■2018.01
日めくり 2018年01月(平成30年) ◄►
2018.01.01(月) お正月気分のない正月
「お正月気分のない正月」といっても、
別に「正月なんていってられねぇ」という事態が起きたわけではない。
喚き散らす親父を浴槽から引っ張り出し、タオルで素巻きにして運んだ去年の方が、
よっぽど正月気分が吹っ飛ぶ修羅場だった。
昨日の大晦日は実家で母親とそばを啜りながら「紅白」を観て、
アパートに戻り、年賀状の返事をポストに投げ込み、
近所のシネコンで『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を観て、
実家に寄り、親父と会い、塩引きの鮭で晩飯を食べて過ごした。
そうだ良いこともあった。
紛失していた親父の貯金通帳が見つかった。
母とふたりで失くした原因を互いになすり合っていたが、
結局、母が記帳済みの古い通帳と一緒にしまいこんでいた。
再発行を覚悟して、親父を銀行に連れ出す算段に頭を悩ましていたので有難いこと。
こう思うと、さしていつもの正月と変わらない平和な一日だったのかもしれない。
「お正月気分のない」のはおそらくテレビをつけなかったからだろう。
私にとっての正月気分とは樹木希林のフジカラーのCMなのだ。
いつもの正月と決定的に違うのは、家族三人が別々の場所で新年を迎えたことか。
2018.01.02(火) ダラ正月をやってしまった
ここ何年か、正月には七福神を巡るなど、
わりとアクティブに過ごしていたのだが、
・・・・今日もそのつもりがなかったわけではないのだが、
ちょっと咳をしただけて、飛び上がるほどの肋骨の痛みが引かないとなると、
どうしても気分が前に進まない。
近所のシネコンのラインアップを見ても、どうもパッとしたものがなく、
夜に風呂屋に行ったぐらいで、なにもしないまま部屋で過ごしてしまった。
せっかくの新年なので、今年の抱負でも書きたいところだが、
家族と仕事が平穏ならば、それ以上望むものもなく、
努力なしで健康であればいいのにと、馬鹿なことしか思い浮かばない。
そもそも1月2日というのは、朝刊も休み、郵便も来ないで、実に中途半端すぎる。
2018.01.03(水) パンツ、パツンパツン
朝から電話で新年のあいさつを交わし、少しはモヤモヤ気分も晴れたところで、
午前十時に映画に行き、実家に寄る前にショッピングモールをぶらついた。
チノパンでも買おうかとユニクロを覗いてみる。
私は体型も体型なので、ツータックの入ったゆったりしたチノパンを探すのだが、
今はノータックでスリムなパツンパツンのタイプが流行っているらしく、
どうやら私好みのというか、オヤジ好みのツータック入りのチノパンは絶滅品種らしい。
以前、ユニクロには、好みのチノパンはズラリと並んでいたはずだが、、、、
ユニクロでさえそうなのだから、GAPやH&Mともなればなおさらだ。
パツンパツンのパンツが、全盛となっていることを知らしめられつつ、
スリムとは縁遠い男がノータックのスリムパンツなど履けるか!と暴れたくなった。
暴れはせんですけどね。
2018.01.04(木) 仕事始めにやらかす
うちの職場も御用納め・始めに年末年始休を合わせるようになった。
なにが迷惑って、休みの短さもあるがド平日が一日しかなかったこと。
おかげで役所に行けずじまいで、銀行にも行けなかった。
唯一有難かったのが、行き帰りの電車がガラガラだったこと。
しかしまだ多くの会社が休みだと思うと、それもまた腹立たしや。
そんなこんなで、アパートに帰って鍵を出すためポケットをまさぐる。
あれ、おかしいな普段はポケットにキーケースが入っているのだが。。。。
首を傾げつつバッグの中を探してみるが見つからない。
がっ、どこかで落としたか(!)
玄関横の小窓を開け、鎖でぶら下げているスペアキーで部屋に入る(不用心なり)。
さて困った。仕事始め早々にやらかしてしまったらしい。
普段、ズボンのポケットにキーケースを入れて持ち歩いているのだが、
確かにポケットに浅く入っていると、座った拍子に落ちてしまうことはある。
ああクソ、普段は座れない電車の中で落としたか。
2018.01.05(金) 遺失物届出
失くしたキーケースは五連。アパート、実家が2種、職場、車の鍵がついている。
朝、東急田園都市線、東京メトロ副都心線にキーケースの拾得がないか尋ねる。
困ったことに各線とも他社線に乗り入れているので、
何処で拾われるかわからず、東急、メトロ以外に東武と西武にも連絡しなければならず、
警察に届ける場合にも、警視庁、神奈川県警、埼玉県警に届けなければならない。
さすがに埼玉まで行く気にはなれなかったが、警視庁と神奈川県警には届けた。
「物を落とす、忘れる」は常習犯なれど、まず翌日には見つかってきた。
それが今回はどうも旗色がよろしくない。
しかし現金やクレジットカードならともかく、鍵など拾って持ち帰る奴などいるのか。
キーケースは土屋鞄製でそこそこの品物だが、もうヨレヨレになっている。
・・・・どうもまだ誰にも見つけられていないような気がする。
今、一番問題なのは車のキーだ。
週末は母を乗せて親父のところに行かなければならない。
何ともパッとしない新年のスタートになってしまった。
2018.01.06(土) 闘将・星野仙一が逝ってしまった・・・
とうの昔に忘れていた駄文がハードディスクに残っていた。
私が、阪神タイガース公式サイトに投稿した拙文だ。
下書きなど残していなかったのだが、
その後、ネット仲間が再録してくれていたのを保存していた。
あの2003年の歓喜。今こうして星野仙一を思い起こすよりも、
拙文をそのまま引用した方が当時の気分が甦るということか。
