■2017.04
日めくり 2017年04月(平成29年) ◄►
2017.04.01(土) 昔話
ごくごく稀に古くからの仲間たちと飲むと、
昔の武勇伝や失敗談が繰り返し話題になることがある。
正直、20代、30代の頃は「またその話かよ」と思いつつ、
話としてはとびきり面白いので、場は盛り上がり大笑いとなるのだが、
40代を過ぎたあたりから、同じ話の内容が微妙に変わってきたことを感じる。
正確性が欠けてきたり、語り手のアレンジが加わったりすることが気になるのだ。
それは語る側の人生経験というか、人生変遷の積み重ねの産物かもしれないし、
そんな昔の話は会えば思い出す程度のことなのかもしれない。
むしろ、昔の話を正確に憶えている私の方が問題ではないかとも思うのだ。
古い武勇伝や失敗談に固執して、あまりにも大事に温め過ぎてはいないか。
逆にいえばこの齢で、それらの昔話を上書きするほどの経験値が乏しいのだろうか。
仲間たちが酒を煽りながら、忘れかけた記憶を取り出すのに対して、
私はつど新しいハードディスクに移し換えながら、データを保存している感じ。
現実がシビアになればなるほど、データの保存に埋没する。
一種の「逃げ」かもしれないし、私という人間の性分なのかもしれない。
多分、還暦を過ぎたら50代の頃はまだ若かったと思うだろう。
こんなHPを作ったときは、まだまだ自分が変われることへの期待はあった。
今は貧相な半生をまとめるためのツールになっている気がする。
それは人の存在が未来ではなく、過去にのみ存在する宿命にあるからなのか。
先日、渡瀬恒彦を書きながら思った。
2017.04.02(日) 技術の流失は
一連の東芝の巨額損失の記事を読んでいて単純に思う。
何故、東芝は倒産しないのか?ということ。
今期の赤字額は1兆円。おいおい、ちょっと待てや。
会社をふたつ潰した私と比べるつもりは毛頭ないものの、それにしても1兆円。
国も銀行も総出で東芝という一企業を守らなければならないのか。
もちろん企業を保護する条件で、従業員の大量惨殺という実体はあるのだろうが、
その企業が命を保つ策として半導体部門の売却というのはいかがなものなのか。
企業は守る、しかし技術の流出はやむなしでは、カネの使い道として正しいのか。
こうなると損得問題だ。どちらが損で得なのかシンプルに考えるべきではないか。
2017.04.03(月) 新しい上司
新たな年度に入り、職場に新たな上司が赴任した。
これで私の仕事もかなり引き継げることになるのか。
ただ、上が変わるたび仕事の説明と引き継ぎを強いられるのがかったるく、
それ以上に新たに人間関係を構築しなければならないのがしんどい。
何よりも席を開けるたびに荷物を移動するのが面倒くさい。
今の職場に9年前に就いたが、当時いた職員はたった一人しか残っていない。
もちろん話がわかって、商売の何たるかを理解する人であることを祈るのみだが。
2017.04.05(水) 中島貞夫と深作欣二の二本立て
昨日の話。梅宮辰夫と成瀬正のトークショーが終わって本編上映。
中島貞夫『実録外伝・大阪電撃作戦』と深作欣二『県警対組織暴力』の二本立て。
仕事帰りに二本立てはハードだが、この組合せの豪華さ、わかる奴にはわかる。
当時の東映の封切り番線でこのふたりの二本立てなど絶対にあり得なかった。
今さら、改めてこの二本のレヴューをしても仕方ないので、そこは割愛。
まごうことなく松方弘樹が松方弘樹であり、渡瀬恒彦が渡瀬恒彦であった。
ただ学生時代の私が涙交じりに「まだそんな所にいるのかよ」と喚いている(笑)
「やかましい!男には自分の居場所を確かめたい時があるんだよ」と。
例えそれが消えかかった風前の灯であったとしても。
2017.04.04(火) 辰兄ィと松方弘樹を偲ぶ
シネマヴェーラで「抗争と流血-東映実録路線の時代」と銘打ち、特集が始まった。
松方弘樹の訃報に伴う企画なのだろうが、想定外で渡瀬恒彦が加わってしまう。
上映前に梅宮辰夫と成瀬正をゲストに迎え、杉作J太郎のMCでトークショーも開催。
私は芸能人のトークにさほど興味がなく、本編に間に合えばいいと思っていたのだが、
当然のことながら映画館はドアが閉まらないほどの立ち見で大盛況となっていた。
到着した時には辰兄ィのトークは後半に差し掛かり、殆んど声しか聴けなかったが、
白髪の好々爺となった辰兄ィと、禿げあがった成瀬正(ピラニア軍団)による、
やくざ路線全盛の東映撮影所の不良感度は半端なく、その伝説話は果てしなく面白い。
いや楽しすぎる。本物の極道のような役者と役者のような本物の極道が混然一体となり、
大らかだった時代の象徴を懐かしみ大爆笑となる。いわゆる「男の話」だ。
大手映画会社がこんな撮影所を擁し、その風土の中で量産された映画群は、
哀川翔、竹内力、白竜、小沢仁志たちのVシネとは土壌が違いすぎていた。
日々の糧のためVシネを売り込んでいた頃、この致命的な違和感に何度悩んだことか。
2017.04.06(木) 14年ぶりの「大笑い、三十年の馬鹿騒ぎ」
