■2010.12
日めくり 2010年12月(平成22年) ◄►
2010.12.01 面影橋から
帰り道、雑司が谷から都電と並行して流れる神田川沿いを歩く。
面影橋まで向う途中、落ち葉が集められ山と積まれている。
枯れ葉の匂いが香ばしく、師走に入っても首都圏はまだ晩秋の佇まいか。
夜道の快適で早稲田から神楽坂を抜けて九段下へ。
仕事のこと、実家のこと、人間関係のことをつらつらと思いながら歩く。
ついでに昨日、海老蔵を擁護するような書き込みをしたことも軽く後悔しながら。
2010.12.02 宿題が山積み
あくまでも趣味の話。実生活での宿題など山積しすぎて考えたくもない。
本を一冊読み終えた。週末に映画を観た。中島みゆきのコンサートにも行った。
これを半ば義務みたいにHPに感想をアップしなければならない。
いや、誰かに頼まれているわけでもないので、無理してこなす必要など全然ないのだが、
それでは自己満足が完結されない。自己満足が得られないと毎日がカラカラに渇く。
『午前十時の映画祭』を来年もやるという。HPのレイアウトをどうしよう。
ブログは中途半端でも、まだまだHPでやりたいこともある。
今は野球がないだけマシか。
中島みゆきは年明けにも行くので、そのときにアップさせよう。
自己満足を先送りして干上がる人生ほど味気ないものはないのだけど。
2010.12.03 ドアを開けたら
明け方の雨と風は安普請のアパートを揺らさんばかりだった。
テレビをつけると首都圏各地の荒れ模様が映し出される。
「またメトロポリタンホテルでの忘年会は雨かいな・・・」とボヤキながら朝支度。
どんだけ土砂降りかと恐る恐るドアを開けた途端、思わず「おっ」と声が出た。
なんと目の前に大きな虹が架かっているではあーりませんか!
生まれてこの方、虹でこんなに驚いたのは初めてかもしれない。
舗道はゴミと落ち葉で散らかり、荒天の名残で電車の運行は散々だったが、
そんなことは本当にどうでもよくなかった。
2010.12.04 夜更かし
少なくとも十時間は寝た。さすがに昼寝して目覚めたら夜だと一日があっけない。
そのあっけない一日を補おうとすると夜更かしの態勢になる。
悪いことに深夜の衛星放送で3.27京セラでの「阪神-横浜」戦を再放送していた。
開幕二試合目、城島がサヨナラHRを決めた試合。私はすぐ近くの中之島にいた。
9回表のチャンスで打席は平野。ベンチは代打に関本を告げる。
ここで関本が打っていたら二人のシーズンは違うものになったのかもしれない。
最後に城島に打たれたのが木塚。秋に引退試合をすることを予感していたのだろうか。
ちょっとした勝負のアヤが顔を覗かせていたことを夜更かしが教えてくれた。
2010.12.05 週に一度の感動
今年の週末は午前十時から往年の名作映画を観ているのだが、
毎週、ほぼ例外なく感動させてもらっている。
名作が何ゆえに名作と呼ばれているのかを思えば、感動はお約束みたいなもの。
今日はもう一本、森田芳光の新作『武士の家計簿』も観た。
これもよかった。久々に森田芳光がいいと思ったし、何より堺雅人には華がある。
こうして続けてスクリーンを観ていると一日などあっという間に終ってしまうが、
やはり心に潤いと栄養は大事なのだと年の瀬につくづく思った。
それにしても昔、同じ会議の席にいたこともあるプロデューサーのT君。
またいい仕事をしている。
2010.12.06 街は動く
渋谷の道玄坂、文化村通り、センター街を歩く。
都会の様相は猫の目のように変わる。
知らない間に巨大な家電量販店が出現し、大型の書店が跡形もなく消えている。
思えばハチ公前にたむろするカップルも、スクランブル交差点を往来する若者たちも、
「いかにも渋谷的」という装いを保ちながら、中身の人間は間断なく入れ替わっている。
街は華麗に時代を刻んで動き、加齢なる私はネオンがますますぼやけて見える。
2010.12.07 実家立ち寄り
年末調整に添付する保険控除証明書を取りに実家へ。
それは口実で、本音は塩辛いシャケと麦をしこたま入れたご飯が食いたかった。
余ったごはんでおにぎりを作ってもらうのは実家に帰ったときの恒例。
先日の同窓会の写真をしつこく見せようとする母親。
