■2016.12

日めくり 2016年12月(平成28年)         



2016.12.01 カレンダーあと一枚

100円ショップで買った「名言集カレンダー」もあと一枚となった。
月が変わってゴミ箱に捨てられていく偉人、賢人たちの名言。
“真の勇士とは責任感か強く律儀な人間である”(加藤清正)
何とも心に響かない。ミシン目を千切った時点で忘れていく。
12月は“心を空にして無になれ。そうすれば道は必ず開ける”(宮本武蔵)。
身も蓋もない。道を開く以前に心を空にして無になれる方法が知りたい。
そんなこんなで、なにひとつ心に残る名言を得られぬまま、
今年も一気に追い込まれていく。


2016.12.02 忘年会の夜に

取引先を招いて少し早目の忘年会を始めた。
職場主催で取引先を招いての忘年会など、宴ではなく仕事だ。
「はーいリーチ出ました。他にリーチの人いますかー!?」
例によってビンゴゲームの司会をやらされる。
一時間近くだらだらと「スタート」「ストップ」を言い続けて疲れてくる。
それでも5千円の商品券を当てた。
MCが景品を当てると野次られて面倒臭いが、帰り道にガサばらないのは有難い。
春になったらこいつでメシでも行こうか。
……誰にいってる。


2016.12.03 今週末は仕事なし

で、母親の通院に付き添う。
一緒にかかりつけ医へのお歳暮も持たされる。
年寄りはなんで矢鱈滅多らと贈り物やお土産をあげたがるのか。
定期的に実家に出入りする庭師や職人にはもちろん、配達業者まで。
うちが金持ちだと勘違いされて悪いことが起こらなければいいと思うが、
それをたしなめると「世の中のお付き合いはそんなものじゃない」と言い張る。
悪いが世間との折り合いについてはこちらの方がずっと経験値がある。
母親に限っては「あげたい病」にかかっているのだと思う。
もっと正確にいえば「あげて感謝されたい病」か。
「あんなに喜んでくれて」というが、そりゃ誰だって喜ぶフリはするだろう。
それでいてお礼の言葉が物足りないとぶつくさいうので始末が悪い。
この話を人にすると「お母さんの好きにさせておやり」などといわれる。
今夜も帰り際に大量のお煎餅やジュースを持って行けとくる。
さんざん血糖値と高脂血症で節制を求められていると言い聞かせているのだが。


2016.12.04 谷中と東京国立博物館と・・・

1万歩以上歩いたか?で、ざっくりした休日の充実度が計られる。
今日は千駄木から谷中の界隈を散策。久々に御府内八十八ヶ所をめぐった。
徳川寛永寺のお膝元・谷中は御府内七ヶ所の札所を擁する主要エリアだ。
まったくの都心だが、寺町としての情緒が完全補完されており、
紅葉がすっかり色づく中をパックパッカーたちが興味深そうに散策していた。
日が傾きかけてからはお目当ての上野公園の東京国立博物館へ。
特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」を観覧。
まったく滋賀県の有名寺院はほぼ踏んだつもりでいた我が不明を恥じたい。
そもそも櫟野寺(らくやじ)を知らなかった。
櫟野寺は甲賀にある天台仏教の古刹で、平安から伝わる平安彫刻の宝庫。
像高3mの十一面観音菩薩座像をはじめ、重要文化財20体を擁するのには驚される。
ただ仏像は博物館で観るものではなく、お寺の本堂で拝むものだとの思いもある。
実際、寺院で仏像が博物館に貸し出されていてがっかりしたこともあったし、
普段は信仰される仏像が、博物館では「作品」として観覧対象にされる違和感。
東京国立博物館も唐招提寺展「国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」以来十年になるのか。
ただ普段は厨子に閉ざされ御開帳を待つしかない秘仏が、展示される機会は貴重。
お堂と違い四方からの拝観出来るのは有難いのかも知れない。
展示であっても十一面観音菩薩座像の優しい御尊顔を拝していると心が癒されてくる。
他にも小さな観音菩薩の表情の豊かさが千年の時を越え、とても面白い。
そして何より来春にも櫟野寺に行ってみようかと思った。