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私的「星野仙一」考 (2003年9月20日)
駅売店の雑誌売り場に乱舞している黄色が強調された表紙の数々。
生まれてこのかた、あそこまで見事な胴上げスナップを見たことがない。
もちろん、今回の場合はカメラがベストポジションで待機していたこともあるだろうが、
あの星野仙一の破顔の表情には、ちょっと凄いものを感じてしまった。
仕事で疲れ切り、あの日は繁華街の喧騒に身を投げ出す気力もなく、
独りしみじみと焼酎をお湯で割りながら、
MXテレビを経由する砂嵐だらけのサンテレビのダラダラとした中継を眺めていて、
18年前はあんなにハッチャケまくったのに、
今回のXデーの過ごし方は自分でも少し意外な気がした。
正直に言う。一昨年、阪神球団が星野仙一に監督を要請したとき、
「なんか嫌だな」と思った。というよりも勝手に思考停止に陥った。
実は今でも「星野仙一阪神タイガース監督」という響きには違和感を持っている。
星野監督の縦縞姿は、誰が何と言おうと自分の中では見映えが悪い。
村山実さんのタイガース以外のユニフォーム姿を誰が想像できるというものか。
星野仙一にも同様の思いがあったからだ。
別サイトでも同様の発言をしたのだが、阪神にとってこの違和感は絶対必要だった。
だから星野仙一の役割は、常に異種であり続けること、
つまり異形の縦縞姿を披露するキャラクターを予め設定されていたということ。
そう、役割とすればノムさんや、古葉の大洋、森の横浜と同じだった。
62年が小山の優勝、64年が村山の優勝、85年がバックスクリーン3人衆の優勝だと定義すると、
今年は「みんなが星野仙一という人間を見つめ続けた優勝」と定義出来ないだろうか。
星野仙一は選手たちもマスコミもファンも見事に手のひらに乗せてしまった。
ある意味ではフロントもそうかな。
監督が語る檜山で我々は檜山の現在を知り、監督の考えの中で金本の存在感を知る。
それにしても、なんとその手のひらの上の居心地の良かったことか・・・。
「僕には明日のことなんて、考える余裕はないです。今は・・・」
これは14日のナゴヤ惨敗での監督談話。
「僕」って?「今は・・・」って?何か、らしくない監督談話だなと思った。
我々には後から知らされる母親の逝去。胸がしめつけられそうだ。
「でも何だかんだいっても他が負けてマジック減るんは嬉しいやろ?」
と山本浩二にからかわれて苦笑いで頷いた星野仙一。
「6月頃から、これで優勝せんかったらエライことだぞと、そればかり思っていました。」
このコメントは十分に我々の身の丈と同じ感覚。
盟友である島野ヘッド、田淵チーフにこの恐怖感を打ち明けていたのだろうか?
どうしても自分には、それをひとりで背負っていたのだとしか思えない。
そんなことをふと思って眠れなかった夜もあったのか。
血圧が異常に上昇すること、途中でベンチから消えてしまった試合のこと、
やっぱり胸がしめつけられる。
胴上げ写真の星野仙一とは思えない顔がそう読めてしまう。
球団は星野仙一監督要請で爆弾を投げた。
星野仙一もそれを自覚して爆弾を演じ続けた。
しかし自分たちは見せてもらった。星野仙一の1/56の人生のあまりにも濃厚な1年を。
あのしかめっ面、怒号の表情、あきれ顔。
そして今岡の奇襲のバントに思わず驚喜してしまった瞬間の顔、顔、顔。
星野仙一が殊勲の赤星を抱擁したとき、自分は溢れる涙を止められなかった。
実は、この瞬間に自分の星野仙一観が一変したのだ。
選手をしきりに立てていた優勝インタビュー。
おいおい、あなたは優勝引受人のはずじゅなかったのか?
その夜はひとりで乾杯しようと思った。
あえて阪神タイガースにではなく星野仙一に。
それにしてもカッコ良すぎだぜ監督。
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恥ずかしい文だが、少なくとも資料的価値程度ははあるような気がする。
当時の私を感心させた胴上げスナップがYAHOO!のトピックに上げられ、
そこに「星野仙一逝く」の文字。
闘将と呼ばれた熱き勝負魂と、鬼と仏の顔を巧みに使い分けた人心掌握術。
選手ばかりではなく、多くのファンの心もがっちりと掴んでいったが、
我々、阪神ファンには2003年の濃密なシーズンに尽きるだろう。
思えばあの年は私的にも失業、再就職とめまぐるしかったが、
多くの虎仲間たちと出会った年でもあった。
断言する。星野仙一がいなかったたらその仲間たちと出会うこともなかったろう。
それだけ2003年の阪神タイガースは特別であり、ひとつの奇跡だった。
ありがとう。本当にありがとう。
2018.01.07(日) Lawrence of Arabia
名作といわれる映画は数あれど、誰もが金字塔と認める映画はそう多くはあるまい。
国立近代美術館フィルムセンターで『アラビアのロレンス』を観賞する。
今回で劇場3回目だ。
敢えて「観賞する」と書いたのは、前2回は「体感した」に過ぎなかったから。
断言してしまうのだが、この映画の凄さは絶対に一回観ただけではわからない。
最初は誰もがあまりにも巨大すぎる映像に圧倒されて終わるのだと思う。
スピルバーグが今、これを再現したら350億は優に超えるといっているように、
もちろんスペクタクルを堪能することにこの映画を観る嬉びは絶対的なものだ。
「CGなどなかった時代に凄い」との陳腐なレヴューは今更止めてもらいたいほど、
ハリト族のアリが砂漠の果てから陽炎のように近づいてくる場面や、
アカバ侵攻を丸ごと再現した大スペクタクル、砂漠の列車爆破シーンなど、
映画史に燦然と輝く名場面はすべて観客を驚嘆させるように作られている。
