■2015.03

日めくり 2015年03月(平成27年)         



2015.03.01 弥生三月はタフ

五年前から始まった「午前十時の映画祭」。
スクリーンに映される映画の数々に懐かしい思い出を募らせ、
まさか観られるとは思わなかった名画を劇場で味わえる至福に酔ってきた。
昨日の『地上より永遠に』の観賞を以て、今期の分はすべて終了。
早くも次回のラインナップが発表されているが、それは別の機会に。
さて3月の中旬からはいよいよ文芸坐で菅原文太の追悼上映が始まる。
健サン以上に文太の未見作品は少ないが、再び青春の追憶に浸ることになるだろう。
と、思いきや渋谷のシネマヴェールで神代辰巳の没後20年特集もやるらしい。
しかも文太の追悼上映会と日程が丸かぶりだ。
何だかにわかに近づいてきたと思っていた70年代が一気に押し寄せてきた。
何とか日程をやり繰りして、自分にとってかけがえのない二人を追うつもりだが、
ここに来て私の映画観賞パターンが限りなく浪人時代のそれと同じになってきている。
十代の頃の東映やくざ映画とロマンポルノの日々がまた始まるとは驚きだ。
3月は旅の計画もあり、もちろん実家にも顔を出さなければならない。
月末には野球も始まる。みるみる埋まるスケジュール表。
なかなかタフな毎日になりそうだ。


2015.03.02 春眠、暁を見る

昨夜はよっぽど疲れていたのか午後9時過ぎには寝床に就いてしまった。
目が覚めたら深夜の2時半。
案の定、そこから眠れなくなった。本を読んでもPCを弄っても駄目。
結局、寝ることになく出勤時刻を迎える。
仕事中に睡魔と闘うのはいつものことだが、今日は特別しんどかった。
早すぎる早起きは三文以上の損だった。


2015.03.03 極度の猜疑心と支配欲と少しの自己顕示欲と劣等感と

この度の上村君が殺害された川崎の事件。
その殺人までに至る経緯にとても不可解なものを感じていたが、
結局、18歳主犯の極度の猜疑心と支配欲と少々の自己顕示欲でまとめられるか。
佐世保の女子高生や名古屋の女子大生とはまるでタイプが違う。
彼女たちは本物のシリアルキラーなのだろう。監獄より病院が相応しい。
今度の主犯は非力な相手にしか己れを誇示出来ない臆病な劣等感の塊りだった。
ネットでは少年らの顔写真や自宅や家族の画像がアップされている。
自分もあろうことか実名とされる少年の家族や自宅まで簡単に閲覧してしまった。
何だか、嬉々としてネット私刑に走る正義の輩も含めての川崎事件だと思えてきた。
自分はとてもそういう “正義の徒” にはなれないが、
凶悪犯に対しては18歳でも実名報道があって然るべきではないかと思っている。
少なくとも18歳からの選挙権を認めるなら、犯罪実名公表とセットにすべきだろう。
そもそも18歳で「事の善悪の判断がつかない年齢」など馬鹿げた話だ。
未成年であることを免罪符に凶悪事件が起こるケースがあるとしたら最悪だ。
大体、18歳になれば堂々とAVデビューだって出来るのだから。


2015.03.04 遅延

朝のニュースで東急田園都市線の遅れを知る。
夜間作業の遅延によるダイヤの乱れだと。なんじゃそりゃ?
殊勝にも10分早めに玄関を出たが、焼け石に水。
ダイヤが乱れれば、時刻調整のために停車時間も長くなる。
結果として超満員ラッシュとなり、そうなると救護者が出てくるのでさらに遅れる。
今日は気温が20度近くに上がるのだから薄着で来いよと、
着膨れラッシュを恨みつつ、職場までちんたら2時間もかかった。
そういえば震災の時は毎日この状態が1ヶ月ほど続いたのだったか。
4年も経てば色々なことを忘れて行く分、思い出すことも多い。