その横で親父は黙って茶をすすりながら、テレビを見つめている。
ブラウン管のテレビ画面には「アナログ」の字幕。
寒いから駅まで送っていくと84の親父が運転し、来年80の母親が助手席に乗る。
新築の建物が並ぶ住宅地で、我が家だけが古びていく。
2010.12.08 いよいよ冬到来か
12月に入って初めてハーフコートを着て出勤。
職場の先輩におねだりして譲ってもらったブルゾン風のコートだ。
去年の「日めくり」で確認すると、今年は着るのが一週間ほど早い。
いよいよ加齢による冷えへの耐性が無くなったのかもしれない。
どちらにしてもジャケットひとつで街を歩くのが、みっともなくなってきた。
2010.12.09 焼き鳥と頭痛
美味いからと誘われるまま溝の口の焼き鳥屋へ。
確かにハツ、砂肝、レバ、せせり、ネギ間と何でも美味かった。
ところが飲み始める前から頭痛。
今年に入ってどうも頻度が増している。
脳の血管で倒れる家系ではあるが、さすがに医者に相談しなければという気にさせた。
そういえば物忘れがひどくなって、我ながら情けないなと苦笑することも多い。
それと頭痛との関連はわからないが、
口から漏れるのは「ああ嫌だ嫌だ」のため息ばかりなり。
2010.12.10 測定不能の睡魔
夕べは帰宅してすぐに床に就くも、突然目覚めてしまった午前3時。
身体が冷えていたので風呂に入ったり、本を読んだりと何だかんだと午前5時近く。
少しでも寝ておかなきゃと二度寝して起床は朝の7時。
これでは一体、どれくらいの睡眠時間だったのかさっぱりわからない。
通勤電車で寝ることもなく、こりゃ仕事中に強烈な睡魔がやって来ることを覚悟。
ところがまったく眠くなることなく今に至る。
果たして明日の土曜日は何時まで寝ているのだろう。
2010.12.11 一日は長く、一年は短い
去年の今頃に読んでいた本が森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』。
一年があっという間に過ぎた。本当に早い。
そして何の偶然か、京都が舞台の小説を読み終わった。
また今出川通の喫茶店「進々堂」が出てきたのには驚いた。
前回は物語を締めくくる舞台として登場し、
今度は物語を転換させる舞台で使われている。
来年あたり、訪れることが叶うだろうか。
2010.12.12 M-1GP準決勝in国技館
かつて80回以上は行ったであろう両国国技館に、今日はM-1の準決勝を観に行く。
細かいことはブログに書くつもりだが、今回でM-1を終了させるらしい。
決勝に進んだ8組はそれぞれ面白かったが、24組が殆ど横一線だった。
確かに競技としての漫才を十年もやって、本来の演芸から逸脱してきた感はある。
しかし今後、エントリーした4835組の熱情はどこをさまようのだろう。
2010.12.13 K-1GP優勝戦inテレビ録画
かつて都合でK-1の中継が観られなかった時、試合の情報を遮断するのに苦労した。
そういうことがすっかり無くなり、余裕で録画を観ていられるのが寂しい。
以前は大阪、名古屋とドームをサーキットして決勝の舞台は東京ドームだった。
それが横浜アリーナに規模縮小し、今年はとうとう有明コロシアムになった。
確かに有明なら中継するフジとしても都合がいいのだろうけど。
京太郎がシュルトにどう挑むか?アリスターがシュルトをぶっ倒せるのか?
ところが最後はピーター・アーツの根性物語で終ってしまった。
そりゃアーツは頑張ったけれども、将来のK-1に何を残したのだろう。
2010.12.14 ぼけ
もともとそういう傾向にはあったが、最近、物忘れが激しい。
横山やっさんの「めがね、めがね」ではないが、一日に一度はポカをする。
腕時計をはめながら腕時計を探す。Yシャツを着ているのにYシャツを出す。
携帯電話をその辺に置くと、その置いた場所がわからなくなる。
冷蔵庫を開けたはいいが、はて?何を取り出そうとしたのか思い出せない。
「それを聞くのはこれで三度目だ」と職場でいわれる。
まだ物忘れをしたことを憶えているだけギリギリましなのだろうか。
2010.12.15 ツッコミはナシということで
3年後に小惑星が衝突して地球が消滅する。そんな状況に置かれた人々の日常とは?