ある意味、T・E・ロレンスの内面の地獄など理解しない方が幸せなのかとも思う。
しかし巨匠デヴィッド・リーンはロレンスの虚妄と絶望を227分かけて描いていた。
ロレンスは時代を変えた英雄ではなく、時代に翻弄されたひとりの人間に過ぎない。
強烈だったのはトルコ軍の将軍にロレンスが痛ぶられる場面。
明らかにレイプだろう。以後のロレンスの立ち振舞いの変化を巨匠は容赦なく描写する。
アラブ人部族たちの小競り合いに悩み、母国イギリスの思惑と板挟みとなるロレンス。
「自分は一体何者なのだ?」との答えを砂漠に問いた結果、何者でもないと知る絶望感。
結局、ロレンスは抜け殻のように砂漠を去っていく。
今はロレンスを演じたピーター・オトゥールの悲鳴をあげそうな表情しか浮かばない。
マッチの炎が真っ赤な砂漠の太陽となるジャンプショットの鮮やかさに目を奪われ、
砂漠の向こう側を大型船が横切るあまりに幻想的な光景にど肝を抜かれるのは正しい。
しかしその後の中東情勢の破滅的状況を予見しながら、
「時代の中の個人」ではなく、「個人の中の時代」を活写したデヴィッド・リーンは、
間違いなく巨大バジェットの限界まで『アラビアのロレンス』を突き詰めたのだろう。
2018.01.08(月) 鍵とっかえ
失くしたキーケースに名刺が入っていた。
キーケースには職場の鍵もぶらさかがっていた。
これは事務所荒らしのリスクが考えられるではないか。
泥棒に拾われパソコンなどが持ち去られた日にはたまったものではなく、
そうでなくても物が失くなったとき、「合鍵」で侵入されたと思われるだけでも嫌だ。
とにかく始発に近い電車に飛び乗って早朝6時半に出社。
そこで事情を話して、玄関の鍵を丸ごと取り替えることを提案する。
もともと合鍵の管理は杜撰で、辞めた職員からの鍵返却を確認もテキトーだった。
その辺りも含めて、鍵管理を徹底するという名目で上司に了承を得ることが出来た。
最初はそれにかかる経費のすべてを自腹で払う気でいたが、
職場負担でいいとなって、そこは甘えることにした。
そしてひとつの確信も芽生えている。
名刺が入ったキーケースを落として連絡がないことなどないのではないかと。
多分、どこか誰にも見つからないところに落ちているに違いない。
とにかく車のリモコンキーがないと本当に不便だ。誰か見つけてくれ。
2018.01.09(火) 私の悪癖
昨日の成人式で大きくニュースとなった「はれのひ事件」。
楽しみにしていた晴れ着が届かなかったお嬢さん方には同情するしかない。
ただ、一浪してしまったおかげで成人式の次の日に後期試験を組まれ、
式の参加を断念した身にとっては、申し訳ないがお嬢さんたちは同情ネタでしかない。
むしろ1月8日の成人の日に「はれのひ事件」に巻き込まれた人々の、
悲喜交々の一日を想像してしまい、これはドラマになるなと思ってしまうのだ。
孫の晴れの日に晴れ着を奮発した祖母たちの思いをサブストーリーにして、
成人式当日に「はれのひ」の店舗を閉鎖した社員たちの葛藤。
唯一、成人式に着付けを行った福岡店スタッフのプライド。
そしてなにより20代の妻と赤ん坊を連れて海外に逃亡したとされる社長。
今、逃避行を続けながら何を思っているのか、とても興味がある。
彼らは破綻することが明らかとなるまでのカウントダウンをどう過ごしていたのか。
そんなこんなが交錯した1月8日。
誰かドラマにしてくれないかなと思う。。。。
申し訳ない、私の悪癖だ。
2018.01.10(水) 日韓合意を反故
慰安婦に於ける日韓合意がどうやら反故にされるらしい。
正直いうと、日韓合意そのものが電光石火で決まった感があり、
よく「最終的かつ不可逆的な解決」まで言質がとれたものだと驚いたが、
すでに死に体の朴槿恵政権が韓国世論を抑えるのは無理だろうとも思っていた。
文在寅は日韓合意の破棄を目指し大統領選を戦っていたのだから、
おそらくそこに言及してくることは日本政府も想定していたはず。
だから日本人の誰もが文在寅の会見を聞いて「ああやっぱりな」となったのだが、
それでも頭に来たのは「改めて日本へ心からの反省を求める」との発言。
「日本政府との再交渉はしない」と発表したそばからこれだ。
約束を反故した側が逆に要求するなど愚の骨頂。もううんざりする。
日韓関係は民間交流だけ残し、国交そのものを考え直す時期に来たのではないか。
そもそも北朝鮮の核問題での日韓連携ほどアテにならないものはないし、
日本にとって韓国と付き合うメリットなどまるでないに違いない。
2018.01.11(木) 恒例、2017年度映画賞
昨年の映画賞について、このページで紹介する毎年の恒例企画。
老舗のキネマ旬報ベストテンと信頼に足るヨコハマ映画祭ベストテンから。
【第91回キネマ旬報ベストテン】
(邦画)①『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』②『花筐/HANAGATAMI』③『あゝ、荒野/前・後篇』④『幼な子われらに生まれ』⑤『散歩する侵略者』⑥『バンコクナイツ』⑦『彼女の人生は間違いじゃない』⑧『三度目の殺人』⑨『彼女がその名を知らない鳥たち』⑩『彼らが本気で編むときは、』
●監督賞:大林宣彦 主演男優:菅田将暉 主演女優賞: 蒼井優
(洋画)①『わたしは、ダニエル・ブレイク』②『パターソン』③『マンチェスター・バイ・ザ・シ―』④『ダンケルク』⑤『立ち去った女』⑥『沈黙-サイレンス-』⑦『希望のかなた』⑧『ドリーム』⑨『ムーンライト』⑩『ラ・ラ・ランド』
【第39回ヨコハマ映画祭】