2015.03.05 中島みゆきの偽メッセージ

中島さんから帯広の母校の卒業式に届けられたメッセージが偽物だったという問題。
もしかしたら学校側が中島さんにメッセージを依頼していたのかも知れないが、
プロで活動する有名人を「卒業生だから」と気軽に名前を使っていいわけはない。
昔の職場でも勝手に「東映の菅原文太さん」などと祝辞で使っていたが、
業界の鷹揚さとしても、こんなのアリなのかな?と疑問を抱いたものだった。
こういうことが報道されると中島さんもとんだ迷惑だろうし、
卒業式で健気に『時代』を合唱した生徒たちも、さぞ落胆したに違いない。


2015.03.06 一昨日の日めくりで

「殊勝にも10分早めに玄関を出たが、、、、、、」と書いた後に、
常套句である「焼け石に水」の故事をど忘れしてしまった。
「やっても無駄なこと」「無駄な努力」のことを何ていったけかな?
ネットで検索してみたら出てくる出てくる。
・石に灸・犬に論語・牛に経文・牛に対して琴を弾ず・馬の耳に念仏・屋上屋を架す
・渇して井を穿つ・画餅に帰す・死に馬に鍼を刺す・爪で拾って箕でこぼす・
豆腐にかすがい・捕らぬ狸の皮算用・泥棒を捕らえて縄を綯う・
泣く子と地頭には勝てぬ・糠に釘・暖簾に腕押し・笛吹けど踊らず・
豚に念、仏猫に経・下手の考え休むに似たり・蛇は竹の筒に入れても真っすぐにならぬ
・棒に振る・仏作って魂入れず・骨折り損の草臥れ儲け・水の泡・元の木阿弥・
労多くして功少なし・・・。
実際は電車の遅延とは関係ないことが多いか。
確かに「殊勝にも10分早めに玄関を出たが、仏作って魂入れず」では変だ。
しかし、こうしてみると世の中は「無駄な努力」への恨みに満ち満ちていて、
昔から草臥れ損への嘆きは生半可ではなかったことが窺える。
・・・結構、ど忘れも勉強になるもんだ。


2015.03.07 飲んだ飲んだ

楽しい飲み会は酒が進む。気がつけば帰りは終電になっていた。
乾杯こそ中ジョッキだったが、あとは純米の冷酒で通す。
いつからかメインの酒は日本酒になっている。
このメンバーたちとは業界の事情で一年半前に袂を訣ったのだが、
上は上、現場は現場だとばかり気持ちよく迎えてくれた。
付き合いはごく浅いのだが、皆、頭が良くて反射神経がいいので会話が楽しい。
酒は進んだが、不思議と酔っ払わなかった。


2015.03.08 今日もまた飲む

新宿歌舞伎町。定例の飲み会をいつもの4人でやる。
各々、博学の徒であるため、いつも飲みながら勉強させてもらっているが、
もともとが業界内でのプロレス好きの集まりだったので、
通過儀礼としてプロレスの話題には触れる。
そして皆、文字通り「リングから遠ざかっている」。
最近のレスラーについてはなかなか名前が出てこないが、
キラー・カール・コックスなんて名前は簡単に出てくる。
プロレスという「底が丸見えの底なし沼」で人生とは何かを学び、
それぞれ歳を重ねていって、現在があるのか。
前回の集まりからまだ数カ月ほどだが、
あまりに急激に増えた白髪に驚かれてしまった。


2015.03.09 逮捕せよ

今朝の産経新聞のコラムを読んで驚いた。
群馬大病院で腹腔鏡手術で8人を死亡させた医師。
新たに開腹手術でも5年間で10人を死亡させていたことが判明。
死亡した患者の術後の検査では良性の腫瘍だったなんてこともあったらしい。
刑事告訴を検討しているらしいが、当然だ。
国立の大学病院にもしょーもない医師がいないとは限らないが、
何故、かかる事態まで誰も止めようとしなかったのか理解に苦しむ。
当該医師も隠蔽した誰かも、即刻逮捕せよ。


