◎冥土めぐり

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◎冥土めぐり
鹿島田真希
「文藝春秋」九月特別号


 第147回芥川賞受賞作品。芥川賞作品はここ五年間ほぼ通読してきたが、ここまで切羽詰る思いで読み終えた作品もなかった。
 いや読んでいる私が、切羽詰まった心情にさせられたのではなく、この鹿島田真希の『冥土めぐり』という作品そのもの自体が妙に切羽詰まった感を内包しているといった方が正解か。
 何だろうか、主人公の奈津子の終始何かに追い立ててられているような余裕のなさというか。おかげで読み終わったとき、帰りの電車で駅をひとつ乗り越してしまっていた。

 【あの過去を確かめるため、私は夫と旅に出た――裕福だった過去に執着する母と弟。彼らから逃れたはずの奈津子だが、突然、夫が不治の病になる。だがそれは完き幸運だった・・・。】

 ところが実際には静かな作品だ。あらすじは装丁に記された文言をそのままコピーしたので、公式のものであるには違いないが、奈津子の旅はとくに「あの過去を確かめるため」だけのものだとも思わなかった。
 最初のうち、いや最後まで奈津子は障害を持つ夫、太一と無理心中をするのが旅の目的だと思っていた。もちろん『冥土めぐり』なるタイトルからの印象もあっただろう。しかし旅に於ける奈津子の行動といえば、太一に「こだま」のアイスクリームを食べさせ、駅前の定食屋で海鮮丼を食べに寄り、シャトルバスでホテルに着くと、夜朝のビュッフェを食べて、ホテルを出て美術館に行き、海を見て、太一を足湯に浸からせる。これだけのことが淡々と遂行されていくにすぎない。その旅の情景は静寂とも静謐だったともいえるものだった。
 行動とは裏腹に奈津子の心のうちは常にざわめき立っている。これだけざわめく思いを引き摺る旅行もないだろうと思いながら、どんどんと切羽詰まってくる。

 何が奈津子を駆り立てているのかといえば母親をはじめとする弟に対する怨嗟と、祖父の代から脈々と続く家族への激しい呪縛だ。
 その呪縛と紐付いている土地に奈津子は太一とともにやって来る。かつて絢爛を極め、贅沢三昧をしたホテル。母が至福のひとときを謳歌し、その記憶を自慢げに披露するホテルも、今や一泊5000円で泊まれる区指定の保養施設にまで落ちぶれている。
 奈津子にとってこのホテルを太一とともに訪れることが復讐なのだろう。復讐することによって呪縛からの解放を試みたのだとすれば、私が公式あらすじの「あの過去を確かめるため」というフレーズに疑問を持つのも無理からぬことではないだろうか。
 奈津子の母親に対する強迫観念は異常とも思えるほど強烈だ。述懐する母および弟の行状は途方もなさ過ぎてほとんど狂気に近いのものだが、彼らもまた過去の呪縛に絡み捕られているのかもしれない。
 しかしその呪縛に翻弄されるのはいつも奈津子の方だ。彼らから精神的、肉体的に攻撃を受けることが常態化し、金銭的にも彼らは搾取者になることにまったく悪びれていない。
 それでも彼らの望まない結婚相手を選んであてつけるまではあるのだろうが、夫が脳障害を患うことを一種の僥倖だなどと思える心境などありえるのだろうか。そう、私がこの小説に切羽詰まった感を覚えるのはそういうところにある。

 この小説の表面だけをなぞっていくと身も蓋もない凡庸な物語だ。
 旅の中で「聖なる愚者」である夫の無垢な姿を再認識して、今まで引き摺っていた母や弟の呪縛から解放される。実にそれだけの内容に見えてしまう。
 しかし本当にそれでいいのだろうか。救済を思わせる結末は私には違和感がありすぎたのだが、一方で栄光から転がり落ちた日本経済の縮図を読み取ろうとする解釈もあるようだ。過去の栄光に囚われるあまり、そこに心を閉ざしてしまった人たちの姿に、学生時代、自室の本棚の格上げで読んだ太宰治の『斜陽』を想起することも可能であるような気もする。
 しつこいようだが、結局、あるのは身内の理不尽さから逃れようとする主人公の切羽詰まった心情をそのまま書き描いた小説としか私には読めなかった。まぁ、近々の芥川賞受賞作の中でもそれなりの印象は残っていくのだと思うが。

 最後に芥川賞の選考で「鹿島田さんの小説につねに漂っているレトロな少女趣味が好きになれない」と書いた宮本輝の選評に一票入れておきたい。
 
 
 
 

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