初めて観たのは高校3年の夏---浅草六区の小屋。
あまりに重苦しいばかりの狂気に、映画を受け入れることを拒絶した。
しかし帰りの京急線で思考の霧が晴れるように脳天が熱くなってくる。
それは高校生が味わった前代未聞、唯一無二の映画体験だった。
それから私の主人公・石川力夫の真実を探す長い旅が始まる。
地恵子の遺灰に涙の滴が落ちて、ぽつぽつと黒い点が沁みるのに泣け、
窓際で糸に括られた赤い風船が、宙ぶらりんで風に揺られているのに泣け、
糸が切られ、風船が灰色の空にふわりと舞い上がっていく様に泣けた。
そして今夜は画面に現れた蜜柑を数えるだけで泣けてくる。
1975年公開、監督、深作欣二、主演、渡哲也。タイトル『仁義の墓場』。
2003年。深作欣二追悼の年にこの映画と18年ぶりに邂逅した。
上板東映の閉館ラストピクチャーの予定が痛恨の差し換えになるなど、
それまでの18年間、プリントが消滅し、劇場での上映が不可能だったのだ。
その間、何度ビデオデッキに手を伸ばしかけて止めてきたことだろうか。
あろうことかその深作追悼からも14年が経つ。
しかし私にとっての“絶対映画”は14年の時空などあっさり超えていく。
そして思った。石川力夫と共感など絶対にあり得ないのだということ。
しかしこんなボンクラやくざ映画好きからも拒絶される存在の切なさはどうだろう。
暴力と流血と可笑しみに彩られた悲しみのバラードともいうべきか。
こんなにも悲しい映画と伴走してきたことに、私は一点の悔いもない。
2017.04.07(金) 目黒川の桜と寺院めぐり
昨日は代休を貰って、久々に御朱印帳を持って寺院をめぐった。
夕方から渋谷で映画を見る予定なので、遠出は避け、目黒界隈を行く。
目黒不動・龍泉寺は『鬼平犯科帳』にたびたび出てくる都心の名刹。
火盗改め方同心・木村忠吾の両親がこの墓地に眠っている設定だった。。
しかしお調子者の木村のこと、墓参にかこつけて品川遊郭まで足を伸ばそうとする。
江戸時代のことなので今とまるで距離感が違うのだろうが、
役邸がある清水門外が九段下辺りなので、目黒品川となるとそこそこの距離だ。
二本差しを携えながら歩いて、遊郭に興ずる体力があるのだから凄い。
その木村忠吾も長谷川平蔵も眺めたであろう目黒川の桜並木。
駅から大勢の花見客たちが目黒川を目指していたが、ここの桜は見事ではある。
隅田川や神田川もしだれ桜の名所だが、川幅の狭い目黒川だからこその景観がある。
まさに千本桜の回廊。実に綺麗。宴会が出来る公園などがないのがいい。
龍泉寺から弁財天の蟠龍寺へ。「元祖山手七福神」を4年がかりで満願。
そこから中目黒方面に祐天寺。さらに大井町線で九品佛の淨眞寺へ。
意外と横浜に近い都心でも巡っていない大寺があるものだ。
両親と関わらない久々の代休で桜と仏様にすっかり心を洗われた後、
16時過ぎからの上映に合わせて道玄坂の映画館へ。
せっかく心を洗われたのに『強盗放火殺人囚』とは笑ってしまうが。
2017.04.08(土) 映画『夜は短し歩けよ乙女』
数年前から、“ワールド”とか、片仮名で“セカイ”といった表現をよく目にする。
○○君ワールドだな、とか。○○君は今、セカイに入っているな、とか。
『夜は短し恋せよ乙女』はワールド、セカイが頭から尻尾の先まで詰まっている。
だからといって森見登美彦の原作は11年も前に刊行されたもので、
決して旬のベストセラーや流行をあてこんだ企画ではない。
だからどうしてもこの世界感をアニメにしたいとの製作者たちの強い熱意が伝わる。
おそらく数年前から構想を練り、膨大な準備に時間を費やしたことだろう。
とにかく原作愛に溢れた映画で、森見ファンを十分に嬉しがらせる出来になっている。
だから私も上映中やたら嬉しくて、心の中でウハウハいいながら観ていた。
私は「先輩」の声を星野源があてていることを知らずに映画を観たのだが、
各々登場人物の声もまったく違和感がなく、想像通りの93分間だった。
この「想像通り」というのが実に重要。
『夜は短し歩けよ乙女』は読者の想像力に託した小説になっているため、
アニメは愛読者が頭に思い描いた想像力と勝負しなければならない。
読者は最大限の想像力を駆使したわけで、ハードルは低くなかったはずだ。
原作は映画と違っていもかまわないというのが私の持論ではあるが、
こと『夜は短し歩けよ乙女』に関しては持論が当てはまらない気がするのだ。
だから私には本を読んで脳裏に描いた絵の答え合わせという側面もあった。
この趣向が実にスリリング。結果、樋口さんと詭弁踊り以外は満点に近かったと思う。
かといって決して原作世界をなぞってみせただけのアニメでもなく、
京都の四季を織り込んだ“恋愛大河ドラマ”を一晩で描く離れ業も敢行している。
その分、京都の都市論ともいうべき原作の味わいは薄くなったものの、
ジェットコースターのようなとんでもないスピード感を獲得したのではないか。
それでも原作を読んでいなかったら楽しめる映画だったのかどうかはわからない。