2016.12.05 遅ればせながら・・・『君の名は。』

ようやく観てきた。
なんでも興行収入200億を突破しそうな勢いなんだそうな。
もはや立派なムーブメントであり、社会現象だ。
館内にはトレンドは押さえなきゃ的なおじさんたちもちらほら。
かくいう私もメガヒットの話題に誘われて映画館に行った口か。
ただ、もともとラブコメも胸キュンも嫌いではないので楽しみでもあった。
結果は「・・・・・う~ん」であり、「?」でもあった(笑)
展開は大林宣彦の『転校生』と『時をかける少女』。さらに『アルマゲドン』。
そこに主人公ふたりのフィールドを対比させて都市論をも描こうとしている。
実際、これだけ盛ればそこから「漏れる」「バレる」ものが必ず出る。
後半、明らかにストーリーは破綻している。それを気にさせるのかさせないのか。
なにせ社会現象だ。物語の整合性を顧させない力はあるのだろう。
ただ未曽有の大災害を途中から無いことにして良かったとは思えない。
ドラマツゥルギーの飛躍としても釈然としなかった。
新海誠という監督は知らないし、もちろん過去作品も知らない。
たまたまコアなファンのレビューを目にしたところ、
あの終わり方は新海監督らしくなくてがっかりしたとあった。
ハッピーエンドは嫌いではないので、ラストにとやかくいいたくないが、
陸橋の昇り降りでの完結ではあまりにも軽すぎたのではなかったか。
『転校生』ではお互いの身体を知ってしまった同士が結ばれることはなかった。
だから「さよなら、俺」と自分自身の青春の日々とも訣別した。
しかし、そう終わって欲しかったと願うには、あまりにも物語が大きすぎた。
自分の願い通りでは映画が小さな世界観に封じ込められてしまうのだろうか。


2016.12.06 そういえば糸井が来るのだっけか

オフシーズンに野球の話はあまり乗らないが、
そういえばタイガースは糸井嘉男をFAで獲得したのだったか。
糸井なんて要らねぇよ、せっかく若手が育ったのに。
そんな声もちらほら聞こえてくる。
その声は人的補償の人選次第でさらに大きくなるのかもしれない。
しかし実のところ虎の若手は大して育ってはいない。
今季シーズン、一番活躍したのは福留孝介だった。
我々の多くは福留が来ると聞いたとき「あんな守銭奴は要らん」と思っていた。
それが今では「コースケ~頼むぞーっ!」だ。結局ファンなんてそんなもの。
私は単純に生で糸井のダイナミックなプレーを見たいと思っている。
35歳の年齢も懸念されるが、金本が縦じまを着た齢だ。
城島健司のようなカッコいい豊富は語らなくとも、
是非とも若手たちに規格外のパフォーマンスを披露して欲しい。


2016.12.07 驚くのは今年ではない

この時期になると「今年の10大ニュース」が耳に入ってくる。
大きなトピックに「イギリスのEU離脱」と「トランプ現象」がある。
どちらも自国偏重主義の象徴として取り沙汰されるわけだが、
今もイギリスはEU加盟のままだし、トランプもまだ大統領に就任していない。
要するに何がどうなるのかは来年の話なのだ。
ただでさえ来年はフランス、オランダ、ドイツなどで大きな選挙を控えている。
注目はフランスのル・ペン国民戦線党首だろう。
各国で台頭する極右政党の動向次第でEUの根幹が揺さぶらるらしい。
とにかくすべては来年なのだ。今年は予告編に過ぎない。


2016.12.08 今年のM-1は豊作だった

オンエアを見逃してしまった「2016M-1グランプリ」をYouTubeで見る。
去年は予選こそ面白かったが、決勝戦で失速した。
今回は予選と決勝で似たネタは禁止とのお達しがあったのか、
銀シャリ、和牛、スーパーマラドーナの決勝は見応えがあった。
というよりも今年は予選も含めてしょっぱい組がなかったように思う。
あとは好みの問題か。私は漠然とスーパーマラドーナを応援したのだが、
優勝は銀シャリ。決勝ネタはともかく、予選が素晴らしかった。
去年のジャルジャルのコント漫才に疑問を感じ、
やはり漫才の醍醐味はしゃべくりだと思ったので、銀シャリは順当だった。
銀シャリのネタ自体は去年と比べ、とくに新味があったわけではないのだが、
今回は跳ねた。ふたりの成熟度でかくも面白くなるものかと感心。
今、あらゆるジャンルで求められているのは「王道」なのかもしれない。


2016.12.09 ドジ

最近、うっかりミスが半端なくなって、笑えない領域になりつつある。
職場の残業夜食代を袋にまとめて管理しているのだが、その袋を失くす。
仕方なく自腹で一万円を拠出し、全員に弁当を配るも、領収書を貰い忘れる。
憮然としたままの残業は22時半まで及ぶのだが、
帰宅途中、スマホを忘れたことに気づき職場に戻ったのはいいが、
自動ロックの暗証番号を忘れて職場に入れない。
誰か住人が来るまで寒空で待つも、誰も来ない。扉が開かない。
手持無沙汰に隣のコンビニでおにぎり4個買ってレシートを貰う。
せめて明日の朝食くらい面倒見てもらっても罰は当たるまい。
ようやく住民が玄関に入るのに便乗したのが23時半。
アパートに帰ったのが深夜1時過ぎ。
小腹すいたのでおにぎり一個だけ食おうと思ったらカバンに入っていない。
職場のデスクに置き忘れてしまったのだ。
さらに何にも考えずにそのレシートにガムをくるんで捨ててしまった。
何だか生きているのが嫌になった夜だった。