①『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』②『幼な子われらに生まれ』③『彼女がその名を知らない鳥たち』④『あゝ、荒野/前・後篇』⑤『彼女の人生は間違いじゃない』⑥『彼らが本気で編むときは、』⑦『愚行録』⑧『三度目の殺人』⑨『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』⑩『アウトレイジ 最終章』
●監督賞:白石和彌 主演男優賞:池松壮亮 主演女優賞:蒼井優
今年も私の邦画1位がヨコハマ、キネ旬と一致。とにかく石井裕也にはやられた。
もっとも個人的な10本を並べられるほど映画を観ていない。
洋画のキネ旬ベストに至ると、観た映画はたったの2本。いつもながら酷い。
私は『カフェ・ソサエティ』『セールスマン』『オン・ザ・ミルキー・ロード』がベスト3。
『花筐/HANAGATAMI』は年末公開でキネ旬には滑り込んだが、
ヨコハマは間に合わず。映画が公開される前にすでに前売り券を発売していた。
この映画祭、永遠の課題だろう。
『彼女がその名を知らない鳥たち』を私はあまり買っていない。
蒼井優は頑張ったと思うが、「蒼井優にしては」の但し書きが要る。
同じ沼田まほかる原作のヒロインならば『ユリゴコロ』の吉高由里子を断然推す。
だからというわけではないが、今年のヨコハマ映画祭には行かないと決めた。
上映作品3本とも既見というのは何十年ぶりのことだろう。
上位の『あゝ、荒野』は観賞の機会を窺っていたが、
早々にWOWWOWで放映され、TSUTAYAにパッケージが並んでいたので気が失せた。
そうなると純粋な劇場公開映画といえるのかどうか。
助演男優賞の塩見三省と特別大賞の西田敏行は生で見たかった気もするが。
2018.01.12(金) 今度は立行事不在かい
行事の最高位・木村庄之助が空位のまま3年目を迎えている。
式守伊之助は何故、庄之助を襲名しないのかと不思議に思っていたが、
図らずもその理由が明らかとなった。要は当代伊之助の品格が疑問視されていた。
そこに泥酔した伊之助が十代の若手行事にセクハラというニュースが飛び込む。
天下の立行事が接吻を強要し胸を触った?うーん、男の世界全開だ。
うーん、、、じゃない。
今、相撲界が様々なスキャンダルに晒されている渦中に、
勝負の結びを捌く重職の頂点にいる者が、未成年に悪戯したら世間にどう思われるのか。
何のために腰に短刀を携帯しているのか。
そこの覚悟がまったくないのにほとほと呆れ返るのだ。
当然、伊之助は謹慎。おそらく辞職だろう。
思うに、行事が部屋付きである制度に問題はありはしないか。
そのことが今回の不祥事の温床とまではいわないが、絶対に慣れ合いは生じる。
立行事という、相撲界の聖職たる者、力士とは一線を画して存在すべきだ。
とにかく破廉恥行為の立行事など、短刀を抜いて腹を切れ。
と、俄か好角家は思うのだ。
……このところ「俄か好角家」と、マイブームのように書いているが。
2018.01.13(土) 栄養指導
地元の総合病院で診察に先だって栄養士による指導を受ける。
週末に実家で昼飯を食う以外はすべて外食の身には食事のバランスは難しい。
糖尿病、脂質異常症、高血圧症となると、
炭水化物、脂っこいもの、塩気の多いものが制限されるわけだが、
はっきり言ってこの三つを奪われ、私は生きていけるのだろうか。
栄養士に「もし誘惑にかられたら、私の怒った顔を思い出してください」と言われる。
30になるかならないかのアニメのプリントシャツの上から白衣を着たオネェちゃんの、「怒った顔」を思い出したからといって、ただ困るだけなのだが、
実家に帰ると持たされる野菜ジュースで野菜不足を補っているというと、
野菜ジュースはスティックシュガー6袋分の糖分ですよと一蹴される。
バランスのいい食事を摂ることのハードルの高さを思い知りつつも、
「先ずは大食い、間食、夜食から止めることから始めましょう」といわれると、
明後日にも57になるオッサンは、ただ「はい」と頷くしかないらしい。
2018.01.15(月) ああ、とうとう
2003年の、あの星野仙一の年齢を超えてしまったか・・・。
2018.01.14(日) 今年も母と初詣
母を乗せて相模国一ノ宮、寒川神社に初詣に行く。
もう何十年も続けている恒例行事ではある。
私も母を連れ添って長い参道を歩くのがしんどくなってきた。
一方で年々、寒川神社の賑わいが激しくなり、駐車場待ちに大渋滞が起こる。
高速圏央道が東名海老名JCTから寒川ICまで開通し、
有名な「八方除」のお札を求めて、他県からの参拝者が増えたのだろう。
そして何年かぶりに「大吉」のおみくじを引いた。
結んで帰れという母の言葉を無視し、持ち帰って財布の中に入れておくと決めた。
【願望】首尾よくかないます。自信を持って。
【仕事】自己投資すれば、やがて大きな成果に。
【金運】使いどころをわきまえれば上昇。
【失物】出ます。同じ場所をもう一度さがして。
【旅行】どんな条件でもたのしい旅になります。
【恋愛】新たな出逢いの予感が。喜びを分かちあえます。
【待人】来ます。まず音信あり。
【健康】まず問題なし。過信はしないこと。
【売買】買い物はよし。吉日を選んで。
【学問】万事うまくいきます。確認は最後まで慎重に。
「周囲の協力に恵まれ、なにごとも順調にすすむ。わがままや独断を控え、
身近な人たちへの思いやりを忘れなければ大きく開運する」と。いいね。
注目は【失物】を「出ます」と断言されたこと。
ひょいと失くしたキーケースが出でくるかもしれない。きっと。
少なくとも、まだ誰にも見つけられていない何処かにあるのだとの意を強くした。
「八方除おみくじ」も文語調から柔らかい文面になって、やや重みにかけるが、
一年の始めに何とも心強いではないか。
身近な人たちへの思いやりを忘れないようにしないと。
2018.01.16(火) 40年経ってノブさんに追いつけたか?