Yahoo!のレビューなどを見ると、既読であるのとそうでないのとの温度差は明らかで、
原作ファンには好評で、星野源目当ての未読の人たちはやや面喰っていたようだった。
逆に森見ファンを満足させたのは大したものだと思う。
2017.04.09(日) 北條2発!逆転勝利
六畳部屋で老夫婦が、願わくは割り込みたくない会話を交わしている最中。
私は黙って阪神vs巨人の中継に見入っていた。
北條が幸先よく左中間に先制のホームラン。
能見はボールは低めに集めて、1-0の僅差をキープしている。
6回裏、先頭の高山が塁に出る。続く上本は送りバントの構え。
どうしても追加点が欲しい局面だ。だが送れない。
今更の話だが、こういう基本的なセオリーがなかなか出来ない。
結局、期待の糸井、福留があえなく凡退。嫌な流れだ。
案の定、立岡、坂本が連打したところで、能見がボーク。
絵に描いたような自滅パターンの末に阿部のタイムリー。
代わった桑原から亀井が逆転のツーベース。1-3。
母に「帰ろう」と告げると、「もう帰るのか」と親父。
「ああ」とぶっきらぼうに施設を後にする。
実家で母を降ろし、家に上がりもせず車で走り去る。
我ながら愛想のないこと甚だしい。
アパートに帰って洗濯バッグを詰め込んでコインランドリーへ。
野球はもうゲームセットだろうと、スマホで結果を見る。
4-3。へ?勝ったのか。
急いで経過を辿る。
逆転されたその裏に北條が2発目の同点ホームラン。
八回に上本が決勝のホームラン。
まさかの二遊間コンビによる鮮やかな一発攻勢だった。
ああ、何でもっと我慢できなかったのだ。
せめて実家で晩メシを食って行けばよかった。
愛想のない態度も申し訳なかった。と思う。
それにしても北條が2発とは、、、。
2017.04.10(月) 教育勅語---何故、朝日は必死になる
今朝も朝日新聞が「教育勅語 憲法とは相いれない」と題した社説を載せた。
直近で教育勅語を取りあげるのは三度目になる。異例なことだと思う。
一体、朝日は何を焦っているのかというと、だいたい想像はつく。
先ず例の教育勅語を園児たちに暗誦させていると批判記事を書いたのが朝日だ。
朝日の意図として、反民主主義思想を強要する右翼の醜悪さを訴えたかったのだろう。
ところが朝日の意に反し、俄然、教育勅語を見直そうという機運が高まってしまった。
そもそもあの学園のことは真っ当な社会批判の具はならない空気がある。
ならば誤った認識を修正しようという力学が働くのは当然で、
その力学を牽引する力をもともと教育勅語は内包していたのだ。
教育勅語を単なる近代史上の資料に貶めておきたい朝日は、さぞ面喰ったことだろう。
もう一度書くが、私は教育勅語には全面的に賛同したい立場だ。
何故なら教員勅語が日本国の道徳の基盤だと思うことと、
その内容に一切の危険要素はないと確信しているからに他ならない。
確かに教育勅語が戦時中、軍部に利用された経緯はあったろうし、
そのことで多くの国民の生命が失われたことは紛れもない事実だ。
しかし、占領軍の指導で教育勅語の廃止が決定されたのも事実ではある。
ならばそれを見直すことで、軍部を批判する作業もジャーナリストの役割ではないか。
私はジャーナリズムの根幹としての朝日の役割を全面否定するものではない。
当然、ネットに踊るような「反日新聞」「売国新聞」とは思っていない。
しかし時々、この新聞は亡国寸前のトンデモないことをやらかすようだ。
従軍慰安婦の捏造記事然りだが、選挙よりもデモこそ重要などと平気で書き飛ばす。
教育の自由を主張しながら、一方の価値観を断罪するなど言語道断だろう。
民主国家として、教育勅語を決して負の遺産にしてはならない。
2017.04.11(火) 民進と共産
政治なんてもともと胡散臭いもの。などとカビの生えたことをいう気はないが、
民進党と共産党の共闘くらい胡散臭いものはあるだろうか。
「安倍政治にNO!」のキャッチフレーズで結託する程度のスケールでは、
党としても政治家としてもあまりに矮小すぎやしないか。
おのれ等のアイデンティはどこに行ったのか?てなものだろう。
民進がやるべきは、与党精神で保守層にも一定の信頼を得ることではないのか。
そもそも民主党が失墜したのは、与党として未熟だったからに他ならない。
この度、離党届を出した長島昭久・元防衛副大臣は離脱の理由をこう述べた。
「政権選択の選挙で、国家観も目指すべき社会像も著しく異なる共産党と、
選挙協力をすることに国民の理解を得ることは難しい」
ごく真っ当な正論ではないか。
2017.04.12(水) 暗黒の実録やくざ映画
高校から大学にかけて浴びるように観てきた東映やくざ映画。
しかし『実録・私設銀座警察』だけはずっと見逃していた。
いや見逃していたという表現は正確ではない。
当時、新宿昭和館を中心に横浜の名画座の殆んどは3本立てであり、
文太、健サン、純子さんの映画を追いかければ、必然的に併映作品も観ることになるが、
たまたま添えものに『実録・私設銀座警察』が引っ掛からなかっただけの話。