2015.03.10 今、改めて神代辰巳を

35年ぶりに日活ロマンポルノ『四畳半襖の裏張り』を観た。
猥褻公判の制約の中でシネスコ画面一杯に宮下順子、芹明香、絵沢萌子が躍動する。
なんてアバンギャルドで自由で奔放な映画なんだろう。
35年前も訳のわからん映画だったが、今もその自由さに面喰ってしまう。
おそらく、今後このフォーマットでの映画は作られない。いや、作り手がいない。
映画監督・神代辰巳。没後20年だそうだ。
『一条さゆり・濡れた欲情』『濡れた欲情・特出し21人』『恋人たちは濡れた』。
そして憂歌団のしゃがれた歌声で幕が開く愛欲ドラマの極北『赫い髪の女』。
幾多のロマンポルノの傑作以外にもショーケンの『青春の蹉跌』があり、
未見のまま心残りだった『棒の哀しみ』が控えるこの度の上映会。
ねちねち、ぐじょぐじょ、あっけらかんの神代節に酔いしれることになるだろう。


2015.03.11 あれから四年

巨大津波と水素爆発で原子力建屋が吹っ飛んだ映像は一生忘れないだろう。
しかし真っ先に思い出すのは深夜の多摩川を黙々と渡る帰宅難民の群れだ。
東北の当事者ではない自分にとっての3.11はその群れの中にいたこと。
あの薄暗い帝都の風景に、生まれる以前の闇の記憶が脳裏に映し出されような錯覚。
多分、50年の人生の中で一番の非現実だったのだと思う。
甚大な被害と悲劇の中で、ほんの虫けらほどの非現実体験だろうけど。


2015.03.12 亡国の徒まではいわないが

鳩山由紀夫が総理大臣を辞任した時、自分は仙台にいた。
確か「河北新報」の号外で辞任を知ったのだったか。
もう五年前になる。とっくに過去の人だ。
その過去の人が現役の時以上に日本を引っ掻き回している。
この暴走を止める人間はおらんのだろうか。
思えば原発デモに加わった途端に、デモは一気に胡散臭くなった。
亡国の徒まではいわないが、歩く国辱であるとは思っている。
その存在が確実に国益を害しているのだから処置なしだ。
やっかいなのは下手に金を持っていることか。


2015.03.13 谷ナオミに再会した

封切りから38年。観たいまま機会を失っていた『悶絶!!どんでん返し』を観る。
実にくだらない映画だった(笑)、機会を窺っていた38年は何だったのだろう。
これを観たかった理由は未見の神代辰巳作品だったこともあるが、
そもそも谷ナオミ姐さんの非SM作品であることへの興味があった。
SMプレイにはまったく興味はないが、谷ナオミの緊縛ものには名作が多い。
何十年振りかの谷ナオミだ、もっと別の映画で再会したかった気もするが(苦笑)
文字通り「縛られない」彼女のコメディエンヌの才能を発見したのは収穫だった。
いや、今さら谷ナオミの才能を新発見したことを収穫といえるのかは解らないが、
引退記念作品『縄と肌』を厳粛な思いで観ていた浪人時代に思いを巡らせていた。
実は今夜のレイト。残業したにも関わらず21時15分の上映まで時間を余らせていて、
喫茶店での時間潰しにも飽きて、寒空の渋谷の喧騒で入場待ちをしていた。
38年前の日活ロマンポルノと今の渋谷の街並みとのギャップには失笑を禁じ得なく、
同じ思いで『恋人たちは濡れた』の観賞を断念した3年前の心境はどこへ行ったのか。
まったく・・・人生が順調に後退しているなり。


2015.03.14 叔母を見舞う

脳梗塞で二年以上も長期リハビリ入院をしている叔母。
毎週、寺社をめぐりながら、必ず叔母の回復を祈念しているのだが、
この度、てんかんの発作を起こして別の病院に運ばれ、5日後に戻ってきた。
戻ってきたといっても元のリハビリ病院の病床にだ。本当に気の毒でならない。
早速、母親と見舞いに出掛けたのだが、どうにも母親の行動が気に入らない。
例によって段ボールを一杯にしたお土産を病室まで運ばされる。
叔母の孫たちへのお土産も兼ねているのだが、もうピント外れもいいところなのだ。
「病状を案じて今日は手ぶらで駆けつけた」となった方が叔母もどれだけ喜ぶか。
結局、叔母との話しもそっちのけで持参したお土産のお披露目を始める。
帰りの車中でかなりキツい口調で母親を叱ったのはいうまでもないが、
その甲斐あってか?帰宅後にようやく電話で姉らしい言葉をかけていた。