2016.12.10 圧倒!感服!『この世界の片隅に』

エンドロールが出て、ほぼ日付が変わろうかという時刻。
レイトにもかかわらずほぼ満杯の客席のどこからか溜息が洩れる。
シネコンが静かなのはいつものことだが、明らかに静寂が深い。
去年の『マッド・マックス 怒りのデスロード』のときも似た感覚があった。
映画の趣向はまったく違うが「とてつもないものを観た」という空気だ。
日常生活を破壊するのが戦争だ。
しかし戦争中にも人々の営みがある。
そうなのだ、空襲されてもそこに人が住んでいる限り生活はある。
日々の糧に追われることが人間の宿命だとすれば、戦争など背景に過ぎない。
知らない土地に嫁に来たすずさん。
すずさんが人間関係に戸惑いながら家族に溶け込んでいく過程が愛おしい。
防空壕の中でも、憲兵隊に嫌疑をかけられてさえそこには笑いがある。
習作と哲の間で一瞬、女が揺らぐ場面の切なさも含めて、
我々はどんどんすずさんが好きになっていく。
あゝ、すずさんに生命を吹き込んだのんちゃん、圧巻だった。
押しつけてこない感情が何故、かくも感動的なのか。
派手な演出を排した戦闘が、何故かくも空前絶後のリアリティなのか。
この不可思議さは一回観ただけではとても消化できそうもない。
私流にいわせれば、日本映画は広島の呉を舞台に再び名作を生み出したとなる。
片渕須直監督。間違いなく畢生の傑作だ。


2016.12.11 NHK-BSプレミアム『漱石悶々』

『漱石悶々』とはこれまた・・・
はたと思い当った。そうか「門」に「こころ」で「悶」になるのかと。
考えすぎか?いやそうでもあるまい。
脚本は藤本有紀。ならば考えそうなことだ。
BSドラマ『漱石悶々~夏目漱石最後の恋・京都祇園の二十九日間』。
まだ『この世界の片隅に』の余韻にぼぉ~としていた日曜日。
まったく別モノの好編に触れ、いつもの休日にシフトチェンジ出来た。
祇園の芸妓に一目惚れした夏目漱石。
「粋」の対語が「野暮」ならば、
晩節に恋に落ちた文豪が「粋」に振る舞ってばかりもいられず、
みるみる「野暮」にこぼれ落ちていく可笑しさ。
祇園の女に悶々となる話だから、艶っぽさも満載だがまずは可笑しい。
その可笑しさが人間漱石を何とも魅力的に仕上げていく。
男の野暮をこれだけ可笑しく、魅力的に描く藤本ワールドのなんと粋なことか。
いい女には「粋な人」と呼ばれるより「野暮なお人」と呼ばれたい。
男は馬鹿だが、漱石も同類だと思うと何やら心強いではないか。


2016.12.12 予防接種

どうも掛りつけのクリニックの医療費が割高のような気がする。
毎月、降血薬と喘息吸入薬の処方箋を貰うために通っているのだが、
「煙草を止めましょうね」と毎度同じことをいわれて1900円取られている。
ついでにインフルエンザの予防接種を受けてきたのだが、5000円した。
これは周囲からも「高い!」といわれた。話を聞くと1割5分増しか。
きっとワクチンにビタミンでも入っていたのだろう。
職場の後輩がインフルエンザで一週間休んだが、
5000円で抗体を作るなら、代休消化しながら寝込んで抗体作った方がマシではないか。


2016.12.13 実家がひでぇことになっている

掃除機の紙パックを交換するためだけに、残業帰りに実家から呼び出された(泣)
玄関開けた途端、思わず「おわっ」と声をあげてしまう。
廊下からいきなりネズミが走って来て下駄箱に潜り込んだ。
一瞬の出来事だったが、しっかり見てしまった。
母親から常日頃ネズミが出て困っていると愚痴を聞かされていて、
それは右から左へ聞かなかったことにしていたのだが、
ただでさえ両親ならぬ老親ふたり住まいで煤け放題の我が家。
そこにネズミが駆け回るとなるともう末期感が半端じゃない。
家の隅々に駆除の毒エサが小皿に盛られているのを苦々しく見ていたが、
しかしネズ公はそれには手をつけず、台所を荒らし回っているそうだ。
とても老親の手に負える相手ではない。なにより不衛生このうえない。
アパートに帰ってからネットでネズミ駆除業者を検索してみた。
相場はまちまちだが、建て坪から凡そ15万~20万程度の費用がかかりそうだ。
そのことを母に伝えると「もったいない」などという。
確かにもったいないが、毎年、つまらん贈り物にそれくらい使っておろうが。
ましてこれから新潟から鮭やら餅やらが届く。
「しょうがねぇな」と通帳残高とにらめっこする頃にはド深夜になっていた。