高校の同級生が観て「全然面白くなかった」という感想があって、
さすがの私も『実録・私設銀座警察』をメインに追いかけることはなかった。
しかしこのタイトルは何度も情報誌にラインアップされていた。
当時はその気になればいつでも観られた映画ではあったし、
そもそもこの映画のビデオを売っていたのだから、観ることは容易だった。
今夜一見して、当時の同級生の「つまんねぇ」との感想はわかる気がした。
深作欣二の映画に夢中だった当時の我々に、これは箸にも棒にもかからないだろう。
ところが長い歳月を経て、『実録・私設銀座警察』がカルト化しているという。
この辺りの経緯はマカロニウエスタン『情無用のジャンゴ』と同じ脈絡なのか。
私は面白半分にB級映画を持ちあげるサブカルチャーは大嫌いなのだが、
一方でサブカル連中の妙な嗅覚と発掘力は認めてはいる。
確かに深作映画と無関係なところでサブカルのフィルターを通してみると、
どこか強烈な異臭を放つカルト映画らしく見えてくるから不思議なものだ。
冒頭、復員した渡瀬恒彦が焼け跡でパンパンになった妻と赤ん坊をなぶり殺しにする。
その渡瀬の執拗な殺しの場面をスローモーションで延々と描いた後に、タイトルが出る。
およそタイトル前のオープニングがここまで陰惨なやくざ映画は皆無だろう。
安藤昇、梅宮辰夫、葉山良二、室田日出男の面々が銀座の焼け跡で暴れまくる。
唯一、安藤だけが愚連隊から真っ当な会社組織へと脱皮を図ろうとするのだが、
その安藤の前にふらりと現れたのが、土の中からゾンビの如く蘇ったヤク中の渡瀬。
「やめろ」と手を伸ばして制止するが、その指ごと頭を撃ち抜かれて即死する。
指ごと弾くのはデ・二ーロの『タクシー・ドライバー』の元ネタになった説がある。
さらに内田朝雄を延々と残虐なリンチで痛ぶって死なせてしまう場面では、
その死骸を豚小屋に投げ込んで始末する。嬉々として死肉に喰らいつく豚たち。
これが本当に『ハンニバル』の元ネタになったというのなら大したものだ。
佐藤純弥がハリウッドにパクられたのは『新幹線大爆破』だけではなかったのか。
生き残った梅宮、葉山たちはどうせ捕まるのならと芸者をあげての乱キチ騒ぎ。
もう芸者も女中も区別なく犯しまくる大乱交で、画面はボカシだらけ。
これ、後に巨匠扱いされる東大出の佐藤純弥の仕事なかのと疑いたくなる(笑)。
そんな乱キチ騒ぎをよそに、渡瀬は鬼の形相で血ヘドを吐きのた打ち回っている。
その渡瀬の凄まじいばかりの狂気が全開となって映画は終わる。
もしこれが異臭を放つカルト映画としてサブカル連中に承認される映画ならば、
兄が演じた石川力夫に匹敵する兇暴さを具現した渡瀬恒彦の功績に他ならない。
2017.04.13(木) 今季初観戦、勝ったよん ~横浜スタジアム
平日の横浜スタジアムでの今季初観戦。
乗り換えなしに直行出来るといっても、池袋の先からだと一時間以上はかかる。
19時半少し前に到着。試合の進みが早い投手戦。すでに5回が終了していた。
あろうことか輝く我が謎、阪神タイガースはベイスターズ井納に無安打ではないか。
ところがレフト外野席に着いた途端に上本が初安打。原口のタイムリーで先制。
やっぱり私が見守るしかないのか、このチームは(笑)。
ところが直後に大嫌いな梶谷にスコアボード直撃の特大ホームランを喫す。
何をやってんだか藤浪晋太郎。直後に追いつかれるようではエースの道は険しいぞ。
しかし私と藤浪の先発した試合は目下5連勝中。とても相性がいい。
最終回に高山、上本のタイムリーで3点をもぎ取り、
最後は必ずランナーを背負う緊張の守護神、ドリスがゲッツーにとって勝利。
「六甲おろし」を3番まで歌い、久々に大声を出して気分よく帰路に着く。
土日の予定が立たない今、平日の夜をいかに有意義に過ごすかが勝負。
そんな勝負の夜にとりあえず勝利したことを喜びたい。
2017.04.14(金) 転けて衰えを知る
実は一昨日の夜。渋谷の映画館の前で派手に転けてしまった。
ほんの20センチ程度の下りの段差で足を踏み外したのか、よろけてしまい、
慌てて体勢を整えようとしてバランスを崩し、派手に転倒してしまったのだ。
後ろから何人も通行人に見られていたことは自覚していた。
だから転けまいと踏ん張ったのだが、足腰が体重を支えられず、
背中をしたたかに打ってしまったのだ。頭は守ったが、呼吸が出来ない。
先日、母が実家の石段で転けたのとまるで同じではないか。
しかしここでうずくまったら通行人に介抱されることになるかもしれないと思い、
何事もなかったように立ちあがってそのままエレベーターに乗り込んだ。
痛みより、衆人の中で転けた恥ずかしさでやせ我慢出来たようなもの。
エレベーターの中で何とか呼吸を整えたものの、何とも情けなかった。
バランスが効かない、踏ん張りも効かない。
明らかに身体が衰えていることをまざまざと思い知らされ、
幸いかすり傷ひとつ負ったわけではなかったが、結構ショックだった。