かつてアカデミー賞受賞のお墨付きで一斉公開された『アニー・ホール』。
お馬鹿映画の作り手という認識だったウディ・アレンが、突然オスカー監督となった。
ところが当時の高校生には早口で矢継ぎ早に繰り出されるトークと、
そのセリフがいちいち難解で、殆んどお手上げ状態で上映時間をやり過ごしてしまう。
はっきり、どこが面白いのかさっぱりわからなかったのだ。
それから2年後、大学入るとノブさんという少しトウのたった同級生がいた。
ノブさんは私より6つ年上だったか。
彼は気紛れに学生をやっていたが、本職は絵描きという変わり種で、
豊富な読書量と芸術論、映画への造詣も深く、ちょっとした人生の哲学も持っていた。
私たちはすぐに意気投合し、講義そっちのけで酒を酌み交わす日々を過ごしたのだが、
彼との映画談議でいつもこちらは劣勢に立たされていた。
殆んど東映と日活の映画しか知らなかったので当り前といえば当り前なのだが、
決定的に彼に一目置かざる得なかったのは、『アニー・ホール』を絶賛し、
それこそ全編爆笑していたと聞いたとき、インテリは違うなと思った。
あれからノブさんは風のように消えてしまったのだが、
私にはずっと“アニー・ホール・コンプレックス”が燻っていたように思う。
そして一昨日、午前十時の映画祭で『アニー・ホール』と40年ぶりに再会した。
いやはや楽しかった。昔と違って映画館で大爆笑は出来なくなったので、
ずっとクスクス笑っていた。まさしくこのアイロニーはウディの独壇場だろう。
ふとノブさんのことを思い出した。ようやく40年経って彼に追いついのか。
映画はニューヨークへの愛(くされ縁?)に溢れていたが、
どこか経堂の安アパートで灰皿てんこ盛りにしていた時間が甦っていた。
2018.01.17(水) 阪神・淡路から23年
神戸に震災で亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」があるという。
そこに「アホ」「バカ」と落書きをしたアホ、バカがいたらしい。
そんな不逞の輩の出現が、風化の象徴などとは思いたくはないが、
23年経って、震災後に出生、あるいは転入した神戸市民は4割を超えるらしい。
人も変われば当然、震災の受け止め方も変わる。
一方で悲しみを忘れたい気持ちを、記憶の風化というのならそれもありだと思うのは、
6434人分の悲しみを「教訓」でまとめるのはドライ過ぎだとの違和感があるからだ。
せめて追悼の日くらいは「教訓」の言葉を横に置いてもいいのではないか。
理屈はわかるが、教訓を残すために6434人が犠牲になったわけではないだろう。
2018.01.18(木) 新春名作狂言会 ~新宿文化ホール
計らずもこの一週間はイベントが続く。
その第一弾といってはなんだが、新宿に「名作狂言会」を観に行って来た。
いつもの国立能楽堂とは違う、劇場型ホールでの公演、
何よりも大蔵流茂山千五郎家だけではなく、和泉流野村家とのジョイントだ。
もちろんまだまだ狂言ビギナーなので、茂山狂言の真髄を把握しているわけではないが、
人間国宝・野村万作、野村萬斎との流派の違いが理解可能なのか楽しみは尽きない。
そもそも私の狂言への入り口は『ちりとてちん』での“モッピ―”茂山宗彦だ。
そんなミーハーチックなきっかけの中で、先代・千五郎の飄々とした芸風に魅せられ、
当代・千五郎、七五三、あきら、茂、逸平、童司たちの狂言に馴染んできた。
しかし、私が初めて知った狂言師は野村万作だった。
“ダバダ~”「違いがわかる男」。インスタントコーヒーのCMが記憶に残る。
そして何だかんだといっても、狂言会のトップランナーである野村萬斎。
人間国宝とトップスターの狂言を観ることは、ある意味、必然だったといえる。
演目は茂山千五郎、千作、茂で『二人大名』。万作『魚説法』、萬斎『釣針』の三曲。
それに先立ち千五郎と萬斎による曲の解説に続き、ふたりで『三番叟』を舞う。
西の茂山家では『三番三』というらしいが、両家の競演は見ものだった。
「大して打ち合わせもしてないので、果たして合せられるかどうか」
さすが両者の口跡は鮮やかで、とりわけ千五郎の声量は相変わらず凄い。
しかし踊りの軽快さでは萬斎が目を引き、重量級の千五郎がやや重く感じてしまう。
さて、その千五郎が千作と茂を従えてシテを演じた『二人大名』。
最初は威張っていた大名二人が、従者に仕立てた男に脅されて散々な目に遭う。
着物を脱がされ、鶏の蹴り、犬の噛み合い、起上り小法師の真似をさせられる話。
力のないものが刀を抜いて立場が逆転するのがこの曲のミソだと思うのだが、
ここでも千五郎の重量がやや仇となった感は否めない。
身体もごつく、声もでかいので刀を抜くまでもなく主従など逆転しそうなもの。
以前、千五郎襲名の正邦時代『濯ぎ川』で女形をやった時も違和感があったが、
どんなものにも化けられる千作の域に達するには相応の時間がかかるのだろう。
齢を重ね脂っ気がとれ、なおこの声量が維持されたなら名人となるのかも知れない。
しかし千五郎は1972年生まれ。名人と呼ばれるまでこちらの身が持たないか。
『魚説法』はお経が喋れない修行僧が、お布施欲しさに魚の名前を羅列する話。
狂言の「言葉遊び」が生かされる曲を人間国宝がどう演ずるかが見もの。
解説書には「軽妙洒脱かつ緻密な表現の中に深い情感を湛える」
「品格ある芸は狂言の一つの頂点を感じさせる」とあるが、
日本の伝統芸能とはいえ、そこは狂言。実にアホな話で、落語の演目に近く、
これを観て私が「さすが人間国宝の品格」などと書いたら嘘になろう。
千五郎の声量が耳に残っていたからか、万作の声の翳りは気になった。
それでも86歳が演じた若い修行僧の動きは軽快で、そこは率直に凄いと思う。
『釣針』は八名もの大所帯の中で、萬斎の太郎冠者が舞台狭しと駈けめぐる。
いやはや軽い軽い。今まで茂山家の狂言を観ていてこの芸風は実に新鮮だった。
この軽みを我がものにしている自信に漲り、まさに独壇場だった。
まるで太郎冠者を演じるために生まれて来たのではないかとすら思う。
そして何より萬斎には華がある。やはりスターはひと味違うのか。
ただし、今後私が和泉流野村家の狂言にも出掛けるかとなると、それはないと思う。
そもそも私が両家の芸風の違いに着目出来るほど狂言は浅くなかった。
限りなく浅いのは私の方で、未だ古典芸能の初端でうろうろしているに過ぎないか。
2018.01.19(金) 失せ物、出た!