2015.03.15 いよいよ菅原文太の追悼上映が始まる

今日から新文芸坐で高倉健に続いて菅原文太の追悼上映が始まる。
初日は藤純子さん主演の『女渡世人・おたの申します」と『緋牡丹博徒・お竜参上』。
なんと脇役二本から追悼上映がスタートした。
実は任侠ものでの文太は純子さんの受けに回った芝居が圧倒的に素晴らしい。
文芸坐もそのことを知りつくしてのプログラム。さすがだと思う。
『緋牡丹博徒・お竜参上』。いわずと知れた加藤泰による名作中の名作だ。
自分にとって純子さんは遅れてきた女神という位置づけなのだが、
画面に漂う空気感にただ酔いしれればいい健サンとの絡みと違って、
文太は感情移入しやすいので、純子さんと疑似恋愛の気分になれる。
ところがお竜さんに夢中になりすぎて、この映画は浪人時代に封印していた。
だから今日『お竜参上』にスクリーンで再会したのは35年ぶりのこととなる。
シリーズ最高傑作はそんな時の流れの中でも一切風化していない。
雪がしんしんと降り注ぐ今戸橋。お竜さんと旅人・青山常次郎との別れの場面。
大袈裟ではなく、雪の上をみかんが転がった瞬間、自分の人生が大きく変わった。
任侠映画、いや日本映画屈指の名場面の額縁に健サンではなく文太が納まったこと。
菅原文太を愛し続けてきた自分はそれをずっと誇りに思っている。


2015.03.16 鈴木則文の映画

まったく失礼な書き方だが、そういえば鈴木則文も去年、鬼籍に入ったんだっけか。
去年の5.17の「日めくり」に“ありがとう鈴木則文”と書いているではないか。
高倉健、菅原文太の相次ぐ訃報ですっかり頭から飛んでいた。
その鈴木則文の監督作品が文芸坐の文太の追悼上映で掛った。
有難いことに『関東テキヤ一家』も『まむしの兄弟』も未見作の上映だ。
いや、鈴木則文の映画を「監督作品」などと呼ぶべきかどうか。
娯楽一点張りの監督だ。本人もそんな呼ばれ方はされたくないだろう。
この監督は東映の観客を相当に低い偏差値で見積もっていたのではないか。
とにかくダダ滑りのギャグを下ネタ満載で描くのが特徴。
しかし『トラック野郎・望郷一番星』なる大傑作に私は間違いなく影響された。
深作欣二と文太はいうに及ばず、中島貞夫と文太、そして鈴木則文と文太。
不思議なことに折り目正しい健サンの映画を観ていると、
彼らが文太と組んだアナーキーな映画群が観たくなる。
そして『関東テキヤ一家』を観ながら健サンの任侠映画が切実に観たいと思う(笑)


2015.03.17 萩原健一×神代辰巳

神代辰巳の上映をやっているシネマヴェールのロビーでは、
撮影中の神代辰巳のスナップ写真や当時の対談記事などが展示されている。
びっくりするのがメガホンを持つ神代辰巳がショーケンの面影と瓜二つなこと。
『青春の蹉跌』『アフリカの光』『もどり川』『恋文』『離婚しない女』。
傑作ドラマ『傷だらけの天使』も含め、この二人のイメージは私の中では一対だった。
とりわけ『青春の蹉跌』は高校、大学と観て、大いにツボにハメられた。
何度も書いた、ショーケンと桃井かおりの雪中の道行き。
姫田真佐久の長回しのカメラが延々と捉え、そこに井上尭之のテーマ曲がかぶさる。
知る人ぞ知る伝説的深夜ラジオ「林美雄のパック・イン・ミュージック」のエンディング。
いずれにしても70年代の青春像を象徴する忘れ難い名曲だ。
ずっとシラケ世代の青春映画だと思っていたがまったく違っていた。
主人公の賢一郎は学生運動の闘争に挫折したのではなく、きっぱり卒業したのだ。
大人への敵愾心を腹に貯め、野望に突き進んでいく自分と折り合うことに焦燥する。
時代が生んだ映画といったらそれまでだが、それだけでは陳腐過ぎる。
こういう観客の心を傷つけるような青春映画は二度と出てこないだろう。


