◎軽井沢殺人事件

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◎軽井沢殺人事件
内田康夫
集英社文庫


 つい二十日ほど前に訪れた軽井沢は旅情とは無縁の街だった。連休中のアウトレットモールの駐車場には観光バスが入れ替わり立ち替わり大勢の人を吐き出しては吸い込んでいく。そんな私もそのバスの乗客のひとりとして貧乏旅行の最後の立ち寄り先が軽井沢では、ひと足先に東京に戻ってしまったような味気なさを感じてしまった。
 長野新幹線開通で東京から軽井沢まで80分の距離。ここは都会の喧騒から離れて旅情に浸る場所ではなく、日帰り買物ツアーのメッカになってしまったようだ。
 内田康夫が『軽井沢殺人事件』を書き下ろしたのが昭和六十二年。バブルの真っ最中だったとはいえ新幹線の開業が冬季オリンピックの年なので、この小説の軽井沢は現在よりも多少は牧歌的に描かれている。しかしバブルの真っ最中にはちょっとした軽井沢ブームだった記憶もある。ペンションのラッシュがピークを迎え、スキー場、ゴルフ場などのリゾート事業など軽井沢は堤義明・西武グループ興隆の代名詞であり、去年の経営が破綻したニュースではグループがいかに軽井沢に王国を築いていたのかを改めて世間に知らしめることになった。
 結局、昔も今も軽井沢は信濃の町にあって「長野県軽井沢特区」というべき位置づけなのかもしれない。
 
 【内偵捜査中の男が「ホトケノオデコ」という謎のダイイング・メッセージを残して轢死した。一方、軽井沢大橋では公安部員が不審な死を遂げる。二つの事件が政財界の闇の実力者に繋がる線となった時、浅見と竹村が事件の真相解明に乗りだすのだが…。】

 著作リスト三十六作目にして長野県警・竹村岩男と浅見光彦の共演だ。内田康夫ファンとしては垂涎の設定だろう。作家自身としても夢の顔合わせを実現出来る喜びを胸に原稿用紙に走らせたのではないかと想像する。
 ただこの時点で内田康夫自身、浅見光彦の存在が信濃のコロンボとは比べ物にならないくらいの比重を占めていたのか、主はあくまで浅見光彦にあり、竹村岩男は従の役割を担わされている。せっかくの共演ものであるにもかかわらず、二人が対面するのは物語が2/3を過ぎたあたり。竹村が浅見の印象を語る描写はあっても、浅見側からの竹村像はとうとう語られずしまいだった。
 内田康夫自身に軽井沢に対する並々ならぬ思い入れがあり、物語の佳境から二人の名探偵よりも茜屋珈琲店の主人に思いが飛んでしまったような気になったのは、名探偵同士の遭遇は、今回は挨拶程度と決めていたのかもしれない。せっかくの共演ものであるにもかかわらず、不可思議で中途半端なラストも含めて残念な作品だった。


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