[【失物】出ます。同じ場所をもう一度さがして]
寒川さまの八方除おみくじで、ここまで断言されたとき、
落としたキーケースは出てくるものだと確信していたが、
見事に出た!しかもアパートの部屋の中で(呆)。
……あり得ない。あの時、部屋に入れなくて、鍵を失くしたと思ったはずだ。
それなのに何故、部屋に鍵が落ちていたのだ。
その日、部屋には玄関脇の小窓にぶら下げたスペアキーで入ったのだが、
部屋に落ちていたということは、その日は鍵を掛けずに出勤し、
もともと開いていた玄関にスペアキーを差し込んでいたということか。
この安アパートに空き巣が侵入するとも考えられず、
盗られて困るようなものはないし、鍵を掛けずにちょいと外に出ることはある。
しかし鍵を掛け忘れたまま出勤なんてことなどあるのだろうか。
ドアノブを確かめず、鍵を掛けたつもりで掛っていなかったことはある。
一体、どうなっていたというのか。
一応下した結論はこうだ。
あの日、私は確かに玄関に鍵を掛けて出勤した。
帰宅して、玄関のドアの前でポケットをまさぐると鍵がない。カバンの中にもない。
そこで落としたと思い込んでスペアキーで部屋に入る。
しかし鍵はどこかのポケットに入っていたか、衣服に引っ掛かっていた。
そして部屋の中で服を脱いだ時にキーケースがポケットから落ちてしまう。
落ちたキーケースがしばらく見つからない部屋というのも大概だが、
それはあり得る話。とてもではないが片付いた部屋とはいえない。
とにかく車のキーを作るのに2万かかり、実家の合い鍵も隙を見て作り、
職場のドアノブも交換する騒ぎまで起こしてこの結末とは・・・・。
キーケース自体がオイルレザーのまあまあ値の張るものであり、
車のリモコンキーを作るのに更に2万かかったことを思えば良かったのだが、
普段から物をしょっちゅう失くす自分が信じられなくなっていたのが情けない。
それにしても部屋の中に落ちていたとは。。。。
明日辺り、警視庁と神奈川県警に遺失物届を取り下げに行くとするか。
2018.01.20(土) 大相撲初場所7日目 ~両国国技館
例によって職場の先輩がコネを使って国技館のチケットをとってくれた。
先日、冗談交じりで「このままだと横綱は鶴竜だけになるかも」といっていたが、
何ともその通りとなった。おまけに立行事も不在という前代未聞の場所だ。
対戦表の電光の端にある[休場]には白鵬、稀勢の里、安美錦に由良。貴ノ岩。
せっかく天覧席の真隣の良席なのにもったいないことこのうえない。
とかなんとかいいながら、国技館のお楽しみは部屋持ち回り300円ちゃんこ鍋。
八角親方が苦渋の表情で会見を行った地下ホールは、場所中はちゃんこ会場となる。
初場所は伊勢ノ海部屋の名物ちゃんこ「鳥のソップ炊き味噌仕立て」。
ネットに具材が載っていた。
「鶏もも肉、玉葱、牛蒡、人参、蒟蒻、キャベツ、小松菜、チンゲン菜、油揚げ」
今、ちゃんこ鍋が人気のダイエットメニューだという。
「ええ?」という話であるが、十分に野菜が摂れるのは確かだろう。
もちろんちゃんこ目当てに国技館まで来たわけではないが、
焼き鳥弁当に国技館名物の焼き鳥詰め合わせも平らげて、今日は鳥づくしとなった。
鶴竜が鳥類なのか爬虫類(?)なのか知らないが、今現在は勝っ放し。
この七日目も同じく全勝の栃ノ心を一蹴した。
しかし栃ノ心も前頭三枚目の位置。7日目での全勝対決はもったいない気がする。
とにかく怪我人も含めて異常な場所が続いているのは確かなのだから、
相撲人気が沸騰している間に、協会は一刻も早く正常化に努めなければならない。
2018.01.21(日) 改めて『マッドマックス/怒りのデス・ロード』
まずいいたいのは『マッドマックス/怒りのデス・ロード』を一回観ただけで、
この映画の全体を評価するのは不可能であったということ。
それほどこの映画にはとてつもない情報量が内包されており、
そして、その情報はセリフや物語ではなく、ほぼアクションで語られているのだから、
個人差こそあれ、繰り返し観ることでしか把握しようがなかったのだ。
だからこの映画に関し、ずっと私の中で消化しきれていないもどかしさが燻っていた。
消化不良という意味ではなく、正直、情報を食い切れていなかったのだ。
それでも、このとてつもなさに迷うことなくさの年のベストワンだと確信していた。
物語は至極単純。例によって核戦争後の荒廃した近未来が舞台。
イモータン・ジョーを首領する一族に囚われた元警官のマックスが、
ジョーの妻たちと逃亡した女隊長のフェリオサとともに「緑の地」を目指し、
フェリオサの裏切りに激怒したジョーが彼らを抹殺せんと猛追を開始する。
要は追われる者と逃げる者のバトル“だけ”をひたすら描写したストーリー。
とにかく27年ぶりの『マッドマックス』だ。
その間、ジョージ・ミラーは何度となく4作目の映画化にチャレンジしては挫折した。
逆にミラーは、余計なノイズを削ぐことの作業に27年間を費やしたともいわれている。
繰り返すが、削いだ物語をバイオレントなアクションで雄弁に語ったこの映画は、
マックスの渇望、フェリオサの怒り、ニュークスの野心、ジョーの復讐心などの、
様々な感情で炙られた物語を、チューンアップされたマシンの疾走で体現している。
そして新しいことを始めたことで、映画の原点に先祖帰りを果たすことになる。
ミラーは映画がサイレントだった時代の連続活劇に魅せられているのだという。
確かにキートンから『大列車強盗』『駅馬車』へと脈々と連なる、
「追う」「逃げる」は映画の持つ醍醐味そのものではある。
しばしば本作が『駅馬車』に例えられるのはそうことなのだろう。
とにかく、どの場面を切り取っても画面から伝わる異常なテンションは凄まじい。
いやどこを切り取ってもそこには必ず面白い絵が映っているというべきか。
そして何よりこの映画が究極の一線まで近づいていると思ったのは、
マシンの爆音、轟音と男たちの絶叫を応酬させつつ、やがて静寂を感じさせるところ。
その静寂さは詩の朗読を聴いている時の感じに近く、
むしろこの映画が「詩」そのものであるような心地良さがある。
ミラーがそこまでの境地を目指したのかどうかわからないが、
この映画には生きものの根源的な原罪を追求した“罪と罰”の「詩」があった。
アカデミー会員たちが手に負えなかったのも十分にうなずけるが、
フェリオサを演じたシャーリーズ・セロンがノミネートもされなかったのは解せない。
間違いなくその後の映画史に語られる作品となったのは、彼女の存在感にある。
2018.01.22(月) 都心に大雪警報発令!