2015.03.18 菅原文太×深作欣二

映画の話ばかりで世事にとんと疎くなっているが、
そんなものはどうでもよくなっている。今や青春時代真っ盛りだ(苦笑)
昨日はショーケンと神代辰巳の映画を観て、今日は文太と深作欣二の映画。
他人には解らないだろうが、個人的にこの連夜の王道感は冗談のようではある。
好きな映画は数多いが、愛しい映画は限られている。連日の愛しい映画だ。
『人斬り与太』は菅原文太がひたすら暴れ、喚き、犯し、殺し、なぶり殺される二作だ。
『仁義なき戦い』が映画の革命ならば、これは映画のテロリズムといってもいい。
シネマスコ画面一杯に暴力を叩きつける文太の嬉々とした狂犬ぶりはどうだろう。
そんな文太に翻弄される渚まゆみの儚さ、内に秘めた強さはどうだろう。
全編、破壊衝動にかられたような暴力が炸裂する中で垣間見せるアイロニー。
再び断言しよう。今後の日本映画にこんな連作は絶対に出てこない。
あまりに文太がカッコよすぎて哀しすぎる傑作中の傑作だ。


2015.03.19 スシ食いねぇ

映画の話が続いたので、食いものの話を。
世田谷の梅ヶ丘に美登利寿司という人気店がある。
毎度、入店待ちの凄まじい行列には驚かされるばかりなのだが、
ラーメン屋のように客が一心不乱に食ってくれるわけではなく、
いつ空くかもしれない寿司店の席を待つ忍耐と根性には感心するばかりではある。
その美登利寿司、有難いことに回転寿司がある。
ご多聞に洩れずの行列だが、“タチ”の寿司店と比べて文字通り客も回転するので、
たまに池袋西武の8階に寄って、握りを貪ったりしている。
今日は年に一度会うツレを伴って美登利に行った。そういえば去年の春も行ったっけ。
このところ映画三昧で、すっかりジャンクフードに馴染んでいたので、
トロやブリに舌鼓を打ちながら、胃袋に功徳を授けるような気分。
美登利寿司は「炙りもの」が絶品。いや食った食った、大満足。


2015.03.20 時代を逆行

「時代を逆行」した。
高倉健、菅原文太、神代辰巳の映画を続けて観ていることではない。
そんな我が青春の日々への回帰などというケチなスケールではなく。
有給を使って鎌倉の寺院をめぐり、その後、京都経由で奈良に入った。
鎌倉-京都-奈良と日本史逆行の旅だ。
どうだ、このスケール(笑)。


2015.03.21 阿修羅と再会

奈良まで来たのは興福寺国宝館の阿修羅像に再会するため。
そして、ここの南円堂から西国三十三ヵ所観音霊場めぐりを始める。
それにしても153.4㎝の華奢な像をよくぞ1300年もの間守ってきたものだ。
初見の時から苛烈な来歴に反するその華奢な佇まいに完全に一目惚れした。
静かに悲しみを表現しているかのような正面の顔に対し、
唇を噛みしめている左の顔、自分の内面を見続けてるような右の顔。
様々な解釈があるが、かつての荒ぶる鬼神とはどれもほど遠い表情。
おのれの罪を食い改めながらすべての孤独を受け入れているようにも見える。
仏像に対して適切な表現とは思えないが、凛々しくも実にセクシーではないか。
五部浄、沙羯羅、鳩槃荼、乾闥婆、迦楼羅、緊那羅、畢婆伽羅。
この阿修羅を含む興福寺の八部衆のすべてが素晴らしい。