2017.04.15(土) 「午前十時の映画祭8」始まる
この映画祭も8年目に突入した。
一応、再上映を除くすべての作品に足を運んできて、観賞数178本。
往年の名作から、二度とスクリーンで観られないと諦めていた作品まで、
それなりに充実した休日の朝のひと時を過ごしてきた。
今回の「午前十時の映画祭8」が終わるときに合計200本達成となる。
すでにラインアップが発表され、『アメリ』で幕は開いているが、
再上映5本を除く23作品中で、劇場未見作が8本。
3年前に新文芸坐で観た『イヴの総て』を除いてラインアップを組んものの、
さすがに映画祭も8年目となると小粒になってきた感は否めない。
スペクタクル超大作は影をひそめ、平日朝の客層を見込んでか男性映画も激減。
まともな戦争映画、西部劇、SFは姿を消し、主婦向けのラインアップが多くなった。
映画祭といえども興行なので仕方のない部分はあるだろうし、
午前十時からバイオレンスはないだろうとの配慮も窺える。
『時計じかけのオレンジ』を午前十時に、、、、ちょっと厳しいかも知れない。
それにしてもイーストウッドやマックイーンの映画が消えたのは寂しい。
密かに期待していた『史上最大の作戦』『十戒』『夕陽のギャングたち』など、
劇場未見で、どうしてもスクリーンで観たかった映画は一本もなかった。
この度の未見の期待作は『雪之丞変化』『バグダッド・カフェ』くらいなものだろうか。
『グッドウィル・ハンティング』も『ギルバート・グレイプ』もいい映画だと思うが、
この辺りの年代の映画はどうもビデオ屋時代の残務整理のように思えて困るのだ。
特徴的なのは既見作14本で「もう一度観たい作品」が基本的ないこと。
いやむしろ、初見時はつまらないと思った作品ばかりがズラリと並ぶ。
期待が大きすぎて拍子抜けした感のあった『グロリア』や『アンタッチャブル』。
『トリュフォーの思春期』『野良犬』もどこが面白いのかさっぱりわからなかったし、
『戦場のメリー・クリスマス』『夜叉』は正直、退屈だった
これらが私の加齢と人生経験の積み重ねで、どう印象が変わるのかが楽しみ。
とくに『アニー・ホール』は高校生の私には面白さのツボがわからなかったが、
その後にウディ・アレン映画の面白さに目覚めた目にどう映るのか興味はある。
そして今朝観てきた『アメリ』。最高だった。
2017.04.16(日) モーニングとレイトと
昨日はモーニングで『アメリ』、レイトで『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観る。
製作国もジャンルも違う16年も隔てた二つの映画を比べるつもりはないが、
『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観ながら、『アメリ』の映像が何度か頭にちらついた。
共通するのはどちらも都市の外観をエキセントリックに描いているということか。
映画の中で街がどんなデザインで描かれているのかには興味がある。
たんなる実景ではなく、あくまでも映画デザインとしての都市のことだ。
『アメリ』で描かれたモンマルトルの面白さ、可笑しさはもはや説明不要だろう。
黒人をまったく排除したことで、ジュネの美意識が差別的だと批判されたものの、
実景を映画的な造形美に変換した絵作りはやはり目を瞠るものがあった。
では未来都市としての『ゴースト・イン・ザ・シェル』の造形美はどうだろう。
私は原作の『甲殻機動隊』のファンではないので、細かいことはよくわからないが、
A級B級問わずSF映画の未来都市は概ね『ブレードランナー』的になる。
無機質な未来都市より、退廃的で猥雑な未来にはアジアンテイストは必須なのか。
これを欧米人が競ってデザインすることを差別的だとは思わないが、
退廃・不気味・猥雑を強調する「記号」としてのアジアには少し食傷している。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』がアジアを切り離せないのはわかるが、
コンピューターの箱の中で造形された変てこな風景に「またかよ」とはなった。
思えば『ブレードランナー』の世界にはあと2、3年で追いついてしまう。
我々が子供の頃に漫画で見た「50年後の都市」にはあと50年が必要なのか。
話がそれてしまったが。
2017.04.17(月) あゝ京都に行きてぇ
身体は首都圏にいるが、このところ京都づいている。
『夜は短し歩けよ乙女』から始まり、2週に渡る京都ロケのNHK「ブラタモリ」。
今夜も仕事帰りに京都を舞台にした映画を観る。
京都は中学の修学旅行で行ったきり、何十年もご無沙汰の時期があったものの、
ここ何年かはすっかり京都に魅せられ、毎年のように訪れている。
今は土日を実家と親父のいる施設との往復の日々だが、
常に京都行きの機会を虎視眈眈と狙っているという感じ。
実際、京都は歩いているだけで他の街とは昂揚感が違う。
神社仏閣ばかりではなく、伝統、風習、文化、風俗など意外と雑多な魅力があり、