そんなテーマの連作短編を読んでいていると何やら終末思想で我が町を眺めてしまう。
駅中のマクドナルドが、ガストが、サイゼリアが完全禁煙となったばかりか、
タバコが吸えたコーヒーショップが閉店した。
この世の終わりとはこんな感じに似ているのではないだろう・・・・・か。
2010.12.16 あとひと月
いよいよ五十路の大台までひと月となった。
大台というイメージは30になったときも思ったから、これから死ぬまで大台は続くのか。
とにかくクリスマスはどうでもいいとして、40代最後の大晦日と年越しに正月。
だから何かするあてもないのだが、
何とか無事に生きていること、この歳で両親が健在であることに感謝しとこうか、
早生まれの特権で先に大台に乗せた同級生たちを見上げながら。
2010.12.17 忘年会とは名ばかりで
いつものメンバーたちと高田馬場「清龍」で飲む。
同級会をやったという話題となり、幹事の苦労話を聞く。
かつて好きだった女の子と27年ぶりに話をしたとかで、大層ときめきのご様子だった。
「27年ぶりというのもすごいね」などと相槌を打ちながらも、
この人と知り合ってからもそれぐらい経っていることに気づく。
たまに高血圧、座骨神経痛、高脂血症なんて話が交ざるものの、
古くからの仲間と飲むと、年を忘れるより歳を忘れさせてくれるから有難い。
2010.12.18 (財)防衛施設周辺整備協会 partⅡ
例の防音工事の許諾書に判を押す段になって、おったまげた。
なんと改修の金額見積りが400万円にもなっていた。
国の全額負担とはいえ、どんだけ金をかけるのかと工務店を呼んで説明を聞いたところ、
内装、外装から天井まで引っぺがす大工事だというのではないか。
今までそこまでの説明はなかった。一体その工事期間中どう生活せえっちゅうんじゃ。
ということで許諾書に判は押さず、何かいってくることを待つことにした。
とほほ。。。。かったるいこっちゃ。
2010.12.19 運転免許更新
運転免許をとって30年目にして、初めて書換えで優良運転者講習を受けた。
かつて数度の免停で何度も反則金を国庫に納めてきたのに大したものだ。
いやいやこの5年間、いかにハンドルを握っていなかったという話に過ぎない。
所詮、ゴールド免許の実際なんてこんなものではないだろうか。
2010.12.20 ポスト
アパートのポストに入ってくるもので一番多いのがチラシ。
不動産やマンション物件が多い。
こんなしけたアパートに住んでいないで、思い切って飛びさせということか。
それに付随して引越し、廃品回収。たまに宅配のピザやケータリング専門の寿司屋。
次はガス、上下水道、電気やクレジットカードの請求書。
まったく・・・ろくなもんじゃない。
それでも、たまに嬉しい郵便も届く。
仕事からそこそこ疲れて帰ってきて、玄関開ける前にやるのがポストの確認なのだから、
少しは嬉しい夜があってもいいじゃないか。
2010.12.21 半々
今夜の忘年会は昔の仕事仲間たちと。
同じ業界にいても業態が違えば、会話についていけるところとそうでないところが半々。
安定か冒険かで、冒険を選んでしまったのが18年前。
その後の紆余曲折。メンバーを見渡せば私だけが右往左往と流転している。
それを経験と呼んでよいものなのかどうか。
2010.12.22 寿司に中華に電気ブランに
連チャンの忘年会は職場にて。そろそろ胃に負担を感じるようになってきた。
きついのでビールはパスして電気ブランにコーラーを割ってちびちびやっていた。
寿司に中華になかなか豪勢な出前が届けられ、飲んだというよりひたすら食いまくる。
マグロの握り、酢豚、ホタテの握り、鶏唐揚げ、いくらの軍艦、春巻き、はまちの握り。
和中混合ものともせずに食った食った。
さて、胃の負担よどこ行った?
2010.12.23 暴挙か冒涜か
ロンドンの学生デモのとばっちりを食っていたチャールズ皇太子夫妻の映像を見て、
こりゃ大した暴挙だと英王室の権威の頼りなさを目の当たりにしたばかりだが、
ふと日本を見渡せば、この祝日の街中のそこかしこにイルミネーションが輝く。
無自覚に浮かれながらもこの国は国家、宗教含めて英国以上の冒涜をしている。
今夜くらいはイルミネーションを落として、静かに誕生日を祝ってもいいのではないか。
などと書くとすぐに右側だと思われるのがこの国の一番しょーもないところなのだけど。
2010.12.24 そういえば昔
ビデオ屋をやっていたとき、イブの夜の暇さったらなかった。
何せ売り上げの3割5分を占めていた成人コーナーにお客がさっぱりこない。
同じく、彼女がいるわけでもなく暇こいているくせに、
見栄でシフトに入らない学生アルバイトを引っ張り出すのにも苦労した。
そういえば原クンというバイト学生がいて、彼はよくシフトに入ってくれた。
この夜のシフトは「パラサイト・イブ」という映画をもじって、
「原さんとイブ」と怖れられていた。
さて、この「日めくり」。いつも寝る前に書くのだが、翌日になってしまった。
これは見栄でもなんでもなく、単に食った後に寝ちまっただけの話である。
2010.12.25 午前3時過ぎのABC
例えば絶対に片付けておかなければならないものがあり、それを仮にAとする。
ところがそのAと同じ優先順位にあるようなBがあるとする。
AとBを同時にこなすほど器用ではないので、AをやるかBをやるか迷うことになる。
やはりAをやっておかねばと思ってやり始めるとBがどうしても気になってしまう。
しかし自分の性格はわかっているのでBに変えても同じ結果になる。
こういう集中力の欠如からくる優柔不断さを自覚する人は少なからずはいるだろう。
しかし自分がつくづくバカだと思うのは、気がつけばCをやっていることだ。
2010.12.26 何故だ?