2015.03.22 あゝ なんてこったい

中学生の修学旅行から長い間ご無沙汰だった奈良公園の鹿たち。
その鹿たちにここ一年で4回も出会うことになるのだから不思議なものだ。
その鹿に煎餅を食わせた帰りの電車の中、次の予定先の琵琶湖に思いを馳せる。
琵琶湖も昔に一度行ったきりだったのに、昨年から3度目となる。
そして、レンタカーの予定を確認するためポケットからスマホを出してみる。
スマホを出してみる。スマホを出してみる・・・無い!リュックの中にも無い!
どこかに置き忘れたのだ。思わず天を仰ぐ。
もはや旅の恒例か。あゝ なんてこったい、殆んどビョーキだと我ながら愕然。
慌てて京都駅の忘れ物センターに駆け込んで、どこかに届いてないか調べてもらう。
スマホケースに病院の診察券、豊島区の図書館のカード、社員証に名刺が数枚。
比叡山元三大師堂のお札に、買ったばかりの阿修羅のストラップ。
JR西日本のどの駅にも該当するスマホの拾得は記録されていないという。
もうガックリしながら取り敢えず琵琶湖畔、草津のホテルへ。
そのホテルから何度か外線で遺失物預かり所に電話をするも見つからず・・・。
以上が昨日の夜の話。それでも疲れていたのかホテルでは爆睡した。
一夜明け、心許なさ満載のまま、レンタカーを借りて西国巡礼へ。
石山寺、岩間寺、長命寺、観音正寺・・・長命寺の石段808段も気が失せて車で登頂。
それにしても携帯電話が今や衣食住の次くらいに必需品になっていることを痛感。
そして同時に世の中から公衆電話が消えたことも痛感する。
ようやく近江八幡の安土駅で公衆電話を見つけ、今日最大の祈りを込めて電話。
結果は「大阪駅に届いてますよ」と回答。思わず全身の力が抜けた。
スマホにあれだけ自分のものだという証拠をぶら下げていたので、
本人確認の必要なしに、大阪駅から宅配で送ってもらう手配をしたのだが、
すっかり湖東三山をめぐる気力も失せ、最後にめぐる筈だった三井寺も行かず終い。
次回に課題を残して終わるのが旅の流儀と心得つつも、今回のはちょっと・・・。
近々の内に琵琶湖には改めて行くことを誓うのであった。。。トホホ
それにしても大阪駅は二度目、その前は名古屋。
東京メトロ、小田急もしばしば。必ず戻ってくることを自慢・・・してはならないな。


2015.03.23 不携帯の月曜日

今さらではあるが、旅に出ては簡単に遺失する片手大のスマホに、
年老いた親との緊急連絡の手段を依存しているのは心許ない気がする。
アパートにも固定電話を入れることを考えた方がよいのか。
一日待ったが、大阪駅からスマホは届かず。
翌々日になるかもしれないといわれていたので想定の範囲なのだが、
行き帰りの電車の中の手持無沙汰感は半端じゃなかった。


2015.03.24 リスク

持主より2日遅れてスマホ届く。やれやれ。
そんなこんなで映画に旅にとうつつを抜かす独り身の気軽さもあるが、
かろうじて元気な両親のおかげだということか。
多分、今が最後の自由時間なのだろう。
ニュースでは安倍晋三が自衛隊を「我が軍」と発言し、物議を呼んでいるそうな。
この世の森羅万象すべてにリスクは伴うのものだ。


2015.03.25 イカレ始めたか

旅の疲れに花冷えの風を体中で受け止めながら、
浪人時代に主人公たちに共感した『恋人たちは濡れた』を観る。
昨日は神代辰巳の遺作となった『棒の哀しみ』を遅ればせながら観た。
若々しい感性の神代映画と、車椅子に酸素ボンベを持ち込んた最晩年の神代映画。
その間の歳月20年で時代は大きく変わったが、神代は独特の不協和音を奏で続けた。
もうクレジットに「監督 神代辰巳」と出るだけで幸せな気分になれる。
もちろん「監督 深作欣二」も同様なのだが、
文字だけで至福を味わうとは、そろそろ自分もイカレ始めているのだろうか。