2016.12.14 疼く

やまいだれに冬がこもって「疼く」。
なんで冬なんでしょう。
「古傷が疼く」となると、突飛に過去に残した思いに触れるみたいなニュアンス。
「心が疼く」となると、たまらず感情が動くみたいなニュアンス。
なぜ冬なのかはともかく、「疼く」とは情動が何かの拍子に呼び起されるイメージか。
ところが「奥歯が疼く」となるとどうだろう。
そこには精神のエモーショナルな感情も感動もクソもない。
単に奥歯が痛いという以外の意味など存在しない。
あぁクソっタレ、奥歯が痛い。歯周病かも、何とかしてくれ!
でも歯医者には行きたくない。マウスピースをサボっている引け目もある。
しかし寒空に師走の冷たい空気が口に入ると一層歯が疼く。
なるほど、だから冬なのか。


2016.12.15 人的補償に金田和之

もったいないようなそうでもないような。
オリックスは糸井の人的補償に金田を指名した。
新聞には「阪神首脳陣は投手陣の再編成を強いられる形となった」とある。
って、再編成を強いられるくらいならプロテクトするだろう。
金田の評価は微妙ではある。一昨年の活躍の何分の一も今季は果たせなかった。
正直、岩田じゃなくて良かったと思う。
どうも岩田もプロテクトから外されていたという話だ。
金田にはこの悔しさをバネに阪神首脳陣を見返して欲しいし、
岩田にもプロテクトされなかった屈辱を来季のマウンドで晴らしてもらいたい。


2016.12.16 島返さぬのなら来るな、呼ぶな

外交の安倍晋三?
確かに伊勢志摩サミットでバラク・オバマを広島に導いたことは評価したい。
ところがドナルド・トランプにフライング気味に会いに行き、
早速、「信頼出来る指導者と確信」とコメントしたのにはガクっときた。
早速なのか拙速なのかはわからないが、なんとも軽い。
米軍駐留負担増に日本車重税をぶちあげた男に、そんな印象を抱いたのだろうか。
おべっかだとしたら世界に恥を晒す朝貢外交もいいところだ。
案の定、トランプは直後にPPT離脱を宣言。
元々、公約なのだからトランプに裏表はなく、その意味では信頼に足るといえるのか。
さてこの度、自らの故郷にプーチンを招いての日ロ首脳会談。
せっかくの演出も2時間半待たされ、とんだ佐々木小次郎にされてしまった。
そういえば巌流島も山口県だったか。
「平和条約への道はそう簡単ではない」はその通りだろう。
なにせ相手は原爆投下後に参戦し、戦後も多くの日本人をシベリアに抑留させ、
冷戦時代にはずっと仮想敵国にしてきた国だ。
北方四島のうち二島はひょっとして?と期待させた分、失望感はでかかった。
「ウラジミールと私にとって~」友人のように振る舞う姿が見苦しくもあり、
結局、経済協力で何千億円も約束させられ、上段から艪で脳天を叩き割られたか。
そもそも国際会議で「強引な現状変更は許されない」と何度も中国を批判しながら、
クリミアを併合したロシアと経済協力では、周近平も鼻で笑うしかないだろう。
相次ぐ勇み足が重なって、真珠湾に沈没しなければよいのだが。


2016.12.17 蔵前、鳥越、羽子板市の浅草寺

休日に職場に行くのはまったく馬鹿馬鹿しいことだが、
都心を拠点にすると、ふと思い立った場所に行けるのは便利だ。
仕事を早々に切り上げ、丸ノ内線を本郷三丁目で乗り換え大江戸線で蔵前へ。
上野から浅草にかけてはよく行くものの、しばらく蔵前界隈には足を向けていなかった。
蔵前神社には大相撲の錦絵が名残のように飾ってある。
もしかするとここに来るのは国技館が隅田川の対岸に移って以来かもしれない。
となると最後に来てから30年は経っていたか。
まったくこの齢になると30年ぶり、40年ぶりなんてことがざらにある。
鳥越神社に寄って、合羽橋の店頭を眺めながら、
羽子板市できらびやかな浅草寺まで歩いてみる。
定番の役者絵からこち亀の両さんまでズラリと並ぶ羽子板は壮観。
酉の市の熊手といい、こういう縁起物に大枚をはたくことは一生なさそうだが、
絵に描いたような江戸の師走の風物詩を眺めてみるのも悪くない。
もうずっと旅に出ておらず、心身ともに煮詰まりつつある中、
蔵前から浅草まで、師走の忙しい風を感じさせた小さな旅だった。