前回、スパで体重を量ったとき、思っていたよりも2キロほど痩せていた。
今日はひとつ手前の駅から歩いてスパに乗り込んだのに体重が戻っている。
やはり昨日、豆餅を6個平らげたのが原因か。
それとも食パン6枚にマヨネーズをぬりたくって一気食いしたのが悪かったのか。
野菜天丼の大盛りを食った後に200円セール中のビックマックを食ったのが原因か。
それくらいしか思い当たることがないのだけど。
2010.12.27 日経新聞
仕事納めに大掃除。ストックの新聞を処分した後で、日本経済新聞の夕刊が届く。
もう誰も読まないので、帰りの電車用にとそのまま戴くことにした。
車内で日経を二つ折りにして読み出した途端、
「おお、ビジネスマンぽい!」と思ってしまう。
一面の見出しに「ブラジル投信伸び鈍る」「個人マネー流入4割減」「基本規制が影響」
なんてこった!一面を斜め読みしてみたが内容の半分も意味がわからんかった。
これで五十路一歩手前というのだから情けない。
2010.12.28 母親が怪我
庭仕事をしていて転倒し、肋骨3本にひびが入ったのだという。
こういうのは自然に治癒していくのに任せるしかないのだろうが、何せ79歳の高齢。
年の瀬でもあり、掃除ぐらいは手伝わねばと実家に向かおうとしたら、
「あんたが来ると生活のペースが乱れて疲れる」とほざいてくれました。
そういわれるとこちらも「ああ、そうかいな」と鼻を曲げてしまうのだが、
食事するにも寝返り打つにも厳しい痛みが伴うのは気の毒でならないし、
もし風邪でもひいて咳込んだりしたらどうなるものかと本気で心配してしまう。
明日は予告なしに帰るとしようか。
2010.12.29 動かず
それでも朝、実家に様子伺いの電話をかけるも留守のよう。
結局、日の暮れる頃に電話が通じる。
出掛ける体力はあるようで、明日はサウナらしい。
そうこうする内、こちらも頭が重くなる。
結局一日中テレビつけっぱなしでダラダラ過ごした。
テレビは「今年の10大ニュース」の大はやりで、
そのたびに日の丸を焼く中国人が映し出される。
嫌気が差してチャンネルをザッピングするとジャニーズと吉本芸人ばかり。
娯楽が多様化し、世の中は選択肢に溢れているというが、本当だろうか。
2010.12.30 食品売り場にて
買い物の手伝いということで、母親とスーパーの食品売り場で待ち合わせる。
ところが年末のかき入れ時、広いフロアは買い物客でごった返している。
身長が150センチにも満たない母親を探すのは思った以上に骨だった。
情けないのは、まったくの他人を母親かと見間違えてしまうこと。
それだけ視力も落ちているのだろうが、今の母親の見ためを十分にわかっていないのだ。
思えば、人を掻き分けながら母親を探すなど何十年ぶりのことだろう。
妙な懐かしさのせいか、ふた回りは若い人に母親の面影を探してしまう。
結局、79のおばあちゃんを見つけるのに15分もかかってしまった。
2010.12.31 年の終わりに
大掃除とまではいかないものの、一応その真似ごと程度のことをやる。
一年の節目とはいえ、ただでさえ水が冷たいときにこの伝統行事はきつい。
普段、掃除機を入れない場所、エアコンや空気清浄機のフィルターの埃のもの凄さ。
ようこんな中で生活していたもんだと思うのも大晦日の習いの内なのだろうか。
鍋をつつきながらの格闘技中継は、
半裸の男が殴り合ったり、関節をあらぬ方向に捻り合ったり、背後から首を絞めたり。
冷蔵庫のネギをすべて鍋に入れてしまったので、年越しそばに薬味はなし。
そうこうしているうちにNHKで京都・知恩院の大鐘がゴ~ンと新年を告げる。
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