それでいて街がこちらに少しも寄り添ってこない“絶対的な圧力と気楽さ”がある。
♪あね さん ろっかく たこ にしき~
あゝ今年も京都に行きてぇ・・・・
2017.04.18(火) 映画『名探偵コナン/から紅の恋歌〈ラブレター〉』
いくら『この世界の片隅に』が大ヒットと称賛されようが、
『名探偵コナン/から紅の恋歌』はその記録を5日もあれば追い越すだろう。
これが興収60億級の怪物シリーズの実体。今回で第21作目となる。
そもそも私は何故にこのシリーズが好きなのだろう。
確か、単行本も30巻くらいまでは買っていたと思う。
もともと漫画であれライトなミステリーファンだったこともあるが、
(ディープなファンでもないので漫画でも全然OK)
まず劇場版第1作目の『時計じかけの摩天楼』が凄ぶる素晴らしかった。
あれから20年か。前世紀から続いているかと思うと凄い。というよりも時が早い。
シリーズは何本か見逃している。観た中でも優劣は当然ある。
今回の『から紅の恋歌(ラブレター)』は最初から最後まで関西が舞台。
少しご無沙汰した間に知らないキャラクターがどっと増えて困っていたのが、
よく知るメンバーだけで話が完結していて大いに助かった。
関西ものといえば“西の高校生探偵”服部平次と遠山和葉の高校生カップル。
大して意味はないが私は工藤新一と毛利蘭よりこっちのふたりが好きなのだ。
もちろん大阪府警の親父ふたりに静香奥様、京都府警の綾小路警部も登場。
何より荒唐無稽な怪盗キッドやら黒の組織やらが出て来ないのもいい。
(いや登場人物のすべてが荒唐無稽ではあるのだが)
モチーフは百人一首。紅葉が歌いこまれたかるたが6枚あり、
その紅葉のかるたが殺人予告となり、送りつけられた6人の命が狙われていく。
今の時代は殺人予告を送りつけるのも郵送ではなくスマホの添付メールだ。
もちろん百人一首の素養がなくても楽しめるように出来ている。
かるたや競技の説明もさすが小学館、抜かりはない。
今回は“あたり”だという予感はあった。
あったのだが、正直、出来はシリーズで“中の上”程度に留まったのではないか。
私の中でこのシリーズへのハードルを無為に上げてしまっているのかもしれない。
しかし思う。対象は小学生だ。そういう映画に対しハードルを上げてどうする。
このシリーズはほぼ例外なく、クライマックスは爆破からの脱出だ。
コナンも平次も引田天功に見えてくるので困る。
その爆破からの脱出を2度もやった。そろそろ別の盛り上げ方も編み出してほしい。
エンディングは紅葉で真っ赤に染まる京都の実景。
あゝ今年も京都に行きてぇ・・・・
と、昨日と同じことを、映画館の座席で呟いていた。
2017.04.19(水) 鳥谷敬、金本超え
鳥谷敬のライトスタンドにアーチをかけるホームランが好きだ。
あれは何年か前の横浜スタジアムだったろうか。
腰の回転を効かせ内角のボールを巻き込むように、右上空に放物線を放った。
本当に美しかった。芸術的なホームランだといってもいい。
今でもスタンドで鳥谷が打席に着く度に再現を期待してしまうのだが、
悲しいことに、今は鳥谷のホームラン自体を滅多に見ることはできない。
ルーキー時代、藤本敦士とショートのレギュラーを争った時の空気はよく憶えている。
前年に3割を打って優勝に貢献し、ファンからフジモンと愛されていた男に、
球団は鳥谷を将来の幹部候補として幕下付け出し的にレギュラーにつかせた。
怪我を努力で克服した明石の焼き鳥屋のせがれと、埼玉の早大出のエリート。
虎キチがどちらを贔屓にするかは火を見るより明らかだろう。
しかもオープン戦絶好調のフジモンを押しのけての開幕ショートとなれば、
鳥谷バッシングはさぞ苛烈だったろうと想像する。
そんな中で無表情に黙々と試合に出続け、関西に馴染めない雰囲気の鳥谷には、
すっかり孤高なマイペース野郎のイメージがついて回る。今でもそうだ。
もちろん実績を積んできたのは紛れもない事実。一昨年までは名手とも呼ばれていたし、
誰もが知らずのうち球団になくてはならない選手だと認めていた。
メジャーを諦めて球団に留まった時は、多くの阪神ファンは胸を撫で下ろした筈だ。
複数年契約で球界トップクラスの年俸を手にした昨年は大いに期待され、
監督に就任した金本知憲も「優勝は鳥谷次第」とまで言い切っていた。
どうやら鳥谷はキャプテンとしてチームを引っ張っていく性格ではなかったようだ。
昨年はホームラン量算指令を出した金本を失望させ、肝心の守備も覚束なくなり低迷。
連続フルイニングの記録も途絶えて、ポジションも北條文也に奪われてしまう。
確かに監督が一目置くショートのポジションでの金本超えは評価に値しよう。
別に明るさとがむしゃらさを殊更にアピールする鳥谷像を望んではいない。
いないが、打撃、守備ともにはっきりと衰えている姿は見せてほしくない。
少なくとも金本超え達成の日にサヨナラエラーでは悲しい。
あの巻き込むような美しい一発を見たいのは私だけではないはずだ。
2017.04.20(木) 忖度?