2016.12.18 母親とホームセンターで

ネズミ駆除のあれやこれやを物色。
結局、業者に依頼する前に試すだけのことは試しておこうかとなった。
昔ながらの金網のネズミ獲り器を買うか買わないか迷ったが、
もし、かかったとして生きたまま暴れているネズミをどう処分する?却下だ。
ネズミが嫌がる超音波や匂いが出るものも止めておく。
外からの新参を防ぐより、先ずは住みついている奴らを退治するべきだ。
今までの成果からすると粘着系がいいだろうとなって、
「ネズミホイホイ」と「チュートルマン」を購入。
実際、こんなもので何とかなるとはとても思えないが。
それにしてもYahoo!よ(いやYahoo!が悪いのかわからんが)
何度かネズミ駆除の業者やグッズをネットで調べただけで、
いたるところから害虫駆除の広告で追いかけ回すのは止めてくれないか。


2016.12.19 CANDIES HISTORY 1973~1979

先日、実家の洋服ダンスの隅からLPサイズの箱が出てきた。
可愛らしい三人娘の写真。
中を開けると厚めのフォトアルバムに折り畳んだB全ポスター。
キャンディーズの6枚組のCD-BOX。たっぷり125曲だ。
ひとり、思わず「ほぉ~」と声が出てしまった。
さてこのBOX、一体いつ買ったのだろう。
調べてみたら1998年発売。デビュー25周年、解散20周年記念BOXとある。
そうか更に20年近く、部屋の日の当たらぬところで眠らせていたか。
それにしても彼女たちの活動期間はたったの5年間。これには驚く。
ともかく永久保存のコレクションだろうが何だろうが、CDは聴いてナンボだ。
早速、itunesに取り込みiPhneと同期させ、Bluetoothスピーカーに飛ばしてみた。
いやはやキャンディーズは良い。もちろん良いのは先刻承知だが、
ここまで良かったか?と思うほど歌が上手いし、ハーモニーも美しい。
3人ともソロを張れる実力者なのだから当然ではあるのだが、
懐かしさが蘇るというよりも、歌唱の美しさに惚れ惚れさせられている。
我々世代はキャンディーズが好きなのは当り前。誰が好きか?で喧嘩になる。
ただあの頃はキャンディーズの歌声をじっくり聴いていなかったようにも思う。
帰宅電車のイヤホンで、カーステレオで、突然のリバイバル・マイブームだが、
ふと脳裏をかすめるのが、我々はすでにスーちゃんを喪失しているのだという現実。
“♪シーエーエヌディーアイイーエス!スーパースーパースーパーキャンディ~ズ!!”
40年・・・・。殆んど怒声のあの掛け声も、今や長い幾年月の彼方か。


2016.12.20 こうの史子・原作『この世界の片隅に』

映画は凄かった。しかし先ずは原作が凄いのだとも聞こえていた。
こうの史子のコミック『この世界の片隅に』(双葉社上中下巻)。
すでに2度通しで読み、その後も断片的なつまみ読みを繰り返している。
はははは、確かに凄かった。最初に本を閉じたときに思わず笑ってしまった。
すでに映画のファンになっていたが、今は完全に原作のファンにもなった。
この原作があればこそあの映画あり、この原作をまとめた映画の凄さも再認識できる。
もっとも原作も映画も“凄い”という形容とまったくそぐわないところに存在している。
だからページをめくりながら「凄げーな」と呟く傍から自らを否定するという、
切羽詰まった不思議な感覚を同時に味わうことになる。
原作も映画も、世界の片隅で生きている北條すずのドジを微笑ましく見守る。
上から見守るのではなく、すずさんの背中に歴史の悲惨さを炙り出す。
すず、習作、娼婦リンさんとの濃密な関係を映画はばっさり切った。
だからこのエピソードは原作を読んだ者だけの特典みたいなものかもしれない。
原作のボリュームを126分に刈りこんだ片渕監督の苦労も相当なものだった筈だ。
まだまだ語り足りないこと満載であるが、ひとつだけいえること。
原作と映画、漫画とアニメ。ここまで拮抗し、融和した例が他にあるだろうか。


2016.12.21 そして歯医者へ

我慢しても一向におさまる気配なしの上右から3本目の奥歯。
さすがに職場階下の歯医者に行く。
レントゲンを撮って初めて知ったのだが、すでに銀のかぶせのある歯だった。
そういえば神経を抜いたとき、今は痛みは治まってもいずれ弱りますよといわれていた。
いい加減な歯磨きと煙草とサボり続けたマウスピース。
もう歯がダメになる方向へ一直線に突き進んでいたようだ。
こうなることはわかっていたのだが、俺って奴は・・・・
と、おそらく今だけの反省と後悔を頭で反芻しながら、
キュィーン、シュワュワ、キュィーンと機械音を聞いていた。


