を絶たれていた。蘭子が鋭敏な推理力から看破した犠牲者たちをつなぐ“失われた環(ミッシング・リンク)”とは?】

 二階堂黎人の長編シリーズに二階堂蘭子という若い女名探偵が存在することは予備知識としてあった。実際、ノベルス版の「第一部」には二階堂黎人によって「この物語は間違いなく二階堂蘭子シリーズですのでご安心を」なる一文が端書にそえられていたと思う。
 ただ『人狼城の恐怖』が発表されたのが1996年。作品の時代設定を1970年初頭としたのはドイツとフランスの惨劇に第二次世界大戦やナチズムの余韻が物語として不可欠であって、てっきり第三部の二階堂蘭子の登場はその二十年後くらいになるものだと思っていたら、なんと名探偵・蘭子は惨劇から一年後にはドイツに飛んでいるのには面食らってしまった。
 何故なら、二階堂黎人は1959年7月東京生まれなので、私より学年がひとつ上ということになり、そのわりには蘭子の事件簿の筆記者は二階堂黎人本人という体裁をとっているので、一体何ゆえに二階堂黎人は自身が小学生だった時代を背景としたシリーズを書いているのか不思議な気がしたからだ。自身がミステリーの面白さに目覚めたのがその頃だとでもいうのだろうか。
 しかし名探偵が活躍する時代を1970年に設定した必然性は『第三部』を読み終えた時点ではまったく感じられなかった。確かに現代はインターネット、携帯電話、先端科学捜査の時代である。所在地不明の「人狼城」も今ならば簡単に衛星画像で探索することも可能になってしまうのだから、猟奇がかったゴシック調の探偵小説を構築しようとすればそれなりの枷はあるのかも知れないが、それにしては時代が中途半端な気がする。二階堂蘭子シリーズを最初から読んでいれば「時代の必然」を納得できるということなのだろうか。
 前回の感想で、「時として同じ物語を続けて読んでいる錯覚に陥ることもある」と書いているが、この「第三部」で重厚壮大な欧風ミステリーの趣が、いきなり現れた日本の女子大生探偵によって、まったく別の小説を読み始めている気分になってしまった。翻訳ものから強引にジュブナイル小説に転調させられたようで、少なからぬ「裏切られた」感が伴っている。

 探偵小説家にとって創造する名探偵のキャラクター付けはとても大事な作業であるに違いない。
 読者はホームズやポワロが活躍する姿を追いながらドイルやクリスティを信用していく。作家が愛着を込めて創造したヒーロー(ヒロイン)は難事件に挑む中で、謎解きやリアリティとは違う次元で「物語」にいかに読者を伴走させていくかという重大な責務を負っているものだと思うのだ。それは感情移入という表現を用いてもいいのだが、この二階堂蘭子はあえて作家の悪意ではないかと思えるくらいに感情移入しづらいキャラクターになっていた。
 二十歳そこそこの女子大生という探偵も相当につらいものがあるが、いきなり「社会の表層滲み出た悪の膿が犯罪ならば、それに相対する正義が、謎と秘密を解体する探偵という使途を遣わし、汚らわしい社会の傷口を癒そうとするのは自明の論理だわ」などと漫画のような持論を展開し、「無尽蔵の時間の中で人生は有言であり、私は無駄なことに神経を費やすような生き方をしたくないの。私は、多くの女性たちが価値が存在すると幻影を抱いている事柄を、非生産的な活動で、効率の悪い単なる習慣だと思っているわ」とまで言い放つ。狭量な私にはこの饒舌なヒロインに思い入れることが出来ず、まったく困ったことになってしまった。
 冒頭で紹介される過去の事件のあらましも蛇足に感じたし、彼女の養父が警察官僚のお偉いさんで、警察から全幅の信頼を置かれて捜査に協力するという背景もひどくご都合主義的で滑稽に感じてしまう。ご都合主義といえば遠く欧州で勃発した集団失踪事件に日本の女子大生探偵が関わっていく過程もとってつけたようなきっかけで、とても納得のいくものではなかった。

 私の『人狼城の恐怖』の前二作を通読しての最大の興味は、この事件が果たして人智を超えた「人狼」なる者の超絶な物語なのか、それとも知恵者のトリックによって本来あるべき本格推理に帰着するのかという点にあった。そこに思いを集中させて『探偵編』に入って行ったので、延々とフランス観光が語られていくような展開にはすっかり肩透かしを食わされてしまったのだ。

 もちろん『人狼城の恐怖』という世界最長のミステリーは道半ばにある。私が二階堂蘭子のまだ知られざる深層を知らないだけで、この先、イメージが180度変わることがないとも限らないし(ぜひそう願いたい)、何よりも二階堂黎人はまだ謎のまま放り出している「人狼城」の秘密を鮮やかに纏め上げて、私を唸らせてくれるのかも知れない。
 ひとえにそのことに期待しつつ、いよいよ最終巻の『第四部−完結編』へと進んでいこうかと思う。


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