「そんたく」と聞いて、頭に浮かんだ漢字は「損託」だった。
あまり日常会話には出て来ない言葉ではある。
もしかしたら政治や官僚、財界の上の方では日常語になっているかもしれない。
ど平民の私は正直、漢字も知らなければ意味も曖昧だった。
「しんしゃく(斟酌)」なら使ったことがあるかもしれない。どう違うのだろう。
とにかく今、新聞やテレビでは「忖度」がやたら使われている。
もしかしたら今年の流行語大賞の候補か。
言葉が流行る理由はともかく「ゲス」よりかはマシだろう。
2017.04.21(金) うざっ
最近、北朝鮮のミサイルの脅威が日常会話の中にも入り込んできた。
もし北のミサイルが飛んできたらどこに逃げばこめばいいのか、とか。
確かに日本海に何発も落とされている状況だ。
それほど非現実的だと決めつけるわけにもいかないだろうし、
政府の閣僚の一部からも不穏な発言がないこともない。
現実、なんともきな臭い世の中になったものだ。
ネットを見ると米軍の北朝鮮爆撃を期待している声すらある。
ネトウヨと呼ばれる勢力も、出て来た頃はまだ理性と論理を感じさせたものだったが、
今は単なる差別主義の塊りとなったか。
ろくな思想も知識もなく、ただ多数に寄り添って少数を攻撃しているだけに見える。
最近、どうも右だの左だののレッテル貼りがウザったく思えてならない。
不寛容社会などともいわれているが、所詮は安全地帯からの物言いだ。
人は安全地帯にいると不寛容が加速する。……新たな社会学見地が生まれたか。
そもそも日本人の民度を貶めて、何が愛国なのだと思う。
そもそも米軍が北爆したら、日本に安全地帯などなくなるはずだ。
愛国を思うなら、まずは靖国に行って英霊たちに手を合わせろといいたい。
2017.04.22(土) 19年ぶりの映画『ライフ・イズ・ビューティフル』
最近の映画だと思っていたら、もうシネセゾンで観てから19年も経つ。
そういえばベニーニがオスカー受賞の喜びを爆発させたのは懐かしい光景だ。
「いい映画だった」との印象はずっとあった。
しかし「とんでもなくいい映画」だったのだと改めて思う。
前半は、主人公のグイドが愛しのドーラをモノにしようと奮闘する喜劇仕立て。
後半は過酷なナチスのホロコーストへと急転換する。
その境目となるガーデンの場面。ここで物語は見事に時間を飛ばして見せるのだが、
それまでグイドに笑いっぱなしのドーラの表情が一瞬こわばったように見える。
この結婚が必ずしも幸福なことにはならないのではないかという疑念と、
それでも彼と生きていくのだという強い意志。まったくもって奇跡的なカットだ。
凄いのは状況が180度転換しても、映画は一定のトーンの中で進行していくこと。
そうナチ収容所を笑いの中で描くギリギリのことをベニーニはやっている。
そして積み重ねた伏線がものの見事に結実するラストの鮮やかさ。
結末を知って見るのと、そうでないのとではまったく違う映画になるのだが、
結末を知っているからこそ浮かびあがる鮮やかな“Life Is Beautiful”。
笑って泣けて重くて軽い。まさにイタリア映画の粋が全編に詰まっていた。
2017.04.23(日) 勝ちに不思議な勝ちあり ~東京ドーム
肥前・平戸藩主、松浦静山の名言で野村克也が好んで引用する言葉に、
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」がある。
今日の東京ドームがまさにそんな試合だった。
安打の数は巨人が10本に対し、我がタイガースは5本。
要所を締めて、守り勝ったのかといえば北條はぽろぽろ落とすし、
バッテリーは二度も盗塁を許す展開。
2-1と僅差のリードを保つものの、流れは完全に巨人にあり、
スタンドにいて、いつひっくり返されるのか時間の問題だと覚悟していた。。
ほぼ毎回のようにスコアニングポジションにランナーを背負い、
ビッグイニングを作られてもおかしくない状況に対し、虎は五回を最後に音なし。
僅差ながら「競り勝った」感ゼロ。間違っても投手戦でもない。それでも勝った。
こんな不思議な勝ち試合もあるものだ。
やはり一昨年より現地観戦が絶好調な私のおかげか。
2017.04.24(月) オール沖縄って何だ?