♪降り積もる白いものは 羽根の形をしている
数えきれない数の 羽根の形をしている
あまりにも多過ぎて やがて気にならなくなる
疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
静かになる日が来たら 予定どおりに雪は降る
-------------------------------中島みゆき「吹雪」
首都圏に大雪が降り、普段の倍の時間をかけて帰宅した。
この冬、各地を寒波が駆け抜けた中でも首都圏はかわしてきたが、
とうとう捕まった感じだ。一度捕まるとここはあまりに雪に弱い。
明日の朝の出勤を思うと憂欝だ。
駅までの雪道もさることながら、電車がまともに運行されるのか。
前回の大雪では渋谷まで3時間もかかった。
しかし何よりも明日は中島さんの「夜会」に行く。
その意味では今日の内に雪が降ってしまって良かったか。
2018.01.23(火) 中島みゆき「夜会工場 VOL.2」 ~オーチャードホール
渋谷Bunkamuraに急ぎながら、道玄坂の路肩に積まれた雪に何度か足をとられた。
オーチャードホールは日本でも有数のクラシック会場で、席はバルコニー席。
ほぼ目線の高さにバンドブースが据えられ、指揮をとる瀬尾一三がスタンばっている。
ステージではつなぎ作業服を着たスタッフたちが、セットを設置している様子があり、
瀬尾一三の腕が振られ、バンドが『二隻の舟』のインストを奏ではじめると、
働くスタッフの一人にスポットがあたり、それが中島みゆきさんだったという趣向。
「大変な雪でした。もし昨日だったら中止なんてことにもなったかもです」
本名・中島美雪。雪を連れて来たか。横線が多すぎて名前は平仮名にしたのだという。
前回の『夜会工場』はチケット入手に四苦八苦し、結局、名古屋に行くことになったが、
今回もなかなか苦労させられた。まったく雪の泡と消えてはたまったものではなかった。
さて『夜会工場』。今までの『夜会』19公演をダイジェストで見せるというもので、
彼女の代名詞となった『夜会』がどのように作られたのかを工場に見立てたステージ。
話は変わるが、私、普段は肉体労働でもないのに作業服を愛用している。
冬の間はその作業着に寅壱のドカジャンを羽織って通勤しているのだが、
職場を出る際、後輩から「その格好でオーチャードホールはない」と止められていた。
なんてことはない、主役がつなぎの工場服を着ているではないか。
さて、四年前の名古屋で観た『夜会工場』は正直あまりピンと来なかった。
「夜会初心者向け」と本人がいうほど、初心者向けだったとも思えず、
聴き馴染みのないアルバム未収録が延々と続き、場面も数えるほどしかわからない。
それこそ工場のラインのように次々と繰り出され、あれよという間に終わってしまった。
そう、知らない曲であっても『夜会』本編ならば舞台の高揚感で聴くことが出来ても、
ダイジェストで断片的に出さると、気分が完結出来ないもどかしさが残ってしまう。
だから今回、『夜会工場』なら行くのを諦めてもいいかかな、とも思っていた。
結果的には今回のVOL.2も『夜会工場』であるが故のもどかしさは感じたものの、
VOL.1の時より断然よかったと思った。
「初心者向け」ということなら今回の方が初心者向けだ。
まず電光掲示板を設え、どの『夜会』なのか親切に教えてくれるのが有難い。
これだけで少なくとも、その時々の『夜会』の在り処が明確になる。
これは実に大切なことだと思う。初めて総集版のお得感を享受出来たような気になった。
そして前回ほど総花的ではなく、ひとつのステージとしての完成度も高かった。
中島さんの他に中村中、石田匠、植野葉子、香坂千晶、宮下文一のボーカルメンバーが、
一同に会して熱唱する『我が祖国は風の彼方』はとくに見応えがある。
もちろん、それらのメンバーがソロを歌うこともあり、
中島さんの歌を聴きに来たのに、本人が歌わないのか…となるのは『夜会工場』の宿命。
そんなところに『夜会工場』への不満はどうしても拭えないのだが、
他の歌手が歌うことも含め、中島さんの演出、構成による「世界観」だと諦めている。
そして本人も自嘲する、中島さんのLIVEでは時折見かける歌詞が飛ぶ“事故”。
本人曰く「あっちを叩けばこっちが飛び出す、もぐらたたきのように歌詞が飛ぶ」
「いやぁ~本日は大変珍しいものをご覧いただきました」とMCで笑わせる。
こういう茶目っけで客席を笑わせ、会場全体を一体感で包み込むのはズルい(笑)。
そしてズルさの真骨頂はフィナーレを締めた『夜会工場』テーマである『産声』。
この名曲を力強く熱唱されると、もうグウの音も出ない。
曲の素晴らしさもあるが、この問答無用の力技に最後は持っていかれてしまう。
そうなると次の『VOL.3』も最後の『産声』を聴くため、また行ってしまうのか。
2018.01.24(水) 寒い寒い
幸いにして雪は一日で止み、20センチの積雪で済んだものの、
相変わらず都心は雪に弱い。
人口密集地ゆえ、通勤・帰宅時に大雪に見舞われると大混乱になるのはわかるが、
各地で停電騒ぎとなったのはなんということか。
案外、雪の日のペンギン歩きは汗ばむ程度の運動にはなるものだが、
路肩にどけられて積まれた雪の残骸から冷気が発せられ、むしろ大雪当日より寒い。
残業で本数が減った電車の、乗り換え待ちのプラットホームに吹く風。
思わずぶるぶるっと震えが来るほどの寒さだった。
1mの積雪が予想される北陸、東北地方の人たちからすれば、
首都圏の寒波など屁の突っ張りにもなるまいが、
普段から寒さに備えていない都心の寒さはことのほか堪えるのだ。
東京の寒さに震えている北国出身者を何人も見ている。
2018.01.25(木) YouTubeの罠
毎年、プロ野球のオフシーズンは私も完全オフ状態で、
野球の話題など気にも止めない方なのだが、
今回は星野仙一の訃報もあって、やたらYouTubeなど見てしまう。
ただでさえ残業で帰宅が遅いのに、YouTubeなど見たらそれこそ自爆だ。
2003年に放映されたバラエティ番組「さんまvs星野」なんて見てしまう。
この番組はかつて見た。でもやっぱり面白い。
一度見出すと止められない。見終わっても次のサムネームが気にかかる。
時計の針は加速度的に進んで、あっという間に午前2時になってしまう。