2016.12.22 痒い

我ながら「疼く」だの「痛い」だの「痒い」だの。ガキじゃあるまいし。
冬になって空気が乾燥してくると、猛烈に太ももからスネが痒くなる。
とくに湯舟に浸かっている時と、風呂上がりの時の痒さたるや・・・。
あまりにも掻きむしりすぎて、ももはミミズ腫れ、スネは血だらけになる。
掻いてはダメだと知りつつ、掻いたときの束の間の快感を脳が記憶している。
だから掻いてしまうのは仕方ないのか。
って、それは麻薬中毒者の理論だ。
しかし麻薬やニコチン、アルコールの中毒者よりタチが悪いのは、
普段は我慢しても寝ている時に掻いてしまうこと。
私は多分ニコチン中毒だが、さすがにタバコ吸いたさで目が覚めることはない。


2016.12.23 シネコンはしごで映画『ローグ・ワン』

県央の海老名市はそれほど大きな町ではないが、やたらとインフラが投資される。
ふたつの大規模ショッピングモールにふたつのシネコン。
おかげで駅前に17スクリーン。まるで往時の浅草六区の様相を呈している。
その17スクリーンのうち、『ローグ・ワン』は一体何館で上映されているのだろう。
THX版、3D版、MX4D版、字幕版、吹替版とかなりの占拠率ではある。
要はハシゴをして観るには実に時間の調整がしやすいということ。
夕方から間を置かず『ローグ・ワン』と2回目の『この世界の片隅に』を観てきた。
先ずは『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』から。
最初の第一作の公開が高校3年生の時だから、もう40年も前になる。
あの年は『未知との遭遇』があり『2001年宇宙の旅』のリバイバルもあった。
そしてすべて今はなきテアトル東京のシネラマの大スクリーンでの観賞だった。
思えばあの年でニューシネマは終焉し、ハリウッドが様変わりしたのだったか。
その『スター・ウォーズ』も今では『エピソード4/新たなる希望』と改題され、
(私は高校時代の思い出を改題されたことにかなり憤慨している)
40年かけて7作が作られ、さらにスピンオフまで作られたわけだ。
当時は「理力」と字幕で訳されていたのが、今や普通に「フォース」で通じている。
と思いきや、この『ローグ・ワン』はスピンオフではないらしい。
私はてっきりスピンオフだと思って【三行の映画評】にもそう書いたのだが、
ディズニーによるとシリーズにスピンオフは存在せず、この作品も「正史」らしいのだ。
ならば巷間でいわれている「エピソード3.5」とするならばどうしたものだろう。
ファンではないので、スカイウォーカー家のサーガなどどうでもいいと思っているが、
まず前半が非常にかったるい。同じ描写の繰り返しもあり正直、睡魔が襲ってくる。
後半になってやや盛り上がりを見せるのだが、どこかで観た場面の踏襲でしかない。
「新たなる希望の以前に無名の持たざる者たちの犠牲があった」との評価もわかるし、
そのことを抜きにして『ローグ・ワン』が成り立たないこともわかるのだが、
しつこくいう、そんなこと私には知ったことではないのだ。
そもそも「エピソード4」の作風は、もっと脳天気な冒険活劇ではなかったのか。
それが『ローグ・ワン』ではまるでニューシネマのレギュレーションで展開される。
彼らがシリアスに戦えば戦うほど『さらば宇宙戦艦ヤマト』になっていく。
次のルークとレイア姫、ソロたちの痛快娯楽活劇との乖離が激しくなる一方だ。
このパラドックスは早々に埋まるものではない。
だから例え凡百なレジスタンス映画に堕ちてしまうとしても、
これはあくまでもスピンオフとして留めるべきだったと思っている。
ドニ―・イエンの殺陣がキレすぎて、ジェダイよりも強く見えるのが玉に瑕だが、
ようやく東洋人キャラが出てきたことは唯一の救いだったのではないか。
しかしこの調子でやってたら、私が生きている間にシリーズは完結するのだろうか。


