◎切断

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◎切 断
黒川博行
創元推理文庫


 今月に入り黒川博行を集中的に9冊読んで、とうとう転換期となったという『切断』にたどり着いた。『キャッツアイころがった』を主人公が女子大生だという理由だけで異色作などと書いてしまったことを後悔する。この小説は従来の大阪府警捜査一課シリーズとも、『疫病神』『国境』とも、作風からして違う正真正銘の異色作だ。

 【最初の被害者は耳を切り取られ、さらに別人の小指を耳穴に差していた。指は死後切断と判断され、連続殺人事件として捜査が始まる。続いて舌を切られ、前の被害者の耳を咥えた死体が見つかった。大阪府警捜査一課は真犯人へと辿りつけるのか?】

 あまりにも直截なタイトルだが、死に至らしめた相手の肉体を切断するという異常行為が連続するとなると、既読の黒川作品を万人に薦めることにやぶさかではない私であっても、『切断』には躊躇が必要な気がする。十分に面白い小説ではあったが、拒否反応を示す人もいるのかもしれない。
 ただ、ミステリーにおいて「切断もの」は決して珍しいジャンルではない。浅い読者であっても、内田康夫のデビュー作『死者の言霊』、桐野夏生『OUT』、島田荘司『占星術殺人事件』などがすぐに思い浮かぶし、黒川自身も『ドアの向こうに』で死体切断を扱っている。もともと現実社会でもバラバラ殺人はそれほど珍しいことではなく、過去に何度も新聞の社会面やワイドショーを賑わしてきた事象でもある。
 この創元推理文庫版の巻末で評論家の千街晶之氏がそのことに触れ、「犯人自身の衣服に血液などの残留物が付着する確立が高くなる上、切断作業に費やす時間があれば、その間に出来るだけ犯行現場から離れた方が有利である。(中略)従って死体切断ミステリはホワイダニットの要素が極度に重視される。」と解説しているが、おそらく現実での最大の動機は死体運搬であるに違いなく、例えばマンションの一室から人目を避けて死体を外へ運ぼうとすれば浴槽で切り刻むしか手はないわけで、“死体切断=猟奇、サイコパス”ばかりではなく必然の要素もあるのだと言及しておきたいとは思う。
 もちろん、これが創作ミステリーとなると確かにホワイダニットの要素は重視されるべきではあり、そう思うとつくづく『占星術殺人事件』の凄さというか偉大さが蘇ってくるのだが、黒川博行もこの切断ミステリーに果敢に挑戦し、トリックを仕掛けて読者を欺きにかかったわけである。
 実をいうと私は『切断』で黒川が仕掛けたトリックを、あろうことか『ドアの向こうに』を読んでいた途中で思いついていた。自分でひらめいたつもりのアイデアと同じ種明かしを『切断』で描かれてしまうと、仕掛けを見破ったわけでもなく、アイデアが既出だったことで残念な気もしないでもなく、なんとも複雑な読書になってしまった。

 さて、『切断』を正真正銘の異色作だと冒頭に書いたのは、何もグロテクスな殺人場面が連続するという理由だけではない。まず黒川作品には珍しく、三人称の文章で綴られているので、これまでの作品とはまるで違う印象になっている。つまり「私」が存在していないということは、黒川の視点が登場人物から引いているということであり、それが作品のトーンを硬質にしているように思えるのだ。同時に複数の目線を持つことによって、物語の中心的役割を久松という部長刑事、詐欺師の沢木昌哉、犯人である「彼」の三人が担うことになり、さらに沢木の行動はすべて過去の出来事であることから、複数の視点に加えて時間軸も物語に絡んでくるという構成がとられることとなった。別に小説の形式では珍しくもないのだが、既読の黒川作品では初めてのことだと思う。
 『切断』も大阪府警一課の捜査を描くという点ではシリーズのひとつに挙げてもいいのかも知れないが、これまで読者は、捜査一課に所属する「私」という乗り物に乗って相棒とのやり取りや上司の印象、事件の捜査という矢継ぎ早に繰り出される風景を楽しめばよかった。ところが三人称で呼ばれる捜査一課の久松には読者の感情移入を寸止めで許さない雰囲気がある。事件勃発の際、同僚刑事に「こら、久しぶりにおもろい…いや、やりがいのあるヤマですがな」と語りかけられるのを、久松は「やりがい、か」と独り言でいなしながら、“遠い昔に置き忘れた言葉だった”という文が続く。今までにない客観的な文脈である。一方、警察の捜査を引いた視点から描いているからといって、犯人に肩入れしているわけでもない。
 ストーリーそのものは凄惨な殺しの場面があり、珍しくレイプまがいの描写もあり、銃撃、誘拐、追跡、爆破と黒川作品としても最大限にエンターティメントの要素を盛り込みんだものだ。それでいて本格推理ものの領域に踏みとどまっているのだから贅沢な作品であることには違いない。自らひと皮もふた皮も剥けようとする黒川の筆致が安易なカタルシスを許さない硬質感を産み、黒川作品でもとくに忘れがたい一編になりそうな気がする。


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