◎朱夏

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◎朱夏 −警視庁強行犯係・樋口顕
今野 敏
新潮文庫


 【あの日、妻の恵子が消えた。何の手がかりも残さずに。樋口警部補は眠れぬ夜を過ごした。そして、信頼する荻窪署の氏家に助けを求めたのだった。見知らぬ男に誘拐され、部屋に監禁された恵子。だが夫は優秀な刑事だ。きっと捜し出してくれるはずだ―。】
 
 樋口顕は、捜査本部の方針について「予断に流れすぎてはいないか」と疑問を感じることがあっても、そのことについて発言することはなく、押し出しの強い同僚刑事を傍で見ながら「自分は決してこうはなれない」と自問自答するような刑事だ。しかし、そういう慎重な態度が周囲から評価され、期待もされる。それが樋口には過大評価に思えて重荷となる。
 そして昭和三十年生まれの自分よりひと世代上の団塊世代に対しては強いコンプレックスを抱いていて、樋口にいわせれば自分たちを「祭りの後始末の世代」ということになる。その思いを語るときだけ、彼は妙に雄弁になる。
 「学園闘争の反動で、大学の管理が以前より強くなっていました。その息苦しい環境の中で、私たちはひっそりと高校や大学時代を過ごしてきたような気がします」
 捜査本部で組むことになった団塊世代の先輩刑事に訴える場面。確かに彼らの世代はセクトのオルグを追放した管理側から、常に疑いの目を向けられながらの学園生活を送ったのだろう。享楽的な若者文化と戦争体験者である大人たちとの激しい対立を子供の眼で見続けながら、親世代側の批判を聞きながら育った世代ということか。
 今野敏も1955年生まれなので、主人公と同世代であることはいうまでもなく、当然、「常に全共闘世代の残飯を食わされた」という思いが強いのだろう。その思いの強さゆえに『リオ』ではそれを散々聞かされることになり、あまりのしつこさには苦笑せざるを得なかった。
 その世代間対立というのは人類創生以来の延々と繰り返されたテーマであるのだが、今野敏は『朱夏』でも根底に世代間対立を描いている。ただし、今度は樋口たち大人が見据える若者世代とのギャップということで、40半ばの樋口世代としてはこちらの世代間ギャップの方が現実的であるに違いない。
 そしてそれは次の『ビート』でより鮮明となり、このテーマへの掘り下げ自体は世代よりも家族や夫婦に重きを置く『朱夏』よりも『ビート』の方だとなるのだが、この物語で樋口と組む所轄の捜査員、氏家譲がことあるごとに「今のガキどもを何とかすることが大人の責任だ」と繰り返しいうように、それがそのままシリーズのモチーフになっているような気がする。
 氏家は荻窪署の生活安全課に所属しているので、樋口よりも若者との係わりが深く、心理学も齧っているのでシニカルな人物批評も展開する。このシリーズには不可欠な人物だが、『朱夏』では明確に堅物の樋口と一見、享楽的な氏家のコントラストの違いで楽しませるバディ(相棒)ドラマになっている。
 
 さて、樋口顕は優秀な刑事ではあるが、家庭での世帯主としての顔も十分に描かれている。奇しくも私と同じ路線の川崎市内のたまプラーザでの通勤。高校生になる娘がいるが、職業柄、家庭は妻に任せきりになることも多い。年頃の娘が気にかかって仕方がないという警察小説の刑事には珍しいマイホーム主義者だ。
 しかし結婚生活も倦怠を迎え、妻に対する本音は、娘の母親としての信頼は厚いものの女性として関心が薄れていることを諦めている風でもある。
 『朱夏』ではその妻が何者かに誘拐される。

 ドラマの中核は妻を誘拐された樋口が、氏家の協力を仰いで行う単独捜査だ。それも別件での警備部長脅迫事件の捜査本部が立ち上がる週明けまでに決着をつけなければならない。
 実は今、これを書いている時点で今野敏の警察小説は6冊読んでしまっている。全体として今野敏は警察組織の背景にある事実関係はよりリアルに描くことで臨場感を追求する作風だが、今回は妻の誘拐で隠密捜査に乗り出す刑事という、小説ならではのフィクションの面白さを追求した。面白いかといえば間違いなく面白かった。
 身内の事件とはいえ現職の刑事が隠密で捜査に乗り出すことの是非は横に置いても、捜査に当てられた時間は週末のみであることと、容疑者の顔写真を切り貼りしてコンビニでコピーをとる作業など、警察力に頼れないというハンディを克服して犯人に近づいていくサスペンスに溢れている。頼れるものは自分の足と地道な聞き込み、刑事の勘と頭脳、そして執念のみ。
 一応書かないでおくが、犯人は前半部分で簡単に想像がつく。その犯人像がシリーズのモチーフである世代間対立を生む。氏家曰く「犯人は大人になる機会を与えられなかったのだ」のだと。
 もちろん多作家にありがちな御都合主義的な部分もある。容疑者が浮上するきっかけが「夢に出てきた」ではいくらなんでも噴飯ものだし、犯行に使用したレンタカーが簡単に割れたのも安易だったと思う。

 しかし読後感をすこぶる良いものにしたのは、『朱夏』という不思議なタイトルの由来を樋口の上司の台詞で語らせたことが大きい。
 「そう朱色の夏。燃えるような夏の時代だ。そして白秋、つまり白い秋を迎え、やがて、玄冬で人生を終える。最も充実するのは夏の時代だ。そして、秋には秋の枯れた味わいがある。青春ばかりがもてはやされるのはおかしい」
 この台詞を読んだ時が、この小説と出会って良かったと思えた瞬間だった。
 


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