2016.12.24 シネコンはしごで映画『この世界の片隅に』

ぶっちゃけた話、『ローグ・ワン』を観ている最中から再会が待ち遠しかった。
この分だと私の生涯のベストテンに初めて21世紀の映画が入るかも知れない。
初見の時はただただ衝撃的だった。それで原作を読んで作品世界の理解も進んだ。
映画を観て原作の凄さを知り、原作を読んで映画の凄さを知る。
しかし初見の時とはこの映画のポジションも違ってきたのではないか。
明らかにこの映画を取り巻く環境が一変している。
おそらく初見の時とは上映館数も違うし、興行収入もグンと伸びたに違いない。
その意味で『この世界の片隅に』は今一番の旬の映画だともいえる。
そこに2回目に臨むに際しての不安が無きにしも非ずだった。
(まったくの杞憂に終わるのだけど)
何よりもすずがさんが広島の街で、呉の山里で生きていた。息づいていた。
重い荷物を石段に押し付けて背負う動作から、もんぺの裁断に思案する姿。
作り手たちからすずさんへの愛が伝わってくる。それがまた愛おしい。
焦土と化した広島や呉の街並みを、すずさんが生きていた証しとして精緻に再現する。
そう、すずさんが何を見てきたことを忠実に描くことが何よりも大事なことなのだ。
この映画には都市論の側面もある。
しかし作り手たちは、人を抜きして都市論は語れないこをよくわかっている。
片渕監督はロングの中抜きを使わない手法に挑戦したのだという。
これは前代未聞なことで、岡田斗司夫よれば「アニメの革命」なのだそうな。
技術的なことはわからないが、すずさんが生きていた実感が都市論とシンクロする。
同調圧力のように「すずさんたち市井の人たちを淡々と描いている」といわれるが、
実は映画は凄まじいほどのハイテンポで進行していく。
画面こそ淡々として丁寧だが、かなり大胆な省略も用いているのだ。
例えば、原作では詳しく描かれていたすずさんが妊娠したのか?というエピソードで、
山盛りのご飯が出て、次のカットで上澄みだけの白湯のような椀が出る。
これで残念ながらすずさんがおめでたではなかったことがわかる。
何故、習作は婚礼の席でじっと下を向いてこぶしを握っていただけなのか。
どうして哲にすずさんを差し出すような真似をしたのか。それが今はわかる。
「過ぎたこと、選ばんかった道、みな覚めて終わった夢と変わりはせんな」
この習作の台詞をもっと噛みしめておくべきだった。
もちろんすずさんや習作だけではなく、義姉・径子も奥をめくれば愛おしくなってくる。
まさに掘れば掘るだけ気づきを得られること無限の如しだ。
そして右手を失ったすずさん。轟音とともに打ち込まれる空爆の暴力性。
文字通り画面が爆ぜる容赦ない視覚効果。映画は実験に満ちている。
そして終戦。お義母さんがこの日のためにと隠していた白米を振る舞う。
屋根から湧き上がる煙が里のあちこちから。これは原作にはなかった描写だ。
ただ先ほど同調圧力という言葉を使ったが、
『この世界の片隅に』がいい映画なのだという同調圧力が日増しに強くなっている。
もしかするとこの辺境のページも同調圧力に加担しているのかもしれない。
自分は素晴らしいと思ったが、人によってはそれ程でもないかもしれない。
本来、映画レヴューに正解などない筈なので、それは当然のことなのだ。
同調圧力。それを今は危惧している。


2016.12.25 Merry Merry Hataraitemas

この慢性的な仕事溜まり状態から脱するには、連休は千載一遇のチャンスだった。
ある意味、天皇陛下とサンタからの贈り物だと思い、休日返上となった。
そうはいっても今年最後の3連休。さすがに職員も疲れを隠せないということで、
イブは完全休みにして、23日出勤組と25日出勤組とに分けた。
職員の顔ぶれを見ると別にイブもへったくれもなさそうだが、
こういう時に強引に先頭に出られないのが、ひとり身の引け目という奴かもしれない。
しかしイルミネーションこそ繁華街や遊園地では盛んだが、
ひと頃の狂騒といってもいいほどのクリスマス騒ぎは落ち着いたように思う。
とにかく「シンデレラエクスプレス」の頃のバブリーなクリスマスはなくなった。
20代の頃はティファニーの質屋買い取り相場が下がるという実に阿呆なイブだった。
そういえば新宿駅の観光バス乗り場がスキー客で賑わう光景も見ないし、
何よりも喫茶店でひとりスマホとにらめっこしていても目立たなくなった。
ある意味、こういうことが高齢化ニッポンの象徴なのかも知れないが。


2016.12.26 ♪年末ジャンボ~10億円

先週末で締め切った年末ジャンボ宝くじ。
一等前後賞合わせて10億円ということだが、10億も要らん。
一等2億にして当選を5倍にしてほしい。
今年の年末ジャンボも“夢を買うつもり”で3セットを買った。
そもそも宝くじが当るなどとは爪の先にも思っていない。
9000円も払うとなると、靴でも買った方がいいのではないかとの葛藤がある。
葛藤もなにも実際、靴を買う方が実がとれるだろう。
それでいてバラではなくセットで買う。前後賞を損したくないからだ(呆)
「買わなければ当らない」「どこかの誰かしらは当っている」
これを宝くじ購入を動機づける二大文句と勝手に名付けているが、
この文句にめっきり弱いのも私なのだ。
そして絶対に当選番号を確認しないで窓口で調べてもらう。
機械で当選金が表示されるのを見て、金額がアップされていくのが好きなのだ。
大概は900円までなのだが・・・。
何度もいうが、当るなどとは爪の先にも思っていない。
だから大安に売場に行列が出来るのを見て鼻で笑っている。
それでいて売場が3軒並んでいるとどこにするかで迷う。
そういえば以前、真ん中の売場で買って、後日、当選を確認しにいったら、
両側の売場だけ【当売場から高額当選】の看板がデカデカと飾ってあり、
当選を調べてもらう以前に戦意喪失した苦い思いがある。
もう一度いう。当るなどとは爪の先にも思っていないのだ。