辺野古の埋め立て工事が再開する。
翁長知事は「許し難い暴挙だ。全力で阻止する」と息巻き、
ニュース映像では機動隊と揉み合う反対派住民たちが映される。
もう何年も繰り返されている沖縄の光景だ。
嘘か真か知らないが、運動を煽るのが左翼活動家や反日韓国人だとの話もある。
少なくとも沖縄タイムスと琉球新報が異様に偏向しているのは確かなようだ。
扇動と世論操作の中で辺野古移転賛成の県民の声はまったく報道されていない。
そうこうするうちにまた自民推薦のうるま市長が誕生した。
これで自民の三連勝ではないか。沖縄11市のうち9市の市長が翁長知事に批判的だ。
これは大きな民意だとはいえないのか。沖縄マスコミに説明してもらいたい。
正直、私は沖縄のことはよくわからない。
わからないが、まず普天間から基地をどかすのが先決だということはわかる。
そして沖縄の管轄に確実に中国が侵入を試みていることも知っている。
2017.04.25(火) ととのいました
右翼政治家とかけまして
このところの阪神打線とときます
どちらも左に苦労しているでしょう
2017.04.26(水) アフォか
一党独裁の奢りだとか、気の緩みだとかいわれているが、
おそらくそういう問題ではなく、こいつ個人が単なるアフォ(阿呆)なのだろう。
絶対に舌を滑らすとマスコミが失言を待っているところに、
「まだ東北でよかった」とやった。信じられん間抜けぶり。どうしてくれよう。
いや私がどうのこうの出来はしないのだが、色めき立つのは野党の仕事だ。
例のごとく安倍晋三の任命責任を厳しく追及するというが、
形骸化した復興相なるポストに、無能だが順送りしとけとやったツケだろう。
2017.04.27(木) 清宮人気とはいえ
東京都の春季大会の決勝が18時プレーボールで開催された。
早実の清宮幸太郎人気にあやかり(配慮?)、球場も神宮球場に格上げされた。
そんなこんなでナイタ―となった早実vs日大三の試合は2万人の観衆で埋まる。
しかし結果的には都高野連の対策はとんだ裏目に出たと思う。
試合は両校で7本塁打36安打の大乱打戦。延長十二回18-17の決着となるのだが、
試合時間4時間超。この日のどのプロの球場よりも神宮の試合は長かった。
22時を過ぎた段階で連盟はスタンドの高校生を帰宅させ、閉会式も中止したという。
これでは誰のための大会なのかわからない。
せめて17時プレーボールくらいにすべきだったのではないか。
そして、そんな環境の中でも清宮の打棒は唸った。
4点を追う九回、無死一、三塁で同点の3ラン。八回の2ランに続き2打席連発だった。
要は試合をもつれさせた張本人が清宮だったのだ。
「遅くまで応援してくださって感謝してます」とプロのお立ち台のようなコメント。
いろいろといわれているがやはり逸材であることは間違いないようで、
進学かプロか?野球ファンならその進路は気になるところだろう。
私個人の感覚だが、どうも清宮にはパ・リーグの匂いがして仕方ない。
顔だけ見れば往年の“阪神顔”ではあるのだが。
2017.04.28(金) 職場の新人歓迎会
わが職場をあげて、ひと月前に就任した室長と、正職員4名の歓迎会をやった。
去年はほぼ年間、残業と休日出勤で忙殺されて、喧騒の一年だったが、
原因のひとつは人手不足だった。人員さえ整えば業務はなんてことはない。
かつては毎日のようにやっていたおっちゃんたちの職場酒盛りがなくなったのは、
すっかり飲み会と縁遠くなった私には有難いことではあった。
今のおっちゃんたちは前職でのヒエラルキーを引き摺ってヨソヨソしいし、
30代の酒離れ世代は、宴会という職場行事に拘束されてる感がありありで、
盛り上がっているようで、場所単位で雑談だけが交わされているような飲み会。
おそらくここでしこたま酔い潰れることは永遠にないのだろうなと思う。
2017.04.29(土) 酒か・・・
酒の話を続ける。
うかつに酔えないなと思いはじめたのは、両親のこともある。
何かコトが起これば、車を出さなければならない。
今年の1月には実家からの電話で何度かスクランブル出動した。
だから自然に飲むことを控えるようになったものの、
40代半ばあたりからようやく日本酒の旨さがわかるようにもなっていた。
ところが高血圧に高血糖。医者から日本酒は控えた方がいいといわれる。
かといって焼酎だけはどうしても旨さがわからない。せいぜいサワ―。
飲み比べたことはないが、「森伊蔵」と「大五郎」の区別はつくのだろうか。
それで昨日の歓迎会ではウィスキーの水割りをちびちびとやっていたのだが、
煙草をスパスパ吸って、鶏の唐揚げやらを貪っていたのでは意味はないか。
宴会の席で注がれるビールを断り、ひとり水割りでは妙に孤高感が増す(笑)
そういえば旧友たちとの飲み会も去年からすっかりご無沙汰だ。
一応、声掛け役なのでそろそろ連絡をしたいとは思っているだが。
2017.04.30(土) ギャップ
ふたりの上司と連れだって目黒のamazonの本社に行く。
アポイントメントの有無を照会し、IDカードを受け取り、
自動改札のようなゲートにタッチし、オフィスまでガードマンに案内される。
待ち合いロビーに様々な人種が行き交いながら談笑している様は、
そこだけ切り取ると英会話教室のパンフレットの表紙のようでもある。
自由な環境にも見えるのだが、誰ひとり例外なくノートPCを手に持っている。
これだけの人数のノートPCにはそれぞれどんなデータが入っているのだろう。
もしかしたら彼らの脳内がすべてこのPCに収められているのかも知れない。
黒カバンに筆記用具持参の我々には、とても異様にしか映らないのだが、
きっと彼らとは半世紀以上のギャップがあるに違いない。
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