2015.03.26 映画『炎のごとく』は傑作だった

ずっと見逃し続けてきた1981年製作の幕末時代劇。
飯干晃一の原作も買ったまま35年間も本棚に眠っている。
おそらく大河ドラマ『獅子の時代』への反発もあったのだろう、
菅原文太主演で加藤泰監督作品で未見のまま何十年もやりすごすなど考えられない。
文太がいつものイメージをかなぐり捨てて、一世一代の名演を披露。
残念なことにこれが加藤泰の遺作となるのだが、
いつものローアングルからの絢爛な美学も満載で、画面が煌めいている。
傑作だった。ここまでの作品が映画史の中で埋もれていい筈はないのだが、
権利の問題だったのか長らくビデオ化もされず、不遇の扱いをされてきた。
何故だかどうしても不幸な映画というのは存在してしまうのだ。


2015.03.27 再び、西へ

仕事が終わったその足で東京駅へ。
19時26分発新大阪行きの新幹線。ただし「こだま」での4時間の旅。
新大阪に着くのは23時半だが、このプランだと2泊で3万円かからない。
プロ野球も開幕。車中でタイガースの経過を追う。
序盤の劣勢を跳ね返してのサヨナラ勝利。よっしゃよっしゃ。
しかし明日、明後日に阪神戦には行かない。阪神電車も乗らない。
朝から西国三十三ヵ所観音霊場を回る。
我、修験者なりよ。
でもって今度こそ忘れ物ゼロを目指すなりよ。


2015.03.28 琵琶湖から京都へ、清水の舞台に立つ

先週行き損なった三井寺を訪ねる。
まだ桜は蕾が膨らんでいる程度。東京は今頃が満開だろう。
我が県に相模湖という小さな湖があるが、かれこれ20年ご無沙汰だというのに、
見晴らしのいい三井寺観音堂からすっかり馴染んだ琵琶湖を眺める。
京都に入って山科の御陵(みささぎ)で下車し、西国観音霊場番外の元慶寺へ。
天智天皇の陵がある。中大兄皇子だぞ。関東とは歴史の奥行きが圧倒的に違う。
この静寂に包まれた番外札所から、人でごった返す清水寺へ。
清水の舞台に立ったのは中学の修学旅行以来40年ぶり。
それにしても人、人、人。修験者気取りも完全に観光客の一群に紛れる。
次いで六波羅蜜寺を巡り、建仁寺へ足を延ばす。
いやはや歩いた歩いた。手元の歩数計で26574歩。20キロ近くになった。
消費カロリー505.2kcl。しかしその夜にカツ丼大盛りに、ぼんち揚げを食う。
タイガースは関本の押し出し死球で連夜のサヨナラ勝ち。
サヨナラ勝利を球場のLIVEで観るのは積年の願望ではあるが、
自分が球場に行かない時はこんなものなのか。


2015.03.29 阪急電車

西国観音霊場24番札所の中山寺から清荒神清澄寺まで歩く。
そこから宝塚神社に寄って旅の無事を祈願する。
ついでにタイガースの勝利と、ついでに両親の健康も。
宝塚駅に着いた途端、関西虎党の御姐様からメールが。
一瞬、どこかで目撃されたかと思って緊張する(笑)。
そして初めて阪急今津線で西宮北口へ。
あずき色の車両の中は競馬新聞片手のオッサンたちが思案に耽っている。
とても有川浩の小説の風情ではなかったが、物語を思い出して楽しかった。
やっぱり恋愛っていいよね。
・・・・我、修験者なりよ。


2015.03.30 さすがに足が痛い

案の定、東京は満開の桜が咲き誇っていた。
それにしても連日の2万歩超え。その代償が来た。
足首は強くない方だと思う。ただでさえ毎日85キロを支えている。
こういう時だけ痩せなければと思うのだが、昼飯はメカジキ丼の特盛り。
大阪で買った日刊スポーツと、職場でとっている同紙と比べてみる。
関西版は5ページが虎だったが、こちらでの扱いは半面ほど。
関東者でありながら久々にアウェーな気分。
どちらにしても三連勝とは幸先よいぞ。


2015.03.31 文太と神代と巡礼の三月が終わる

何とかタフな弥生三月を乗り切った。
おかげで幾つかのことを置き去りにしてしまった気もするが、
仕事帰りのレイトに、週末は西国めぐりの強行軍。
そのエンディングが狭い一室で抱き合う宮下順子と石橋蓮司に、憂歌団のブルース。
かなりのダメージが蓄積されたが、好き勝手やった充実感は特筆すべきものだった。

                           

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