2016.12.27 Photoshop CC

ビデオ屋時代に店のディスプレイのために覚えたAdobe-Photoshop。
Macintosh-Performaの心許ないメモリーを騙し騙し使っていたものだった。
確か700Mくらいのスペックでイライラしながら使っていたのではなかったか。
フォトショの画像が変換するまでタバコ1本吸える。
あの頃の忍耐強さは今、どこに行ってしまったのだろう。
それでもまともに買ったら7万もする高額ソフトウェアゆえに、
どこからか拝借したものを、今の今までシレっと使っていた。
あの頃はライセンスのセキュリティもまだまだ甘かったのだ。
さのフォトショは今でもこのHPには欠かせないツールなのだが、
さすがに無断使用も限界かとなって、廉価版のElementsの購入を考えてみた。
そこでamazonで検索し、Adobeがソフトウェアをレンタルしていることがわかった。
確かに周囲にフォトショやイラレをちゃんと買った奴など見たこともなく、
違法コピーにAdobeも業を煮やしたのだろう。レンタルとは考えたものだ。
その考えに乗ることにした。著作権侵害も20年以上続けてそろそろ卒業する頃。
月額980円の消費税。まぁ負担感もそれほどではない。
ところがダウンロードしてソフトウェアを開いてみたら驚いた。
なんというか・・・まったくの別ものではないか。フォームがまったく違う。
慣れ親しんだ仕様のまま直感だけを頼りに・・・とはいかないようだ。
差し当って年賀状を作らなければならない。
あー、やれやれこりゃ参った。


2016.12.28 やれやれ仕事納め

午前中まで通常業務やって、午後から大掃除。
17時から寿司とオードブルで納会となった。
職場で飲む酒で美味いと思ったことは一度もなく、
夜、運転があるからと酒は断り、コーラとジンジャエールでひたすら食った。
ところが間が悪いことに腹を下してしまい、どうにも揚げ物が受け付けない。
何とも締まらない納めになったが、ようやっと今年も終了。
来年はこの職場も不透明感がハンパではないものの、
ここは四の五のいわず、先ずは終了だわさ。


2016.12.29 多分、最短の正月休み

日記めいたことを何年かやっていると、
自分の過去ログを簡単に辿ることが出来る。
ちょっと思うことがあり辿ってみた。
やはりというか案の定、今回の正月休みは最短ではないか。
おそらく「あっ」という間に終わるのではなく、
「え?」という間に終わる。


2016.12.30 月間フリーパス、もらったものの

TOHOシネマズのマイルが6000ポイント貯まり、1ヶ月間のフリーパスを入手。
これで全国のTOHOシネマズ系のシネコン上映作品はいつでも見放題。
さぁ映画観まくるぞ~!と息巻きたいのだが、観たい映画がない。
相変わらず一番観たいのは『この世界の片隅に』だけ。
あれははもう私の中ではタダで観る映画ではない。
残る未見作はファンタジーものと、よく知らないアニメが数本、ラブコメに百田直樹。
全作未見のシリーズは観たくはないし、『ローグ・ワン』を見直すのもつまらんし。
フリーパスを入手したのは3回目だが、毎度、観たい映画欠乏症となる。
いやタダなのだからどんなものでも片っ端に観てもいいのだが、
実家の老親を放置して映画三昧というわけにもいかず、時間はあるようでない。
とりあえずチケットと交換したのが『ドント・ブリーズ』という映画。
『ドント・プリーズ』と勘違いしてコメディかなと思いきや、“Don't Breathe”。
今の映画に対する私のアンテナは短小極細もいいところなのだ。
かくして晦日のレイトショー。おっさんひとりでホラー映画を観ることとなった。
ところがこれがとんだ拾いもの。いやはやドキドキワクワク楽しかった。
88分間、もうお腹一杯になるまで“恐怖”のフルコース。
やはり娯楽映画はこれくらいサービス精神がないと。
そんなこんなで今年観た映画は38本。
マイベストワンは疑うことなく『この世界の片隅に』なのだけど、
38本ではベストワンを口にするのも恥ずかしい。


2016.12.31 家族で紅白

ここ数年、とりあえず実家で年越はしている。
そばも3人で啜る。紅白も見る。
昔は家族で紅白を見るのが何ともかったるかった。
あのわかりやすい予定調和にイライラしていたのだろう。
今の紅白はかったるさを越えてわかりにくくなってしまった。
こちらの方がかったるくなってしまったのか。
でも歌はそれなりに聴かせていたのではないか。
我々の世代は欅坂46から石川さゆりまでとりあえずカバー出来る。
意外とダレ場はなかったと感じた。
ただ途中からすっかり画面から目を逸らしている親たちを見ると、
紅白くらいはオーソドックスな予定調和でいいのかも知れない。
そんなこんなで2016年が終わりを告げる。

                           

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