ネットの無料動画は夜更かしの友であり、睡眠時間の大敵だ。
2018.01.26(金) 残業まつり
いつもギリギリの人数で仕事をこなしている中で3人の欠員が出た。
そんなときに限って仕事量がカサを増す。おまけに週末だ。
結局、残りの職員が総出で残業となり、終了したのは0時を回ったあたり。
何とか終電に間に合ったものの、駅ふたつ歩き、帰宅したのは2時過ぎ。
さすがに寒波の中を歩いて帰るとなると空腹はきつい。
そんなときに目に飛び込んでくるのがラーメン屋の看板。
30代の頃はほぼ毎日のように若い奴らと深夜ラーメンを繰り返していたが、
今、そのツケを払わされているにも関わらず誘惑に負けてしまう。
いや、これから氷点下の中を駅ふたつ歩くのだからラーメンくらい食わせろとなる。
久々の大残業はお祭りの高揚感もあって、それなりに楽しくはあったのだが、
なによりも一番困るのは食事のタイミングが狂うこと。
残業代も出ないのに、使命感だけで深夜まで働いた職員には大感謝なのだが。
2018.01.27(土) ああ閉館か・・・・
この業界にいるので(どの業界だよ)、映画好きの仲間が何人かいる。
ところが最近は殆んど映画館に行っていないそうだ。
理由は「映画一本観るのに1800円は高すぎる」というのだ。
なるほど1800円は高い。これだけネット動画がある中で、私も高い思う。
ただ「一般1800円」の設定表示はそれとして、
現実に1800円で映画を観ている人など居るのか?とも思うのだ。
私は未だかつて映画館で1800円を払ったことはない。
封切館ではよく行くTOHOシネマズは月曜日が1100円で、レイトが1300円。
6本観れば1回無料、ポイントが累積すれば1ヶ月無料パスがもらえる。
他に東急系(109シネマズ)もレイト1300円、6回観れば1回無料。
テアトル系が火曜日と金曜日が1000円。ル・シネマが火曜日1100円。
武蔵野館系が水曜日1000円と、工夫次第で1800円から大幅割引で観られるのだ。
その中で何と行っても便利なのがイオンシネマの55歳以上1100円だろう。
しかも今の住処から車で5分。歩いても20分程度で行けるのだから有難い。
その有難いイオンシネマつきみ野が来月末で閉館するのだという。
シネコンも淘汰の時代が来たかと思いきや、イオンごと閉めるらしい。
確かに市内にイオンの大型店はあるし、近々、隣の座間市にイオンモールが出来るので、
同じ商圏内のつきみ野店も大変だなと思っていたのだが、まさか閉店とは。
これで109シネマズに続き、思い立ったら20分で行ける映画館が無くなってしまった。
それでも40分程度で海老名のTOHOとイオンで観られることと、
池袋、新宿、渋谷なら定期券でいくらでも途中下車出来るので、
地方の映画ファンからすれば贅沢な話なのかも知れない。
それでも「おらが町の映画館」が消えるというのは寂しい限り。
2018.01.28(日) Dyson V6
先日、何気にBSのショップチャンネルを流していたら、
ダイソンのハンディクリーナーのセールをやっていた。
今まで、ダイソンの掃除機など“高値の花”だと思っていて、
たかが掃除機にナン万も出せるか!てな話だったが、
ハンディクリーナーは欲しかった。しかも強力な奴。
すっかり物臭さがマックス化し、もはやコンセントを使うのもかったるく、
とてもハウスダストアレルギーとは思えない無精に陥っていたので、
目についたホコリを気軽に吸い取れるハンディタイプは欲しかった。
ダイソンのコードレスハンディークリーナーDC61モーターヘッドが18,950円。
うーん・・・と一瞬迷うが、「イッてしまえ!」と買うことにした。
寒川さんの「八方除けおみくじ」も買い物は保証されている。
アパートの部屋もさることながら、実家の壁面のホコリも気になっていた。
ハンディなら持ち運びも楽だろう。ついでに車の中も掃除できる。
そのダイソンが届いた。おお、私もついにダイソンのユーザーになったか。
早速充電して使ってみた。確かに吸引力はハンディのイメージを越えていた。
これはいいぞ、さすが世界のダイソン。部屋の中の溜まったホコリを吸い取っていく。
しかし20分でピタリと可動が停止する。
3時間半の充電で、連続使用時間が20分か。。。。うーん。
2018.01.29(月) トイレが近い
電気代をケチっているわけではなかったが、
私はあまり暖房に頼らない方だった。
そもそもずっと長い間、自部屋に暖房などなかった。
それが今年からエアコンなしでは寝られなくなってしまった。
とにかく寒い部屋でトイレが近くなって仕方ないのだ。
率直に齢だろう。こんなことで睡眠が妨げられるのが辛い。
膀胱が縮んだとは思えないのだが、トイレが我慢できない。
かつて徹夜仕事明けで、朝の6時に寝て夕方の6時に目が覚めることもあった。
今はとてもではないが、そんな記憶すら信じられない。
いやトイレを我慢してはいけないのはよくわかっているのだが、
さすがに3時間おきにトイレで目が覚めるのは困る。
朝のアラームよりも尿意が早いのも困る。
いよいよジジィ道に真っしぐらか。
2018.01.30(火) エロい夢を見た
本当に久々にエロい夢をみた。
中三の時なら夢精していたかも知れん(笑)
ただその時は、夢だったことにがっかりしつつも、
「ようし!」と元気に学校に行ったのだと思うが、
今は身体が疲れてグダ~となり、外に出るのが億劫になる。
いや憔悴するほどエロかったわけでもないのだが。
2018.01.31(水) 今年の1月は・・・
家族にとって少なからぬ分岐を迎えた去年の1月。
それと比べれば親子3人が新たな風景の中で過ごした今年の1月は、
印象としては去年と比べても時間が過ぎるのが早かった。
狂言、大相撲、中島みゆきさんとイベントが続いたこともあるかもしれない。
それでも大晦日の紅白から1ヶ月しか過ぎていないことを不思議に思う。
とにかく寒い。大雪のニュースがこの月、何度報道されたことだろう。
そんな冬のつれづれに空を見上げると、月が赤く翳っていた。
そうか今夜は皆既月食だったか。
寒空の中、月を見上げていると、冷たい風に思わずぶるっと首をすくめた。
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