◎海賊とよばれた男

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◎海賊とよばれた男(上・下)
百田尚樹
講談社


 上巻などはとくにシノプシスを読んでいるようで、エピソードが紋切り型に羅列されていく。主人公が窮地に追いやられるたびに救世主が現れて急場を救うご都合主義。そして鐵造の金言に部下たちは黙って頷くか、感動に打ち震える。どう感動したのか、その情動や複雑な心情描写は皆無。ただ「感動していた」としか書かれていない。強烈なご都合主義と強引な心情の決めつけの機銃掃射でこの本は成り立っているのだろう。そういえば「超訳」と名付けられたシドニィ・シェルダンの小説がこんな感じだったか。

 【異端の石油会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造は、戦争でなにもかもを失い残ったのは借金のみ。そのうえ大手石油会社から排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひとりたりとも解雇せず、旧海軍の残油浚いなどで糊口をしのぎながら、逞しく再生していく。20世紀の産業を興し、人を狂わせ、戦争の火種となった巨大エネルギー・石油。その石油を武器に変えて世界と闘った男とは―。】

 不思議なことに出光興産を率いた出光佐三の生涯を描いた小説でありながら、出光も佐三も何故か仮名によって描かれている。そこにどんな事情があるのかはまったく不明。
 百田尚樹としては出光の制約に縛られず、国岡鐵造の名を借りて、ときに虚実皮膜を織り交ぜながらさらにドラマチックな偉人伝を書こうとしたのかもしれないが、それにしては日章丸はともかく、鐵造の生涯の師である日田重太郎などは本名そのままであり、物語の随所に実名と仮名が入り混じるのは非常に不可解だった。

 今年度の本屋大賞が百田尚樹の『海賊とよばれた男』に決定とのニュースを知ったとき、正直「これは困った」と思った。私は本屋大賞の受賞作は決定したらすぐに単行本を購入することに決めているのだが、正直『永遠の0』を読み終わった時、もう金輪際この作家の小説は読むまいと決めていたからだ。
 結局、本屋大賞は確実におさえていくという目標を優先したのだが、またどこかで出版されている伝記を適当にアレンジしたようなシロモノならば、もう容赦はしないぞと誓いながら(?)、上下巻3、600円(税抜)をレジで支払った。いやカネのことはこの際どうでもいいのか。
 とにかく『永遠の0』について再び批判を展開しても仕方ないが、乱暴な言い方をすればあれは小説以前のシロモノだったと思っている。児玉清が大絶賛しようがなんだろうが、少なくとも文学といえるものではなかった。そもそも、あろうことかその『永遠の0』の主人公が一瞬、鐵造と対峙するという楽屋落ちまで入れ込むなど果たしてプロの小説家の仕事だといえるものなのかどうか。

 なるほど全編を読み終わったときにはまったく無知だった戦前、戦中、戦後の石油業界のことが自然と頭に入ってはいた。先の大戦は石油の覇権をめぐっての戦いだったことは知っていても、具体的にどのような攻防が展開されていったのかはよくわからないでいたのだ。
 メジャーと呼ばれる石油大手の野望、欧米の列強に蹂躙され続ける産油国、石油元売りの統制とGHQの思惑など、大変勉強になったといってもいい。
 しかし、だからといってその石油をめぐる様々な困難と障壁を打ち破っていく国岡鐵造の生き方を通して「日本にもこんなすごい男がいたのか」「まだまだ日本も、日本人も捨てたものではない」「すべての経営者必読の書」との賞賛は個人的にそこまで百田尚樹に身を委ねていない者には絶対に受け入れ難く、そもそもそういう観点でよくこの小説が読めたものだと不思議に思うくらいだった。

 と、ここまでこんなことを書いておきながら誠に恥ずかしい限りなのだが、琴線への波状攻撃というべきか、いやはや困ったことに喫茶店で、定食屋で、あろうことか電車の中で何度となく泣かされてしまった。
 涙腺を刺激するのはこの小説の芳香にではなく、単純に自分がこの手の浪花節的な成功譚に極端に弱いからであり、条件反射的な「泣かせ」であることはわかってはいるのだが、百田尚樹は国岡鐵造という立志遺伝中の人物をこれでもかと持ち上げながら、ある種、任侠映画的な陶酔と昂揚感をついてくる。読みながらまるでやくざの大親分の一代記を読む感覚を思い起こしていく。
 そう私にとって『海賊とよばれた男』はそういう小説であり、その方向にそれなりの満足感とカタルシスは十分に得られたのだった。
 まぁ条件反射といっても泣けた分だけ、読後感は『永遠の0』の比ではないことは確かで、このように『海賊とよばれた男』はもう大波にブレまくりながらの感想になってしまうのだが、やはり人気バラエティ番組の構成作家はメリハリのつけ方や、ここぞという場面で盛り上げる術は巧みだったということなのだろう。

 任侠映画的陶酔と昂揚感以外に評価されるべきは、下巻に至り、ようやく中東イランの石油資源をめぐる攻防をじっくりと描き出したことか。
 息詰まる交渉とイギリスからのプレッシャーの中で日章丸がペルシャ湾へと入っていく件は、『海賊とよばれた男』最大の見せ場で、ここでようやく小説を読んでいることを自覚するのだった。

 


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